それは、ある夜のこと。 北風がいつもより冷たく感じて、頬と指先を刺すようだった。 俺はマフラーに顔を埋めると、 一心不乱にバイクを走らせていた。 思えば、結構危険な運転してたと思う。 「――みゃーこたん」 「…ぁ゛?」 そして、俺はこの家にたどり着いた。 acquaintance 「…晴架テメェその名前で呼ぶなって何度言ったら…」 薄汚れた白い扉、決して綺麗とは言いがたいアパートの廊下。 俺は立ったまま目の前の扉が開くのを待つと、其処の住人はとても不機嫌な声で俺を出迎えた。 僅かに開いた扉から指を差し入れ、思い切り開く。…みゃこたん、寝起きと見た。 「お邪魔ー、相変わらず殺風景な部屋だねぇみゃこたん」 俺は開いた扉からみゃこたんの横をすり抜けると、そのまま靴を脱ぎ捨て部屋へと邪魔する事にする。 寝起きの反応が悪いことを、俺はよく知っている。伊達に何年も付き合っちゃいない。 また、寝起きの機嫌が誰より悪い事も知っているけれど―― 「オイコラテメェ勝手に入ってンじゃ…」 扉をばたん、閉めると奴は俺を追い室内へ入ってくる。 俺は勝手に荷物を下ろし、インスタントコーヒーのボトルを手にするとニィと口角を持ち上げた。 「お、コーヒーあんじゃん、俺淹れるから座ってろよー」 刹那、此処の住人みゃこたん――こと坂丘都はひくりと眉を揺らし米神に青筋を浮かべていた。 あ、怒った。 「テメェ、此処を誰ン家だと…」 怒りモードの都さん、俺の胸倉をがっちりと掴む。俺はことり、とコーヒーのボトルをテーブルに置いた。 「都ン家。だから、わざわざ都の手煩わせないって言ってンだよ」 俺が笑って言うと、都は俺を振り払うように投げ捨て――じゃない、解放した。 「…勝手にしろ」 「おう、勝手にする。みゃこたんブラックな」 「うるせぇ、だからその名前で呼ぶなと何度言ったら…!」 都は最近茶色くなった髪で此方を見遣ると叫ぶように言う。が、以前此処の大家さんに怒られたからだろうか…気持ちトーンは抑え目になっている。面白い。 俺は勝手にマグカップとティースプーンを二人分取り出しコーヒーを淹れる。 「…ったく、今何時だと思ってンだ…」 俺は台所に放置されているように置かれている置き時計に目をやった。 「三時」 「違いねぇ」 「みゃこたんに正しい時間間隔が身についてたんだなー、すげぇ…暫く見ねぇうちに成長したなぁお前」 「テメェ誰に口利いてると思って…」 俺はコーヒーをお盆に置いて運ぶと、ミニテーブルへと置く。 「いただきます、っと」 「………」 都は頭をがし、と掻くとコーヒーを乱暴に掴み喉に流し込んだ。 寝起きだからだろうか、スウェットの上下に髪もかなり寝ている。 「…ンで、こんな深夜に何の用だ?」 「朝までちと仮眠させてくれ」 「断る」 俺が言った言葉を、都はあっけなく一蹴する。 「いつもどおり、俺床でいいからさ」 「当然だ、…じゃなくてだな」 「何だよ、女か?」 「違…」 「ンじゃあ男か?」 「テメェいい加減にしろよこの阿呆が!」 と、言うと都は俺の胸倉をがしっと掴み、壁に―― その刹那、テーブルに乗ったコーヒーが派手な音を立てて倒れた。 都がテーブルを倒したのだ。 「――っ!ちょ、都、何か拭くモンよこせ!」 「ぁ゛?…ホラよ」 都はティッシュを投げて寄越す。…ああ、危なかった。お気に入りのライダースにコーヒーのシミなんて付こうものなら俺は… 前のファスナー開けといてよかった。中に着てたタートルネックは被害に遭ったけど。 「…まぁそんな訳で、風呂借りンぞー」 「………、勝手にしろ」 熱いシャワーが冷え切っていた身体を伝う。そっと熱を持ち、火照っていくのを感じていた。 流石にぶっ続けで数時間走ってきた身体は相当冷え切っていたようで。 俺は勝手に都のタオルを借りると、Tシャツも都のを勝手に借りる事にした。 風呂から上がると、都は窓を開けて煙草をふかしていた。 俺の姿を見ると思い切り眉を顰めて溜め息を吐く。 「…また俺のを次から次へと…」 「朝ンなったら返すって」 「せめて洗濯してから返せ」 勿論、そのつもりだけど。 都は溜め息を吐くと、寝ンぞ、なんて呟いて窓を閉めると明かりを消し自分はさっさとベッドに入る。 俺は押入れから勝手に毛布を一枚取り出すと、その上に腰掛けた。 都が閉めた窓を開くと、今度は俺が一服。ウエストバックから煙草とライター、携帯灰皿を取り出す。 「…都さぁ、明日ガッコ?」 「…ああ」 「了解」 それだけ聞くと、俺は緩く紫煙を吐き出す。 都は壁際を向いていたが、不意に口を開いた。 「――何かあったのか」 「ンー…?いや、…何も」 「嘘吐け。…ま…別にいつものことだけどな」 嗚呼、そうだ…こんなことは初めてじゃない。 いつも何かしらあると、俺は適当に流して此処に流れてくる。 ンで軽く仮眠を取って目を覚ました後、また流して帰ってくる。 「…都、寝るか」 「ぁ゛?」 「冗談」 軽く笑うと、都が軽く此方を向いたのがわかった。 月明かりは当たらなくて――顔は良く見えないけれど。 「…俺が上なら付き合うぜ」 「嫌だよ、都には掘られたくない」 人の悪い笑みを浮かべる。 ああ、女はこの笑みに弱いのだろう。 都は普段は笑わない癖して、自分が乗った冗談となると徹底的に乗るんだ。 自嘲的な笑みを零す。 都は軽く鼻で笑うと、そのまま壁際を向いた。 沈黙が支配する。 言葉が、出なかった。 俺は短くなった煙草の火を、携帯灰皿に押し付けて消す。 「――都、こっち向け」 「ぁ゛あ?」 若干うとうとしていたのだろうか、俺がそう言うと都はかったるそうに此方へと身体ごとごろんと向く。 俺は、その唇を掠め取った。 「――っ、テメ、ぇ…!」 都は俺を突き飛ばすと、俺は後ろに倒れこみそうになるのを手で支える。 「ぁンだよ初めてなわけでも無し、都が上なら付き合ってくれるんだろ?」 「………、ぁ゛あ?」 都の顔は、『正気か?』と物語っている。俺は、至って本気だった。 ――違う。 刹那、俺は直感した。 自分が言った言葉が、ではなくて。 俺が、望んでいるのは―― 「――でも」 「…ぁ?」 俺は、自分から口付けた唇をそっと人差し指で拭う。 「やっぱ、都じゃねぇんだよなぁ…」 「ハァ?」 俺はそう呟くと窓を閉める。 シャワーで火照った片手が、すっと冷えていくのを感じた。 いつから、変わってしまったのだろうか。 以前は、これでも良かったはずなのに。 相手なんて、誰でも良かったはずなのに。 「…振られたのか」 「うるせぇ、その逆」 「振って落ち込んでんじゃ世話ねぇな」 「わかんねぇんだよ、俺も」 自分の気持ちが。 自分が如何したいのか、わからない。 “誰か”の存在を求めているのか。 “誰”の存在を求めているのか。 “誰の存在も求めていないのか” だったら、何故あいつじゃ駄目だったのか。 俺は立ち上がり、マフラーを手にした。 玄関へと歩きながら首に巻きつけ、軽く鞄を背負う。 「晴架?」 「行くわ、…着替えは今度ポストに返しとく」 言い終わるや否やブーツを履き終える。 俺は扉を開けると、再び北風の吹き荒れる中―― 「馬鹿が、風邪引くぞ」 「馬鹿は風邪引かねぇって言うだろ?」 「ぁあ?決まって風邪引く癖して何屁理屈捏ねてんだ馬鹿が」 都の言うことは、時として妙に説教臭い。 そして、それが時折――何故か無性に心地良い。 「…ンじゃ、な」 「ああ」 さて、これから何処へ行こうか。 END あとがき 都と晴架の話を書きたくてこんな形になりましたとさ。 奴らは同じ中学で悪いことやってた仲間で、それなりに仲が良かったりします。 決して女々しい関係ではないけれど、晴架なんか時折都に居場所を求めているような。 都は一匹狼で晴架を求めることは無いけれども、古い付き合いだしそれなりに信頼関係もあるんだと思う。 晴架が都を求める事があっても、都が晴架を求める事は無いんだろうな。 お互いある程度「便りが無いのは良い便り」なんだろうし。 普段メールとかも全然やるイメージじゃない。 今まで晴架を一番間近で見てきたのは都なんじゃないかなとか。 だからこそ弱ってるときは放っておけない。 甘やかさないし表面上では拒否しながらも、完全に拒絶する事はしない。 晴架は自分のことを語らない性格だから、特に多くを聞き出そうともしない。 それが、二人の関係であればいいなーと。 都みたいな奴だから晴架の友達務まってるのかなと。 この後一件あり「切っ掛け」に繋がります。 都の話がちょっと書きたいです。元カノさんとの話がめっちゃ素敵なんです。くは(…) |