-4th day Olive side 1 -


 自慢じゃないけど、料理は得意な方である。
 誰かに教えてもらったとか、そういう記憶があるわけじゃないけれど。
 道具の使い方と、食品の扱い方などの知識は、あたしの頭にしっかりと植え付けられていた。

 あたしは、台所に立って朝食と昼食を作る。
 今日は同じものにするから、少し多めに作ろう。
 そう思って、あたしは冷蔵庫や棚の中から食品類を取り出す。

 きっとあたしは、記憶を無くす直前に買い物でもしていたんだと思った。
 それも、”誰かと二人でいることを想定した”量が棚に入っている。

 あ、当然か。ラピスを召喚したのは紛れもなくこのあたしなんだし。
 そう思い直してあたしは材料をボールに入れてかき混ぜた。

 そこでふと、あたしの記憶が突然過去の何時かの記憶と――ダブった。
 あたし、昔、こうして台所に立っていた。
 パズルのピースが一つはまったかのように、あたしの中で何かが弾けた。

「――っ!?」

 それは、確かな”記憶”であった。
 目の奥がずき、と痛む。思わずあたしは、手にしたボールを落としそうになった。

「オリーブ様!?」
今までいなかったラピスは、気付いたら台所の扉の前にいた。流石、早い。

「大丈夫よ、ちょっと頭が痛くなっただけ」
「それは大変ですね…本当に大丈夫ですか、少しお休みになられたほうが…」
ラピスは、心配そうな表情であたしに近付く。それが、気遣いだと言うことぐらいはわかっていた。

 ところが、あたしの足は何故か一歩後ずさっていた。
 ラピスはそれに気付いたようで立ち止まる。

「…ごめんなさい、本当になんでもないのよ。大丈夫」
笑ったつもりだった。…ラピスには見えては居ないのだから、声でわかってしまったかもしれないけれども。
 それでもラピスの表情は、いつもの微笑に戻っていた。
 あたしは、ほっと胸を撫で下ろす。
「…なら良いのですが」
「本当に大丈夫よ、だからテーブルで待っていてちょうだい。すぐ朝食を持っていくから」
ラピスは、はい、と一言言うと…テーブルのほうへと歩いていった。

 過去。
 あたしの頭の中の、その部分だけは…未だ、真っ白のまま。
 まるで、”記憶”という名の白紙の本がそのままあたしの頭の中に存在しているようで。

 その中の、ほんの一節が――さっき確かに、頭の中に形作られたはずだったのに。

「…さて、後は揚げるだけ」
生地をこねてしっかりと形を作ると、私はそれを油の中へと落とした。熱くなった油は、小さな破裂音を立てながらそれへと火を通していく。
 早くも火を通した一つ目を、箸で油から上げて油きり用紙の上に置く。
 あまり考えすぎないようにしよう。そう思って、あたしは二つ、三つと油の中に落とした。

 多少の、油断だった。
 二つ目は上手く、油の中に滑り込んだ。
 が、三つ目は油面より僅かに上で――私の手にした箸から、落ちた。

「!?きゃあっ――!!」
油は跳ねて、あたしの左手に僅かにかかった。手の甲に裂くような痛みが走る。

「オリーブ様!!」
ラピスが、すぐにテーブルから飛んでくる。あたしは、水道でとりあえず傷口を冷やした。
 ラピスは、火を止めるとすぐにこちらへと歩いてきた。流石に冷静。
 ラピスはいつでも冷静だってわかっているけれど、その冷静さに少し感心した。

「…っ…ラピス、大丈夫だから…大したこと無い、ちょっと油が跳ねただけよ」
「其れは大したこと有ると言うのです、…オリーブ様、お手を拝借」
ラピスの表情は、いつに無く真剣だった。ラピスは水につかった私の手を左手でひょいと取ると、右手をその上に重ねた。

 すると、不思議なことに…どんどん、傷は癒えていった。
 痛みが消えていくのがわかる。
 ラピスが右手を除けて、私の手が露になると…傷は、跡形も無く消え去っていた。
「凄い…」
思わず、そんな言葉を呟く。顔を上げると、ラピスの表情は…少し、曇っているように見えた。

「火の扱いにはくれぐれも注意してください、多少の油断が命取りになりかねませんから」
あたしは、一度頷く。確かに、ラピスの言ってることは正しい。
「後三日間は私が護って差し上げられますが、その後はそういう訳には参りませんから」

 ラピスの言葉を聞いて、気付いた。
 そうだ、後四日しか無いんだ。もう折り返し地点なんだ。
 目の前のこの人は、四日過ぎたらもう――いない。

「…どうなさったのですか?オリーブ様」
「…、…なんでもない、ありがとう、ラピス。朝食、すぐ出来ると思うから…待ってて」
出来るだけ、笑ってみせた。ラピスは、わかりました、と言うとテーブルへと戻っていった。

 ふと、気付いたことが有る。
 あたしは、何でラピスに記憶が戻りかけたことを言わなかったのだろう。

 そんなことが、少し頭を過ぎったけれども。
 あたしは、油を温めなおして朝食作りを再開した。


-4th day Olive side 2-


「ラピス、ドーナッツが好きって言ったでしょ?作ってみたのよ」
あたしは、そう言ってラピスに皿を差し出した。ラピスは、それを持って目の前に置く。
「わざわざ作ってくださったのですか。だから油を…」
「あ、気にしないで。作ってみたかっただけだから。作り方知ってたし」
と、あたしは席について笑って言った。

「…頂きます」
と、一言。言ってからラピスがドーナツを手に取る。
 …ラピスがドーナツを齧っている姿って、正直、とっても似合わない。
 けれども、その”似合ってない姿”が、妙に可愛らしい。
 何か、妙に少年っぽいって言うか…うん。

「…どう?」
問いかけてみると、ラピスは一瞬僅かに目を丸くするも…ふわりと微笑んだ。
「…美味しいです。とても」
その言葉だけで、あたしの心は一気に安堵した。

「やった、良かったぁ…実はね、あんまり自信無かったの。幾つか材料の配分も目分量だったし」
「充分ですよ。とても美味しいです」
「お世辞じゃないわよね?」
「お世辞じゃありませんよ、本当に美味しいです」
ラピスはわざわざ復唱して、もう一度、美味しい、と言う。何だか、その気遣いが妙に嬉しかった。
 あたし自身もドーナツを一口齧る。…ああ良かった、美味しいわ。

 そんな朝食の時間も終わって、あたし達はリビングのテーブルに掛けていた。
 今日は特にそこまで、記憶に携わることをしたくないと、あたしがそう言ったのだ。
 ラピスはあっさりとそれを承諾し、今日はとりあえずのんびりしようと決めたのだ。

「…ラピスは優しいわよねぇ」
今更だけど。そんな言葉を、コーヒーを啜りながらぼんやりと呟く。
「…それは、喜んでも良いのでしょうか」
そう言ってラピスは微苦笑した。私は一度頷く。

「喜んで良いと思うわよ、女の召喚師さんに見初められたりしない?」
「それは……ありますが、…私自身マスターにそういった想いは持ちませんので」
「あら、どうして?契約って普通は一ヶ月以上のものなんでしょう?そういうこともあったりしないの?」
思わず質問攻めになる。ラピスはやはり、困ったように笑った。

「…私は、皆様の仰る愛情や恋慕といった感情を…体験したことが無いのです」
思わず耳を疑った。
「本当に!?…え、その、魔族って言うのは…そういう感情を抱かないモンなの?」
「それは違います、最も魔族間で愛し合うこともありますし、本人達が望めば此方の世界では二つで一つの召喚カードとなります。マスターと召喚された魔族が相思相愛になり、それが偉大なる召喚師であれば永久召喚となって叶う場合だって有ります」
…じゃあ、どうして?あたしは心の中で、そう問いかける。

「…何で、ラピスは人を好きにならないの?」
と、言葉は口から出てしまった。

「人をまったく好きにならないわけではありません。…昨日、昔のマスターの話を致しましたよね?私は、彼のことも…彼の家族のことも、とても好きでした」
と、ラピスは淡々と…優しげな表情で語る。
「また、先ほど仰られたように私を見初めてくださった召喚師の方も――私はとても好きでした」
「じゃあ…!」
あたしの心は、何故か氷を刺したようにズキン、と痛んだ。ラピスは一拍おいた後、更に話を続ける。

「ただ、それは魔族から見た彼女への、畏敬の念に過ぎない…それ以上の気持ちには、なり得なかったのです」
あたしはほっと、胸を撫で下ろす。
 そこでふと、我に返った。…なんであたし、此処で安心してるのよ。

「…じゃあ、ラピス」
「何でしょう?」

 今でも、あたしがこの時なんでこんなことを聞いたのかは、わからない。
 きっと、欲しかったんだと思う。ラピスの言葉が。

「あたしのこと、好き?」
「…それは…」
「あ、変な意味じゃないの、…えーと、純粋に…マスターとして、で良いの」
言ってから、自分の言葉があんまりにも直球過ぎたことに気付いてとても恥ずかしくなった。
 次の言葉は、わかりきっていた、わかりきっていたはず――…なのに。

「勿論、好きですよ。とても」
あたしの心臓は、その一言で弾けそうなほどに跳ね上がったのだった。


-4th day Lapis side 1-


 コーヒーの香り漂う室内で。
 舌に苦味を絡めながら、私は少女と談話することにした。
 元はといえば主人の言葉。が、私は悪くは無いと思い、承諾したのであった。


 その一言を発した時、オリーブ様の気持ちは異様に高まっていったのがわかった。
 ただ、聞かれた質問に答えただけであったのに――その少女の純真過ぎる反応は、此方まで少し気恥ずかしくなる程であった。

「…っ、わかった、ありがとね、…あ、…えーと…っ」
オリーブ様は慌てふためき、言葉を捜しているようで。中途半端に切られた言葉に、私は、続きを待つことしか出来なかった。

「あたし、…あと四日で何とか記憶取り戻すから、それまで…サポートよろしくお願いします」
目の前で、恐らく頭を下げたのであろう少女の言葉――それは、あまりに微笑ましく、そして、可愛らしかった。
 思わず、表情が緩んでしまう。

「…な、…何か可笑しかった?」
そう聞いてくると、私はいいえ、と答えた。

「…あまりに、反応が可愛らしかったものですから」
それは、本音の言葉で、他意は無い――筈であった。
 が、オリーブ様は目の前で固まっているのがわかる。これなら、此方から言葉をかけることが出来る。

「…此方こそ、あと四日間。全力でサポートさせていただきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます」
私がそう言うと、オリーブ様は落ち着いていったようで――はい、と頷くのが聞こえた。

 その日は結局、それ以後オリーブ様はその話に触れようとはしないで。
 また、最初の方の日のように…2人で話して過ごしていた。




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