-in several months Olive side 1-


 全てが終わったあの日から、数ヶ月の時が経とうとしている。
 あたしは、まだこの屋敷で暮らしていた。

 元々あたしには住み家が無い。母さんと住んでいた家は三年前、母さんが死んだのと同時に売り払ってしまった。
 街からは外れているけれどもほど近いこの場所は、父さんが長年暮らしていたのもわかるほど住み心地が良い。

 あたしは今までさまざまな地を転々としては、ひっきりなしに調べものと魔法の練習に明け暮れていた。
 そして、ひとつの計画を立てて――あたしは、ここに来た。

 計画は成功したはずだった。さまざまなトラブルはあったのだけれども。
 結果的に“ラピスを殺す”目的は成功したのだ、…けれども。

 あたしはラピスを思い出しては、涙が枯れるまで泣き続けていた。

 何故かはわからない。
 あんなに憎かったはずなのに。
 あの一週間で、あたしの何がこんなに変わってしまったのだろう。

 あの一週間。
 この十年間ずっと、苦しみと憎しみに囚われて生き続けていたあたしが――唯一、何も知らない真っ白な、普通の女の子として生活した…一週間。

 あの一週間の間で、あたしの何がこんなに変えられてしまったのだろうか。

 ラピスを刺した手ごたえが、思い出されてはあたしの胸を裂くようで。
 成功したはずだったのに、十年恨み続けていた相手を――殺すことができたと言うのに。

 “――恨み続けていた?”

 あの一週間を入れてしまうと、それは語弊になってしまう。
 けれど、…あたしはどうも、あの一週間の“記憶”が…それまでの十年よりも、何よりも貴い貴重な思い出のように思えていた。

 計画が成功して、嬉しいはずのあたしの“想い”
 あの一週間を、愛しく想い返しているあたしの“想い”

 どっちが、あたしの本当の“想い”なのかわからない。

 あたしはそう思い続けながら、今日も一人で洗濯物を干していた。
 唯一残った瑠璃色のネックレスは、今も胸に光っている。
 父さんの遺品であると同時にあの一週間の証明ともなっているこのネックレスは――この数ヶ月間、手放すことが出来なかった。

 …あれ。
 あたし、あの日計画が成功して、一度でも喜んだ?
 一度でも、あの“悪魔”が死んで嬉しいと思った?

 …答えは、“NO”だった。

 だって、…ラピスの消えたあの瞬間の、あの綺麗過ぎる微笑を思い出すと――

 やっぱり、涙が流れてくる。

 思えば、あの日以来――あたし、笑ってない。


 ふと、一枚の洗濯物が風に流されてテラスからふわりと飛んでいった。
 あれは…あたしのハンカチ!母さんの形見のものだった。

 ぱさ、と…それが誰かの、頭に被った。
 誰かはわからない。とりあえず、声だけかけておこう。

「ごめんなさーい!今取りに行きますから!」
それだけ言うと、あたしは慌しく下へと降りていった。

 …あれ?この辺ってこの屋敷以外に屋敷は無いわよね?
 あたしはそう思いながらも、外へと踏み出た。


 思わず、あたしは目を疑った。


 忘れもしない、さらさらの銀の髪。
 とても優しげな表情をしていて瞳の色は綺麗な瑠璃色。
 唯一つ、違和感を残してその姿は――


「……お久しぶりです、オリーブ様」


 紛れも無く、ラピスその人だった。


-in several months Olive side 2-


「な…んで…」
あたしの口からは、それだけが精一杯だった。
 足もすくんで、その場から動けない。
 目の前にいる人は、…とても…

 けれど、ラピスは、確かにあの時――


 ラピスは、その場で微笑んだまま――話し始めた。

「…私は、あの時全てが終わったのだと思いました。…私の魂も、悲しみも、苦しみも…そのまま消えてなくなるものかと」
ラピスの微笑みは、変わらない。
 ただ、何だろう…何かが違う。何か違和感が有った。

「…目を覚ますと私は、人間界へと召喚――いいえ、送り込まれておりました。…それも、“人間”の形で」
あたしははっとした。
 そうだ、違っているのはラピスのあの尖った耳と角――それが完全に、人間の耳になっている…!!

「私は魂は生き残れたわけですが…魔族の頃に備わっていた魔力は、全て失っていたのです。結局人間として生まれ変わることは“罰”だった…」
ラピスは、淡々と話す。確かに、手にはしっかりと…盲目ための杖が握られていた。
 あたしは、まだ…言葉を発することが出来なかった。
「…この世界に人間として送り込まれた私は、何もすることが出来ず――月日のみが過ぎ、倒れたところを運良く病院へと担ぎ込まれたのですが…盲目の記憶喪失者として扱われました」
ラピスが、あの頃よく見ていた表情で――微笑む。
「幸いこの街ではそういった人間を教育するための施設が充実していて、私は何とか――一人で暮らしが出来るようになりました。異例のスピードだそうですが…そこで、私はこの街が…この屋敷のふもとだと言うことを、人から聞いたのです」
ラピスが、あたしの目をまっすぐに見据える。…見えていないのはわかっているけれど、あたしは思わず一歩退いた。

「…オリーブ様、私は今――ただの盲いた人間です。貴女が殺そうと思えば、簡単に殺すことが出来る」
「…っ…」
「私は、…貴女に、もう一度殺されにきました」

 何を言っているのだろう。この人は…
 私は、思わず固まった。ラピスの顔は、真剣そのもので。
 あたしは、暫しの間の後震える声で――問いかけた。

「…その、ために…?」
「…?」
「そのため、だけにここに来たの…?あたしに殺されるため、だけに…?」
恐る恐る問いかける声に、…ラピスの顔が、微笑んだ。

 あの時と同じ、…ひょっとしたら、もっと綺麗な――微笑で。

「私は、この世界に来てから――どういう訳か、ずっと貴女にお会いしたかった」
「…っ!?」
「この手に覚えこませたあなたの顔が――片時も、頭の中を離れず――ずっと、あなたにお逢いしたいと…私は願っておりました」
ラピスが、片手を僅かに持ち上げる。その手を、見えていないのに、愛しそうに見つめる。
「…ですから、貴女にお会いした後に貴女の手で殺されるのでしたら…今度こそ私には、一端の悔いもありません」

 見とれるほど、綺麗な微笑だった。

 あたしは、ラピスのところまで歩いていった。ラピスは、どうぞ、とあたしに向かってハンカチを差し出す。
 それを受け取ると、あたしはラピスを見上げて――その手に、代わりに瑠璃色のネックレスのトップを持たせた。

「これは…」
「ラピス、あなたのマスター“オリーブ”として命令するわ」

 ラピスは、不思議そうにするも…あたしがそう言うと、その石へと口付けた。





「ラピス、あたしの一生分の契約を施行します」





 言った後、ラピスは驚いたようにあたしの顔を見返した。…否、そういう表情をしただけ、だけれど。
 あたしは、思い切りラピスに抱きついた。

 ずっと、こうしたかった。


-in several months Lapis side 1-


 数ヶ月の時と言うものは、とても長く感じた。
 魔族であれば瞬きも同然と過ぎてしまう、その年月。
 手に覚えこませていた感覚は、人間の身体になってもなお――少女の顔を私の脳裏に刻み込んだ。

 何故だかわからない。あの一週間で、私の何が…こんなにも変わっていたのだろう。
 もはや、この少女に逢い殺してもらうことを目的として…ただ生きていただけであった私が。

 この少女は、最初はただの“記憶を無くした少女”であったのに。
 “八歳だったあの少女”の成長した姿と気付いた後は、それまで以上に気を配っていたはずなのに。
 意識してしまっていたのは、少女より先に、真実を悟ってしまったせいだったのだろうか。

 私は、ずっと――この少女に、“会いたかった”

 私は今日、本当に自分の命を捧げるつもりでここに来た。
 捧げた言葉に嘘偽りは一端も無く、素直に私の口から出た言葉であった。

 その中に、僅かな言葉を犠牲にしながら。

 しかし、少女の言葉は――私の考えていたことの全てを、超越していた。



「ラピス、あたしの一生分の契約を施行します」



 その言葉は、とても重く――一瞬、私には到底理解しがたかった。
 直後、オリーブ様は私に抱きついてきた。熱を持った圧迫に、私は、困惑しながらも少女を支える。
 感覚が人間のものとなって以来、こうしてこの少女を感じたのは――初めて、だった。

 その感覚を、すぐに受け入れられることは出来ずに――私は、速くなる鼓動を押し殺していた。

「…何故…」
思わず、言葉が口から漏れる。
「私は今…ただの盲いた人間です。貴女を護って差し上げることも出来ない――むしろ、貴女に迷惑をかけてしまう、ただの迷惑な存在です」
少女の肩を離そうと、両手を当てる。オリーブ様は、私の胸で――違う、と首を振った。
「あたしは、あなたとずっとここにいたかったの!」
その言葉に思わず、両手に僅かにこもっていた力が――弱くなる。
「ラピスとずっと、あの一週間のように暮らしていたかったのよ!!ずっとそうしていたかったの!!…もう、…あたしにあなたを殺すことなんて……出来ない…」

 少女の言葉と、同時に――どくん、と胸が鳴るのを感じた。
 感じたことの無い衝動と、それを抑えようと働く意識と。
 ただ、私の胸に頬を寄せるこの――少女を、感じる心と。

 味わってはならないと、抑えてきた喜びが――堰を切ったように止め処なく溢れ、抑えることが――出来ない。

 私は、求めるように少女を思い切り抱きしめていた。

「…っ…」
驚くほどに、細く、柔らかい。今までかつて、こうした想いで女性を抱きしめたことなど――あっただろうか?

 もはや、抑えなど――利かなかった。

「…言ってはならぬと、ずっと堪えてきたのに――何故、あなたは…」
「…?」
「…何故…」
と、暫く私の胸の中で黙っていたオリーブ様が…小さく言葉を、発した。

「…言ってちょうだい」
「…?」
「ラピスの言葉…あたし、聞きたい。今までのマスター皆に宛てる言葉じゃなくて…ちゃんと、あたしに宛てた言葉」
きゅ、と服の袖を掴むのがわかる。その仕草さえ、私は――


 私は、少女をもう一度――腕の中にしっかりと抱きしめて、囁いた。




「――愛しております、オリーブ様…この身を全て、貴女に捧げたいと思うほどに――」




 小さく頷く少女の仕草に、もはや、“抑え”など必要なかったのだと――私は悟った。


 その日、私は永久にオリーブ様の“専属”となった。
 殆ど見えない灰色の光が、初めて――“綺麗”だと、思った。








-fin-



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