ただ、逢いたくなった。
『…もしもし?』
「秋草、今…外か?」
『?ああ…予備校を出たところだが』
どうした、と電話口で声が響く。
「…今から迎えに行くから、家、来れねぇか?」
出来るだけ平静を装ったが、秋草は数秒の間の後「…別に構わないが」と、返した。
俺はバイクのキーを手にすると、そのまま部屋を出て行った。
一瞬だけ見えた携帯の画面に浮かんだ時間は、二十二時を過ぎたところであった。
それは、ある秋の日のことで。 H side
そもそも、俺と秋草は明日会う約束をしていた。
俺は今日から、秋草は明日から試験休みに入る。予備校に学校の休みは関係ないが、秋草の通う予備校も模試の採点期間に入ると言うことで休日が合ったのであった。
勉強しなくていいのか、と聞いたら「逢う時間を確保できる程度に余裕は見てる」と、らしい返事が返ってきた。
「…秋草」
季節は秋だが、もう大分空気は冷えている。
駅前の予備校の周りは、丁度授業を終えた学生で溢れていた。
その中から、見慣れた金髪の青年を探す。
見つけた。うちの学内では目立たなかったかもしれないが、公衆の場であの姿は目立つ。
「秋草!」
「…晴架」
「乗れよ」
ヘルメットを投げて寄越した。秋草は両手で受け取ると慣れた手つきで被り、後部座席に跨る。
「どうしたんだ、急に」
「話は後だ」
俺がそう言うと、秋草の吐息が僅かに首に掛かった。
そのまま腹に手を回す。背中に温もりを感じると、小さく声が俺の耳に響く。
「…泊まっていくからな」
俺は言葉を返す代わりに、バイクを走らせた。
部屋に着くなり、俺は秋草を抱いた。
「…大丈夫、今夜は下に澪が眠ってるだけだ……もう寝ちまってるし、声出しても問題ねぇ…よっ!」
「馬鹿、起きたらどうす…っ!…くっ…!」
何かが、何時もとは違った。
一心不乱に求める気にはなれず、それでも求めることを抑えることは出来ず。
俺は、ただゆっくりと、余すことなく味わえるよう、秋草を抱いていた。
途中で頭の中が真っ白になって、気がつくと俺は――秋草を、そっと抱きしめていた。
「……」
「っ…はる、か?」
腕の中で大人しくしている、愛しい俺の恋人。
秋草は、そのまま俺の背をそっと撫ぜた。
ぞくり、と全身が震える。
「秋草…」
秋草を押し倒した状態で、俺の下で此方を見上げる恋人の姿を一度まじまじと眺める。
これだけ全身が震え、満たされるような恋愛を――
俺はこれまで、してきただろうか?
あったとしたら、一度だけ。
けれど、顔を思い出せない。
今はただ、目の前にいる愛しい姿だけ。
それだけあれば、いい。
「…あまり、見るな…」
顔を赤くし、掠れた声が部屋に響く。
「悪い、…つい見ちまうんだよ」
何時ものように笑って見せた――
が、秋草の反応が、いつもと違っていた。
目を丸くし、此方の頬へとそっと、手を伸ばしてくる。
「…晴架、泣いているのか…?」
秋草の手が、そっと俺の頬を撫ぜる。
そう言われて、俺は初めて己の頬に触れた。
熱く伝うものの存在に、今初めて気付く。
「あ…れ」
一度流れた涙は、止め処なく俺の頬を伝う。
どうしたのかは、自分でもわからない。
「悪ィ、ちょっと待…っ」
枕元にあるティッシュに手を伸ばすと、ごしごしと拭う。
が、涙は止まることはなかった。
俺は一旦起き上がり、秋草の横に座り込む形で背を向けた。
「…何だ、これ、…」
悲しくは無い。むしろその逆で、今俺はどうしようもないほど幸せで――
幸せ?
物凄く今更かつ当然のことを、俺は自分に問いかけた。
幸せだ。
目の前の奴と、一緒に足並みをそろえて歩くようになってから、ずっと。
そう自分の中で認めるだけで、自分の中の何かが開けた気がした。
同時に、涙も止まる。
「晴架…?」
「…悪い、大丈夫…何でもねぇんだ」
直接的な原因はわからなくとも、心はずっと晴れ晴れとしていた。
「秋草、もっとこっち来いよ」
「十分寄ってる、これ以上寄ったら暑苦しいだろう」
「大丈夫だって、…俺を誰だと思ってるんだ」
俺は秋草を抱き寄せると後ろから抱きしめた体勢になった。
「…このまま、寝ちまったら駄目か?」
「風邪を引くぞ…寒くなってきたんだから、服はちゃんと着ろ」
「大丈夫だって…こうしてれば暖かいだろ」
俺はそのまま、どっぷりと眠りの世界に誘われていくのを感じた。
朝の日差しが照らす一筋の光が、小さな卓上カレンダーを照らした。
そこで俺は、ボールペンで記された無機質な文字の存在に気付く。
それは、毎年恒例行事のようなもので、毎年部屋のカレンダーを貼り換えると必ず書き込む一つの日程であった。
「…」
俺は思わず、自分を疑った。
忘れていた、だと?自分が?
否、その日付がその日であることは覚えていた。確かに。
しかし、現実今日は秋草と逢う予定であったのだから――忘れていたも同然だろう。
自分の人生を、大きく左右する出来事があったあの日。
失いたくなかった、一番の想い出。
その記憶は、俺の宝物だった。
それと同時に、触らずにしまっておきたい――悲しい想い出でもあった。
「………」
俺は傍で眠る恋人を見下ろして、そっと髪を撫でる。
それは、全く似ても似付かぬ姿。
夕べ俺は、何があればいいと思った?
俺は、今――
「…ン…晴架…?」
「おはよ、秋草」
「…ああ…、…早く服を着んか、馬鹿者」
寝惚けなまこで俺を見上げ、放たれたその声は――情けないほどに、俺自身を幸せにする。
決めた。
「――秋草」
「…ん…何だ?」
「ちょっと、付き合って欲しいところがある」
愛しくてたまらない俺の恋人は、わかった、と一度返事を返した。
そちらでは元気にやっていますか。
もう三年の月日が経ちました。
謝らなければいけないことがあります。
俺、今日が何の日だか忘れてました。
ゴメンナサイ、本当に反省してる。
今日はこれから、俺の恋人を連れて会いに行きます。
やっと、あなたに紹介できる相手が出来ました。
俺は今、とても幸せです。
だから、これからも俺のこと、見守っていてください。
追伸、逢いに行くのは今日で最後にします。
fin
→A side
晴架視点。A sideで秋草君視点。 |