-4th day Lapis side 2 -
――その日の夜、深夜のこと。
『――…!!』
誰かの声が、意識の奥底から響く。
『――…嘘つき…っ!!』
誰かの声が、私の心を切り裂いていく。
頭が、重い――
仕舞いには、同じ声しか聞こえなくなった。
”目の前が”、真っ暗になった――
「――っ!!」
思わず、がばっと上体を起こすと――目の前は変わらぬ、真っ暗なままで…まだ夜は明けていないことが、私にもわかった。
全身が、雨に打たれたかのように汗に濡れている。…どうやら、悪夢を見ていたようだ。
一体いつまで私は、あの日の呪縛に囚われているのだろうか。
半永久的な寿命を持っている以上、”魔族”として己の考え方が間違っていることはわかっている。
しかし、私は絶対に忘れてはいけない――
あの日起こった出来事、己が壊してしまった、大切な――
……、…大切な…?
実際には血の通っていない己の肉体から、血の気がさっと引いていくのがわかった。
何故、今まで気付かなかったのだろう。せめて、もっと早く、気付く余地は幾らだってあったはずなのに。
その日、私はまだ誰も気付いていない真実を――悟った。
しかし、心は――自分でも驚くほど早く冷めて、落ち着いていくのがわかった。
-5th day Olive side 1-
ラピスって、絶対女の人を2〜3人は確実に泣かせていると思う。
いや、生きている年数が長いんだからきっと2〜3人どころではないはず。
それだけ、昨日のあの台詞は……キた。
「可愛らしい…って何よ」
物干し台の下で、洗濯物を干しながら一人、呟く。
此処は建物の裏手のほうのテラス。ちょうど此処は、潮風を避けて山からの乾いた風が入ってくる。
此処数日、洗濯もしてなかったから久しぶりに一気に洗濯したのよね。
そういえばラピスのあの服、洗濯しなくて良いのかな。
あれも使い魔的なものだって昔誰かに聞いたことが有るから、必要無いとは思うのだけれど。
あたしは自分のワンピースを、ぴんと干しながら…やっぱり、昨日のラピスの言葉を思い出してしまっていた。
その後沢山話をしたはずなのに、他の話なんて、実際殆ど記憶として残っていなかった。
昨日、ラピスにあの言葉を聞いたとき。
本当に顔から火が出るかと思った。
確かにそりゃあ、ラピスにしてみれば私はまだ十代そこらのガキなんだから。
だから、小さい子に言ってる感覚と同じなのかもしれないけれども。
…わかっていても、そういうわけにいかないじゃない。
頭では、しっかりそう理解しているのに。
気持ちが追いついていかないの。
だってラピスとは、もうあと、今日を入れて三日しか無いお付き合いなんだから。
その後は、きっと逢うことも無いのだから。
「…そういえば」
ラピス、ちゃんとご飯食べたかな。
ラピスは、今日は朝食を一緒に食べなかった。
朝、いつまで経っても起きてこないから…部屋へと行ってみたのだけれども。
「申し訳ございません、朝から少々気分が優れないのです。そこに置いておいていただけませんか」
そう、扉の奥から聞こえてきた声はいつものラピスとは雰囲気が違っていて、何故だか踏み込んではいけないものを感じた。
「…わかった。此処に置いておくから、ちゃんと食べてね」
体調が悪くてもシチューぐらいはきっと食べれると思ったから、そのまま置いてきたのだけれども。
そもそも魔族って、体調悪くしたりするのかな?
そんなことを、考えながら…一度様子を見に行こうとあたしは空になった洗濯籠を手にして室内へと戻っていった。
と、目の前にはラピスがいた。あたしは思わず一歩後ずさる。
「ラピス!?……、気分はもう良いの?」
あたしは思わず素っ頓狂な声を出してから、そう返して小首をかしげた。
ラピスの表情は、見たところ昨日と変わった様子は無く、変わらず微笑んでいた。
「もう大丈夫です、ご心配をおかけしました。食器のほうは、全て洗っておきましたので」
「そんな、気を遣わなくて良いのに…!って言うか洗えたの?」
「少し力を使いましたので」
「何やってるの、気分悪かったのに力なんて使っちゃ駄目でしょう!?」
と、思わずラピスを叱る口調になってしまう。
「…大丈夫です、この程度でしたら心配には及びません」
「でも…」
「大丈夫です、…休ませていただいたおかげで、もう気分も良いですので」
と、それ以上は有無を言わせてくれないようであった。ラピスは微笑むと、外を見る。
「洗濯物、干してたのよ。…ラピスのそれも、そろそろ洗ったほうが良いんじゃない?」
「私のは使い魔的なものですから、洗う必要はありません」
ラピスの返答は、やはり想像していたものと同じ。とりあえず、それ以上は追求しないでおくことにした。
「そう?…とりあえず、中入りましょ。もう干し終わったから」
私はそう笑いかけて言うと、ラピスはそうですね、と微笑んだ。
私は、ラピスの変化に気付かなかった。
純粋に、気分が優れなかったのもただの体調不良だとか、そんな風に考えていた。
私はそのとき、ラピスがとても大きな決意をした後だったなんて――知らなかった。
-5th day Olive side 2-
「ここを探そうと思うの」
「ここは…最初にオリーブ様が私を召喚なさった場所、ですね」
私がラピスを案内したのは、そう、最初のあの日以来足を踏み入れていない部屋。
階段を上りきった最上階にあるこの部屋は、小さくて狭く。私がラピスを召喚した時に使ったと思われる魔法陣と、その周りには古い道具や資料などが積み上げられていた。
「ラピスは入り口で待機していてくれれば良いわ。中は狭いし…何かあったら呼ぶから」
「わかりました。どうか足元にお気をつけて」
ラピスがそう言った言葉に私は一度頷くと、部屋へと一歩踏み入れた。
最初の日にも感じた、雰囲気。
ここだけは、とても懐かしい雰囲気がした。
真っ白な”記憶”の中にも、僅かに色が付いているような――ここは、そんな雰囲気の場所だった。
とりあえず、奥のほうへと足を踏み入れる。
と、足元でごご、と何かが動いた音と硬い感触があった。
「…?」
目を落とすと、それは大きなきらりと光る杖――先端は鎌のように曲がり、尖っていて根元には紫色の宝石が埋め込まれている。
これは、私が最初に手にしていたものだ。そうだ、ここに置きっぱなしにしてあったんだ。
窓から差し込む光が、その先端できらりと反射した。
とりあえず私は、それを一旦足元に置く。
奥へと踏み入れていくと、机の上に一つの写真立てがあった。
「――!?」
私は、その写真立てを手に取ると、目を落とした。
そこにあったのは、セピア色のもうところどころ黒ずんだ写真。
写真の中では――女の人と小さな女の子が、二人で楽しそうに笑っていて――
「――これって…!!」
一気に、記憶が過去の一部とダブる。また昨日と、同じ感覚。
写真の女の人と女の子が、2人で笑い合ってる図が…頭の中を駆け巡る。
楽しかった日々が、まるで今まで真っ白だった”記憶”のページにペンを走らせているかのように。
それが、”記憶”として、私の頭の中にしっかりと蘇っていった。
そう、私はこの女の人の”娘”だった。
彼女の横で、無邪気に微笑んでいるのは”私”
厳しいけれどとても優しいお母さんがいて、写真が趣味なお父さんがいて、この写真を撮ったのも――
――そこで、目の奥…脳の奥が、ずきり、と痛んだ。
「――っ!!」
思わず、私はその場で写真を落として座り込む。
頭が、割れそうに痛い。
「オリーブ様!?」
ラピスがあたしを呼ぶ声が、少しずつ――遠くなっていった。
-5th day Lapis side 1-
ここは、オリーブ様の自室。
突然倒れた少女は、今はベッドの上へと寝かされている。
足元には、写真立てらしきものが落ちていた。
当然中身を見ることは、出来なかった。
実際力を使えば見えないことも無いのだが、それはやらなかった。
記憶が戻ったのだろうか。
いや、あの雰囲気だと”全て”が戻ったわけではない。
しかし、少女の記憶は――確実に、戻り始めている。
私は少なからず、危機感を覚えた。
私は今更何を考えているのだろう。
全てがわかった今、どうするかはもう、決めたはずなのに。
ずっと、この時を待っていたはずなのに。
私の中で静かに打ち寄せる、畏怖の波が――酷く情けない。
私は、この数日間で――何を思って、この少女に接してきたのだろうか。
「――…ん…」
と、オリーブ様は小さく声を上げた。
「…お気付きに、なられましたか?」
私は、仮面を被って――彼女へと、微笑みかける。自分でも己の顔が見えないのだから、本当にこの顔が笑っているのかは…わからないのだが。
恐らく、あと三日。三日で終わる、その思いを、胸にしながら――
-5th day Olive side 3-
夢を見ていた。
とても昔の夢で、とても楽しくて。
けれど、急に目の前は真っ暗になって。
とても苦しくなって、そして――
あたしは、罪に手を染める。
そこで、あたしは目が覚めた。きっと見ていたのは過去の夢。
夢の内容は殆ど覚えていないけれど、楽しいことと苦しかったことが、両方あったのだけは明白に覚えている。
「…ラピス……あたし…っ」
「急に倒れてしまわれたのです。…気分はいかがですか?」
ラピスは、変わらず微笑んでいた。
あたりを見回すと、ここはどうやらあたしの部屋。
ラピスはきっと、ここまで運んできてくれたんだ。
ラピスの顔を見たら、一気に全身の力が抜けた。夢の中での苦しかった余韻は、まだあたしの身体に残っているけれども。
ラピスは、何も、訊かない。
静かに、少し離れたところからこちらを見ているだけだった。
「…ラピス?」
何となく、その名を口にする。
ただ、その名を呼びたくなっただけ、だけど。
「何でしょう?」
ラピスは優しく微笑む。
「こっち、来てちょうだい」
起き上がるのも胸が苦しくて、あたしは横になったままラピスを呼んだ。ラピスは私の横に来る。
まだ、ちょっと遠い。ラピスは背が高いから、仕方の無いことなのだろうけど。
「少しかがんで。あたしの手が届くまで」
「こう…でしょうか」
ラピスの顔が、少しずつ私に近付いてくる。あたしは、腕を少し伸ばせば届く距離にまでラピスの顔が近付くと、ストップ、と制した。
ラピスの顔に、そっと触れる。
「…オリーブ様?」
ラピスの肌は、血は通っていないのにとても、暖かく感じる。肌はとてもすべすべで、柔らかい。
「ラピスの肌って綺麗よねぇ…女の私でも嫉妬しちゃうぐらい」
そうでしょうか、とラピスが呟く。思わず、少し引っ張ってみたくなって…私はラピスの頬をつまんで、放した。
「…何をなさるのですか」
流石のラピスも、表情は怒っていなかったけれども。不思議そうに尋ねてきた。
「あは…柔らかかったからつい。ごめんね」
思わずその表情が可愛くて、くすりと笑い出してしまう。手は引っ込めたが、ラピスとの距離は伸びない。
もう良いわ、と言おうとしたところで…ラピスの方から不意に手が伸びてきた。
「失礼致します、オリーブ様」
「…っ!?」
避ける余地もなく、ラピスの手はあたしの頭、髪、頬、鼻と…確かめるように撫でていく。
な、…なんだかとっても恥ずかしいんですけど…?
ラピスに見えていないのはわかっているけれど、舐めるような手の動きを通してその視線が、まるでラピスが見えているかのような錯覚を起こさせる。
「…ラピス…っ!?」
「…こうしなければ、顔の形がわからないものですから」
ラピスの片手は、更に舐めるように頬から顎の筋を撫でていく。
「やっ、ちょっと…くすぐったい」
思わずあたしは肩を竦めた。いくら確かめながらと言ったって、くすぐったいものはしょうがない、しょうがないの!
そこでやっと、ラピスの手が離れる。ふっ…と、あんまりにもあっけなく。
手とともに、ラピスの身体もす、と身を引くように一歩下がった。
温もりが離れていくようで、何だか少しだけ寂しさを覚えた。
「…これは失礼。…オリーブ様の肌も綺麗ではありませんか」
「え?」
「私の身体は所詮魔族の器…人間のそれには到底叶いませんよ」
まさか、…それを言うためだったの?あたしは、思わずそう聞き返しそうになって自分の口を思わず塞いだ。
頬に残る感覚が、今更蘇ってきて――更に、顔は熱を増していく。
「…ラピスって…」
「…?」
「…ううん、何でもない」
この顔は、見えていない。不謹慎だけど、それだけが救いだった。
少し落ち着いて、再びラピスのほうを見返してみようとあたしは顔を上げた。
すると、ラピスの表情が、とても怖い――何かに、見えた。
夢の中で見た、何かに――
「――っ!?」
思わずあたしは身を硬くする。
「オリーブ様!?」
ラピスも、あたしのただならぬ様子を感じ取ったのか再び此方に駆け寄ってくる。
「来ないで!!」
…思わず、あたしは恐怖でそう叫んでいた。ラピスはその場で立ち止まる。
あたしは目を閉じた。落ち着け、どうしたんだ…あたし。
夢の余韻はさっきので消えたと思っていたけれど、…すっかり忘れていたけれど、あたし、今少しずつ記憶が戻ってる状態なんだ。
「…ううん、何でもないの」
思わず、そう口走る。
頭の中では、さっきの夢の余韻と似た入り混じった感情が渦巻いている。
何をあたしは思い出したのだろう。ラピスを見て何を思ったのだろう。
そうだ、あたしは何故ラピスに記憶を取り戻してきているのか言わないのだろう。
ラピスはあたしの記憶を取り戻す手伝いをすることが仕事なのだから、少しでも記憶が戻ったことを…あたしは真っ先に言わなければならないはずなのに。
けれど、あたしはその顔を――何故か見ることが出来なかった。
動悸が激しく、こうして顔を背けていないと息も切らしそうだった。
さっきの感情とは、全く違う――
「…ラピス」
「何でしょう?」
「今日は部屋に帰ってくれる?一人で考えたいことがあるの」
出来るだけ、不快感を与えないようにあたしは言った。その顔を、見ないように。
ラピスは察してか、全く気を悪くしていないように微笑むと――了解しました、と一言言って部屋から出て行った。
とても、沢山のことを考えた。
記憶を、少しずつ引きずり出していった。
あたしの名前はオリーブ。
母が一人、父が一人、…。
母はとても教育熱心で、あたしに沢山の本を読ませた。けれど勉強以外のこともしっかりしていて、遊びにもよく連れて行ってくれた。
父は、――…思い出せない。
母と過ごした記憶が鮮明で、けれど、あたしは父のことも大好きだった記憶はある。
そして、あたしは魔法の勉強を死に物狂いでやっていた。
それはもう、その記憶から大分後のことで。
魔法書を片っ端から読み漁り、あの杖は――
――そうだ、あの杖は父が遺してくれたものだ。
確か、自分の使っていた杖の一本を…女の私でもいつか使えるように、打ち直したものだった。
今日だけで、これだけの“記憶”が頭の中で蘇った。
ただ――肝心なことが思い出せない。
ここ数年、生活してきた記憶と…
恐らくここの屋敷の所有者である父の記憶。
更に、…“あたしが何でラピスを呼び出したのか”という…一番肝心な、記憶の部分が。
まだ、あたしの頭の中では真っ白な白紙のままだった。
さっきラピスに重なった“恐怖の対象”が何なのかも――わからなかった。
けれど、そう記憶の整理がついたところで、あたしの身体からはどっと疲れが出てきた。
意識はそのまま――深い眠りの中へと、引きずり込まれていってしまった。
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