※ 注 意 ※
この物語は、第十話の後を想定して描かれています。
十話までの話のネタバレを含んでおりますので、第十話まで読んでいただいてからこの物語を読んでいただくことをお勧めいたします。
Holiday
時は、ある日の日中。
「で、今日は伯母さんがみんなを預かっていてくれるんです」
「そうなのか…」
「夜には帰ってくるから、それまでには戻らなくちゃならないんですけど」
フィッシュ館、5号室。
いつもは殺風景な部屋に色が付いたように、今日は空気が明るい。
自分は何もしていないのに昼食が用意され、それが終わるときちんと片づけがされ、みるみるうちに台所まで綺麗になっていく。
台所でてきぱきと働くその姿は、思わず声を掛けるのを躊躇ってしまうほどよく動いていた。
そう、ここはグルー・ブレイアンドの部屋で――
部屋で働いているのは、ティファニー・スロウリーの姿であった。
「…、ティファ」
「はい?」
「そんなことまでしなくていいんだが…」
床の拭き掃除を始めた少女に、グルーは声を掛ける。
「だめですよ、グルーさんの部屋って一見綺麗なようでホコリだらけなんですもん…今日来てみてちょっとショックでした」
「…それはそうだな、掃除して無いんだから」
「それがよくないんですよ、掃除はちゃんとしなきゃだめ、です」
小さな部屋を箒ではいて、雑巾で拭く。
その雑巾ですら最初は無かったのだから、布巾の古いものを使っているのである。
口に入るものには気を遣うが、ホコリなど直接人体に害が無いものには無頓着な男――それが、グルーであった。
「グルーさんはそっちの部屋でゆっくりしていてください、さっき拭きましたから」
「…いや、今日は本来お前がゆっくりする日じゃねぇのか…?」
「好きでやってるんだから問題ありませんよ」
にこりと笑って返されると、返す言葉が無い。
ひとまずグルーはもう一室に寝転がることにした。
綺麗に掃除された自分の部屋というものは、悪い気はしない。
「………」
外は天気がいい。休みだからと家に呼ばず、外に連れ出せばよかったかもしれない。
そんなことを考えると、暖かな日差しに目を細めた。
ゆっくりと、意識が堕ちていく。
何故だか、とても心が落ち着いていた。
* *
「………」
室内はとても静かであった。
ティファは雑巾を絞って干すと、グルーがいるであろう部屋にひょいと顔を出す。
「グルーさん、終わりまし…あれ」
するとそこには、寝息を立てて眠りこけるグルーの姿があった。傍らにしゃがみ込んで様子を窺うも、起きる様子は無い。
「寝ちゃってる…」
随分と珍しい光景である。グルーは基本的に無防備に他人の前に寝顔を晒すことは滅多にしない。
かくいうティファも寝顔を見るのは初めてであった。
「…ふふ」
さらさらの髪の毛、端正な顔立ち、角ばった輪郭。
こうして眠っていると、まるで大きな子供のようであった。
きっと疲れているのだろう。自分にとってもそうだが、彼にとっても今日は貴重な休日なのだ。
何かかけるものを、とティファは立ち上がる。
押入れを少し開けると、そこには毛布と枕が折り重なっていた。
よいしょ、と小さく呟いて取り出すと、そっと枕を頭の下に差し入れて毛布をかける。
枕を入れるのは少々大変な作業であったが、何とか起こさずに行うことができた。
「…さて、と…」
自分は何をして過ごそうか。とあたりを見回す。
物が少なく、無駄の無い室内で掃除するのも然程苦労は無かった。
ベッドと押入れ、クローゼットが一通り揃っていて、トイレとバスルームがある。
外見こそ古い建物であるが、ティファが想像していたよりこの部屋は遥かに機能性のある部屋であった。
何だか、自分がここにいるのがとても不思議な感じがする。
不意に、壁に掛けてある上着に目が入った。
グルーのものであるが、大分着込んであるためかところどころ解れている。
ティファはそれに手を掛けると、解れ部分を調べると、手持ちの鞄の中から、小さな針と糸を取り出す。
あまり目立たぬように、そこを少しずつ縫い始めた。
一針一針、丁寧に縫い進めているとグルーが身動ぎした。ティファははっとする。
「あ…起こしちゃいましたか?」
「…いや…寝ちまってたか……何、やってるんだ…?」
グルーは掠れた声でティファを見上げながら、ぼそりと呟く。
「グルーさんの服、結構ほつれてたから…繕ってるんです。あまりうまくないんですけど」
「お前…そんなことまで」
半ば呆れたような声で返ってくると、ティファは不安げに表情を曇らせた。
「あ…ごめんなさい、迷惑でしたか?」
「いや…そういうわけじゃねぇよ。悪いな…」
「いいんです、好きでやってるんですから」
ティファは表情を明るくしてそう返すと、再び作業に入る。
グルーはその横でその作業をじっと眺めていた。
ゆっくりと上体を起こすと、毛布を手にする。
すぐ横に、グルーの顔がきた。グルーは毛布をじっと見つめるとティファの方を向く。
「…これ、お前が?」
「あ…はい、よく眠ってましたから」
「悪い…サンキュな」
グルーはそれを適当に畳むと、立ち上がって枕ごと押入れに押し込んだ。そして再びティファの横にどさ、と腰掛ける。
ティファは相変わらず手元を動かしているが、グルーの視線はその髪のほうに注がれた。
緩く編まれている金髪に、グルーがそっと手を伸ばす。
「きゃっ…グルーさん?」
「…柔らかいな、髪」
そう呟くと、ゆっくりと頭を梳くように撫でる。
編み目に指が掛かると、そのまま指を外して手が下に降りた。
「…、ティファ」
「はい…?」
唐突に名前を呼ばれると、ティファはグルーをきょとんとして見上げる。
グルーは何時もどおりのポーカーフェイスで、三つ編みの先端を弄くりながら呟く。
「…解きたいんだが」
「え?」
一瞬、言葉の意味がわからずに短く声が出た。グルーは変わらぬポーカーフェイスでそっと三つ編みの先端を持ち上げると、短く返す。
「髪」
「っ、と、突然何言ってるんですかグルーさんっ」
ティファは顔が熱くなるのを感じながら、一気にまくし立てる。
「…駄目か」
「その、…駄目じゃない…ですけど…」
ティファはおずおずと呟き、自分の髪に手を掛けるもグルーに制される。
「いい、…俺が解くんだから、じっとしてろ」
「グルーさん…?」
真剣に呟くその言葉に、ティファが思わずきょとんとして言葉を呟くとグルーは手を止める。
「…何だ?」
「いえ…何でもないです」
再び真顔で返されると、思わずそう言葉が出る。
グルーはそれを聞くとゆっくりとその髪に手を伸ばす。
先端を結ぶゴムを、ゆっくりと解いた。
そのまま、形を残す三つ網に下から指を差し入れてゆっくりと解く。
「っ…グルーさん、くすぐったい」
「そうか…?悪い。…もう片方、いいか?」
「もう、…そういうの、いちいち聞かないでください」
少し怒ったような口調で小さく呟く。妙に気恥ずかしかった。
「…グルーさんはそういうとこ、全然わかってないんだから」
「そういうとこ…?」
「わざわざ聞かないでいいです…何か恥ずかしいから」
グルーの手は、そっともう片側の三つ編みに掛かる。
ゴムが解かれると、再びゆっくりとその髪が解けていった。
そのまま、手が上へと持ち上がり耳の上で髪をまとめる役割をしていたバンダナまで、取り払われた。
否、首の後ろで結び目が残り、髪を一つにまとめる形になっているが。
それを外そうと、グルーの手が髪を掻き分けて首筋を撫ぜた。
「やっ……!グルーさん、あの…」
「…何だ?」
ティファは慌てて片手で首筋を押さえると、グルーは再び手を止めティファの方を覗き込む。
「もっと、普通に…っていうか……」
「無理だな」
あっさりと一蹴されると、ティファは目を丸くして見上げる。
グルーは構わずバンダナの結び目に手を掛けると、ゆっくりと解き始めた。
ティファの手は、それを妨げないよう再び下へと降りる。
「ひゃぁっ…今、わざと触ったでしょう…?」
「不器用なんだ、許せ」
思わず出た声に、自分の手で口を塞ぐ。
「だから私が自分で…」
「駄目だ…俺が解く」
どこか躍起になっている様子の声音が、少しだけ可笑しい。
しかしその指が首筋を僅かに触れる度、ぞくりと背筋が震える。
ティファは手にした裁縫用具を近くの棚に置き、体育すわりの体制になった。
膝に顔を押し当て、僅かに俯く。顔が妙に熱い。
バンダナが解けると、ふわりとその髪が顔の横へ落ちる。
胸より下の長いブロンド、それはまとめておくには少々厄介な量だった。
グルーはゆっくりと髪を梳きながら、撫ぜる。
「…結構多いんだな、髪」
「ええ、…量とか質は母譲りなんです。…色は、知ってのとおり変えちゃってますけど」
その手つきはどこかぎこちないながら、肌と触れ合うか触れ合わないかの位置で指が動いていて、とてもくすぐったい。
ティファは僅かに身動ぎして頭を離す。
「…グルーさん、…その…くすぐったい…です」
「ほう…」
呟くと、グルーは片膝を立てるとすぐ横に座っているティファの腰にすっと手を回した。
抵抗する間も無く、ティファの身体は少し横にずれグルーの足の間にすとん、と座らされる。
「!…グルーさん…?」
そのままグルーがティファを後ろから片手で抱きしめる構図になる。グルーは髪に顔を埋めると、
「良い匂い、するな。お前」
「…シャンプー、変えたんです。クレイアさんとお揃いなんですよ」
ティファはふふ、と笑う。
「随分と微妙な奴に合わせたな…」
「クレイアさんの髪、凄い綺麗なんですよ。お手製だって言うから、この前ちょっと調合してもらったんです」
「…なるほど」
もう片方の手は、相変わらず髪を撫でるのを止めていなかった。
くすぐったさにも慣れ、逆に、その手が心地良くなってくる。
「グルーさん、そうしていて飽きないんですか?」
「ああ…」
「ふふ…そんなに楽しいんですか?」
不思議そうに笑うと、グルーはその髪ごとティファを両手で優しく抱きしめる。
髪に顔を埋め、そのまま耳元に頬を寄せた。
「…ああ、楽しい」
「っ…グルーさん、…びっくりした…」
「お前の髪……ずっと、触ってみたかった」
「え……」
そう肩越しに響く声は、驚くほど優しい。
グルーの顔を見てみたい気がした。今の声は、笑っている気がする。
それでも、ティファは今自分の顔を見られたくは無かった。
「…少しこのまま…いいか?」
耳に掛かる吐息に、背筋を震わせるもティファは呟く。
心地良い体温が背中から伝わり、頬を再び蒸気させていくのがわかった。
「…だから、わざわざ聞かないでください…」
早鐘のように鳴る心臓の音が――どうか、相手に伝わりませんようにと祈りながら、ティファはゆっくり目を閉じた。
fin