それは夏休みのある日のこと。

「じゃあ美弥さん、少し留守に致しますけれども…くれぐれも火の元には注意してくださいね」
「ああ、わかってる。台所には近づかねぇから大丈夫だろ」
「…でも、お湯を沸かされたときなど…」
「気をつけるっての。良いからさっさと行け、車待たせてるンだろーが」
此処は暁家の玄関。砂流澪は小さく笑うと、はい、と頷き扉を開けた。

「それでは、行って参ります」
「ああ、またな」
「美弥さんもいらっしゃるんですよね?お待ちしております」
「ああ…まぁ」
適当に言葉を濁すと、澪はふふと微笑む。
 それでは行って参ります、ともう一度言うと…澪は夏の暑い日差しの中に消えていった。

 八月一日、夏休みも十日ほど過ぎた頃。
 澪は二十日まで実家に帰省することが決まっていた。

「…さて」
美弥は真っ黒に白の大柄なワンポイントの入ったTシャツに黒のジャージを穿いている。
 ともあれ今日から暫くの間、澪のいない生活が始まるのだ。
 精々澪が帰って来た時に嘆き悲しむことの無いレベルで生活せねば、と、一時的に心の中で誓う。

 それが精々一時的なものであるということは、自分が一番よくわかっていた。


「さて、と…」
「………おはよ、兄貴……澪ちゃん、もう行った……?」
「ああ」
美弥はそう答えると、夢芽は特に気にする様子も無く大欠伸をする。
「そう……か、……ご飯、どうなってる…?」
「朝飯は澪が作ったのが其処にある、俺はもう食った。晴架も…何か暫く実家帰るとか言ってたな」
美弥は詳しい話をせずに出て行ってしまった従兄弟の顔を思い出す。
 夢芽は其れでも気にする様子は無く、ただ一言そう、と返した。

「………、…兄貴…さぁ……」
「…何だ?」
「如何するの…ご飯……俺が作れる日は作る…けど、……さぁ……」

 夢芽は味噌汁を電子レンジにかけると美弥の方をじ、と見やる。

「…バイト先で何か食わせてもらうかコンビニ、最悪鎖錐家だろ」
「………、まぁ……大丈夫だよね、兄貴は……」
夢芽はくあ、と欠伸をすると電子レンジの中から味噌汁を取り出して他のおかずと共に並べ、ご飯をよそった。

「…頂きます……」
「ああ」
美弥は頷くと冷蔵庫を開いて麦茶のボトルを取り出した。
「……あ、そう、兄貴……」
漬物を一口口に運ぶと、夢芽は思い出したように呟く。
 美弥は何だ、と、後姿のまま答えた。

「………早速なんだけど、…俺、今日約束あってさ……飯、作れない」
「…あ?」
「だから、……昼飯と晩飯、…如何にかして、ね」
「御前、…俺今日バイト無ぇんだけど……まぁ、昼飯はコンビニで夜は鎖錐家にでも…」
「ちなみに……鎖錐家は、丁度今日まで家族旅行……」
夢芽は冷静に呟く。美弥の米神に青筋が走った。
 肝心なときに役に立たねぇ…と、呟きながらガラスコップに麦茶を注ぐ。
 喉に流し込むと、ハァと息を吐く。

「…1人分ぐらい何とかする。最悪コンビニがあるしな」
「………如何でも良いけど……」
「何だ?」
「帰ったら家が燃えてた、……は、勘弁だからね……?」
「いい加減黙れ御前」

 咄嗟に出た手に、痛、と夢芽の声が小さく響いた。




 昼過ぎ。
 夢芽も朝食をとった後、早々に家を出て行ってしまった。

 遂に、広い家に美弥1人きりが残されてしまったのであった。
 美弥はベッドに寝転びながらぱらぱらと雑誌をめくる。
 部屋にクーラーが効いている為、外に出る気も起きなかった。

「…腹減った…」
しかし、澪を見送る為早起きしたのが仇となり美弥の体内は昼食を欲していた。
 美弥は何とか空腹対策を講じようと立ち上がる。

「…コンビニ行くか」
美弥は長財布をポケットに突っ込むと、気だるげに家から徒歩数分のコンビニへと向かった。



「………」
コンビニの一角で適当におにぎりを2、3手にする。
 手持ちは精々高校生のバイト代。さほど潤っているわけではなく、コンビニ飯も制限しとかないと、と美弥は頭では理解していた。
 料理が全く出来ない美弥故に、そうもいかなくなってくるのが現実なのであろうが。


「あーっきいいいいいいいい!!!!!!!!!」
と、振り返る間も無く美弥の首に何かが絡み付いていた。

「…ぐァッ!?おまっ…!」
美弥は思わず引っ付いた相手を振り払う。
「狽モぎょおおおお、アッキー振り落とした!この人可愛い彼女を振り落としたよ!」
「コンビニで後ろから襲撃かける奴がいるかっ!如何見ても正当防衛だろ、今のは…!」
ぜえぜえ、美弥は息を切らしながらしりもちをついた相手を見下ろす。
 飛びついた相手は手を差し出すと、素直に捕まった。
 ぐい、と引っ張って相手を起こす。

 茶髪の長い髪を三つ編みにして下ろしているその姿は、美弥の恋人――彩川比奈子であった。
 水玉のワンピースにサンダルを履き、赤いリュックサックを背負っている。

「…大体、何で御前こんなところにいるンだ…?」
比奈子の家は暁家とは大分距離があった筈。
 今だ家の中に踏み込んだことは無いが、家まで送ったことは何度かある為場所は把握していた。

「ジュニアからメール貰ったの、アッキーにご飯作ってあげてって」
比奈子は即答すれば、携帯電話を取り出して弄る。
 メールの画面を出せば、相手にこれ、と示した。

「…、御前いつの間に夢芽のアドレス…」
「へへ、良いでしょ。ジュニア優しいもん、すぐ教えてくれたよ」
自慢げに携帯電話を掲げれば、美弥はハァ、と溜め息を吐いた。

「…家族のアドレスぐらい俺だって知ってる…って、言いたいことはそういうことじゃなくてだな…」
「今日はヒナチョ特製オムライス作ってあげるから楽しみにしててね!」
「人の話聞けっての!」
比奈子はそのまま、何を買うわけでもなくコンビニの出口へと歩く。
「じゃあ、アッキーのお家へレッツゴー!」
「………、…ハァ」

 美弥は盛大に溜め息を吐くと、おにぎりを売り場に戻して後を追ったのであった。



 再び、所変わって暁家台所。

「…おじゃましまーす、うわあー台所広いんだね!って言うかアッキーん家広いよ!」
1人はしゃぐ比奈子を横目に、美弥はこの後如何するべきか1人悶々と頭を抱える。
「ねえアッキー、台所のものは自由に使って良いかなぁ?」
「ああ、勝手にしろ…材料とかはあるかわかんねぇが」
「それは大丈夫、買い物してきたから!ヒナチョ偉い!」
比奈子は褒めてくれと言わんばかりにリュックサックから材料を並べる。
 確かに其処には調味料以外のもの――野菜や卵等、一通りが揃っていた。

 比奈子は最後にエプロンとバンダナを取り出すと、エプロンを巻きバンダナを三角巾代わりに頭に巻いた。
 準備の手際はなかなか良い。

「よーし、料理が出来ないアッキーの為のヒナチョのクッキングターイム」
「一言多い、一言」
「アッキーは座ってて良いからねー」
比奈子はそう言うと材料を並べだす。
 ふと美弥は違和感を覚えた。

「…珍しいな、手伝えとか言われるかと思ったんだが」
そう言うと比奈子は手を止めずに野菜を洗い始める。
「ジュニアに言われたんだよ、アッキー台所に断たせちゃ駄目だって」
笑いながら返せば、だから安心して、と作業を続けた。

 美弥はそうか、と一度頷く。
 しかし、何処か釈然としないものを感じていた。


 比奈子が黙々と作業に取り掛かるのを見やれば、美弥はひとまずリビングのソファに腰掛けることにした。
 元々横からちょっかいを出すタイプではないし、集中している横顔に声をかける気にもならない。
 ひとまず料理の完成を待つことにした。

「アッキーさぁ、暇でしょ?ヒナチョ作ってるから部屋行ってて良いよ〜」
「あ?…ああ」
呟くも、結局ソファからは動かずにぼんやりと正面を見やる。
 目の前にはテレビがあるが、つける気も起きず。
 暫くそのまま、背後を気にしながらもぼんやりと外を見やっていたのだが…

 とんとんとん、と規則正しい包丁の音を背に、美弥はくあ、と欠伸を零す。
 さああ、と、何かを炒める音が聞こえた気がした。

「アッキー、…アッキー?あれ?」
比奈子が声をかけるが、美弥はその場から動かない。
 美弥の前に回りこむと、比奈子はわ、と呟いた。
「アッキー寝てる…」
美弥は待ちくたびれたのかソファに凭れかかり、静かに目を閉じていた。しきりに寝息を立てている。
 比奈子はその寝顔を見て小さく笑うと、よーし仕上げちゃお、とダイニングへと戻っていった――

 …その時。
 派手な着信音が部屋中に鳴り響いた。

「わぁ!…アッキー…?」
音源はダイニングのテーブルに置いたままになっていた比奈子の携帯電話であった。
 比奈子は慌てて携帯を手に取り消音にすると美弥の方をちらりと確認する。幸い目を覚ましては居ないようだった。
 ほ、と胸を撫で下ろし電話に出る。

「…もしもしー?あ、ジュニアー?」

 ふ、と、美弥の意識が現実に引き戻る。
 耳に飛び込んできたのは…耳慣れた、高い声。

「…うん、大丈夫。ちゃんと着けたよー、…わざわざ掛けてくれたの?ジュニアやっさしー」
(…比奈子…?)
美弥は朦朧とした意識の中で、ぼんやりと相手の名前を呼ぶ。
 いまいち意識がはっきりとせず、頭をがし、と掻いた。

「大丈夫だってば、アッキーはリビングに隔離してあるし、…あ、本当にー?ジュニアの分も作って置いてあげよっか?」
へへ、と嬉しそうな笑みが零れる。
 ぼやける視界の中、美弥の視界には比奈子の楽しげな表情が映っていた。


「…うん、だから安心して――って」
ひょい。不意に携帯が比奈子の手の中から消える。
 同時に、比奈子の後ろから大きな腕が、その細い肩を抱き寄せた。

「……アッキー?起きてたの?」
比奈子はそっと上目がちで美弥を見上げる。
「…」
美弥は言葉に詰まる。『彩川サン?』と、携帯の電源ボタンから弟の声が漏れてるのを遠くに聞きながら、電源ボタンを押した。
「あ、ジュニア…」
比奈子はそう口走ると言葉を切る。

「…えーっと、アッキー?」
「…」
美弥は携帯をカタン、とテーブルに置く。

「…悔しいじゃねぇか」
「え?」
美弥は軽く己の口元を押さえる。
 が、直ぐにもう片手に添えるように、比奈子を後ろから抱きすくめる形になった。

「…ちょ、アッキー…」
比奈子は腕の中で身を捩る。

 わかっている。
 比奈子が誰に対しても、明るく優しいことぐらい。

「如何したの?アッキー何か変だよ?」

 わかっている。
 弟の電話は単に比奈子を案じて掛かってきたもので、特に他意は無いということぐらい。


「…でも」
「?」

 わからない。


「…比奈子」
「何?」
「好きだ」
「狽モぎょおお…随分唐突だねアッキー…」
比奈子の動きが硬くなる。

 我ながら、らしくないと思う。


「…比奈子」
「な、…何?」
「返せ」
「何を?」
つい勢いで突っ走った言葉。美弥は言葉に詰まると、再び片手を挙げ軽く顔を隠した。

「……やっぱいい、いらねぇ」
「?」
「いい、…いいから、戻れ」
美弥は比奈子を解放すると、回れ右してソファの方へと一歩下がった。

 無性に悔しい。
 自分だけ、持っていかれたままの心が。


「アッキー!」
が、その声に振り返ると――頬に、軟らかい感触が触れた。

「…っ!?」
「…へへ、ヒナチョだって、アッキーのこと、…その、大好きなんだからねっ」
言い終える前に比奈子は背を向け、台所へと戻っていった。


「………」
どさ、とソファに座り込む。


 これから昼飯だというのに。
 昂ぶってしまったこの感情を如何しろと。
 ひたすら自問自答を繰り返す美弥であった。

『…へへ、ヒナチョだって、アッキーのこと、…その、大好きなんだからねっ』
(………)

 妙に、湧き上がるものを感じた。



「…アッキー、出来たよー。ヒナチョ特製オムライスー」
「ああ…って何だこのケチャップの血飛沫は」
「失礼な!えっとね、ウサギとハートを沢山描いたんだよー凄いでしょー」
「見えねぇよ、ただの血飛沫に見える。…いただきます」
「良いもん、ヒナチョはアッキーみたく絵上手に描けないもん…美味しいでしょ?」
「…ああ、自分で言うのも如何かと思うけどな」
「へへーん、自信作だもん。…あ、アッキー、口のとこケチャップ」
比奈子の指先が美弥の唇を沿った。
 その指先をぺろり、舐める。

「…っ」
「私もお腹空いてきちゃった、チキンライス余ってるからもう一食作ろーっと」


(…如何しろって言うんだ…オイ、…今まであえて手ぇ出してなかったっつーのに…俺、…帰りまで持つのか…?こんな状態で…!)

 早鐘のように打つ鼓動を何とか押さえながら、美弥はスプーンを進める。

 どうやら美弥の苦悩は、比奈子が帰るまで続くようであった。








いつも有難う御座いますキャンペーン第一弾(…)暁美弥×彩川比奈子ちゃん。
(…キャンペーンっつっても、続くかは未定、つーか続けられんのかこれ(…))

…美弥比奈ー!(黙れ)
付き合い始めて早●年…いまだその熱冷めやらぬところを知らない美弥と比奈ちゃん。
比奈ちゃんPL様の許可を得たので書いちゃいました。
にしてもあんまりにも素過ぎていいのかこれな勢いです(…)
美弥と比奈ちゃんの仲は暁家公認。夢芽は勿論晴架や澪まで知ってるといい(…)
PL的には夢芽と比奈ちゃんの組み合わせもなかなか好きなんだ。
勿論夢芽は「兄貴の彼女」に手を出すような不精な奴ではないのですが。妙にほのぼのとします。

にしても本当に可愛いんですよー比奈ちゃん。私が書いたら普通の子っぽくなっちゃいましたが()
その素っ頓狂で奇想天外なところが大好きです、愛してます(褒めてます)

美弥背後共々比奈ちゃん大好きですので、これからもよろしくお願い致します(深々)>彩川PL様
背後様も大好きだ!()

んでもって続きそうですね、これ(コラ)
ちなみにエピローグ↓



「………、…この前、さぁ」
「ああ、お前勝手に比奈子呼んだだろ…ったく、勝手なことしやがって…」
「勝手…?…奥手な兄貴の為に、…折角弟が橋渡ししてあげたのに……」
「何だって…?」
「……そうそう、途中で電話切れたけど…あれ……」
「知らねぇぞ、俺は何にも知らない」

(………、…何かあったんだ、…な……)




勘の良い弟夢芽。
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