……
どれだけ眠ったのか――わからない。
が、彼の頬には確かに
潮風がなでていく感覚があった。
「ん…」
ふと、目を覚ます。辺りは明るく、夜が明けて少し経っていたようだった。
「…まだ生きてたのか」
が、気を失う前とは明らかに違う点があった。
「…!?怪我が…」
そう、そこには怪我の面影など何一つ残されてはいなかった。その上、体力も完全に回復していたのである。
…が、そんなに長い時が経ってはいないことは――
所持品の中にあったパンにカビが生えていないことで明らかになった。
「風見鶏は…まだ、あるか」
風見鶏が有るか無いか…それは気配でわかる。
「いったい何があったんだか…」
風見鶏の力ではないのだったら――あれだけの怪我を治す手立てはあっただろうか?
答えは…出ない。治癒魔法でどうにかなるかもしれないがそれはあまりにレベルの高い治癒魔法でないとできない上、あの時極限状態まで魔法を使っていたグルーには到底不可能な技であった。
「…街?」
彼は遠くの街に気づいた。ふと、風見鶏が姿を現す…彼の目にだけ。
風見鶏は確かにその街を指していた。
「あの街へ行け…ってか?まあ、もうお前の判断無視して痛い目にあうのも嫌だしな…行くか」
とりあえずグルーはそこを目的地として定めた。
「…活気があるな…」
とりあえずグルーは、街の中を散策してみる。
活気のある、港町。
街の片隅では、行商人が色々な物を売っているのがわかる。
その上この街はこの上なく平和だった。おそらく、ここ数十年戦渦に巻き込まれてはいないのだろう。
「おはようございますっ。お花はいりませんか?一つ30K(ケイ)ですよ」
グルーのもとに、花の入ったバスケットを手にした少女が駆け寄ってきた。暖かな微笑をたたえている。
「いや…俺はいい」
「そうですか…それじゃ、失礼します」
「っと…ちょっと待った」
「はい?」
グルーは少女を呼び止めた。
まずは、滞在する所を探さなければならない。
まだ行き先も定まっていないし、しばらく此処で金を稼いでおくのも悪く無いだろうと思ったからである。
「ここら辺にあるアパートとか宿屋を教えて欲しいんだが…」
「ああ、旅の方なんですか?えーっとぉ…ここら辺だと、『フィミリ』って言う宿屋がありますけど…ちょっと高めかもしれないです」
「いくら位だ?」
高め、と聞いた時点でもうそこには行かないと決めたのだが、一応聞いてみることにした。
「確か…一泊三食付で500Kでしたよ」
グルーは三食付という言葉に惹かれて所持金を確認する。
…当然の事だが、全然足りない。
「もっと安いところは無いのか」
「そうですねぇ…あ、そういえばアパートならありますよ。当然食事はありませんけど」
「いくらだ」
こちらはまともそうだ。元々あまり良い暮らしをしてきたわけではないから食事などは出なくても平気なのである。
「一ヶ月で300Kです。知り合いが住んでいますので…」
再度所持金を確認する。これならいけそうだ。
「地図を描いてくれないか?」
「これくらいなら案内しますよ。ついて来てください」
彼女の金髪の三つ編みが揺れる。二つに分けた金髪が、赤い帽子でさらに引き立つ。
あまり長く滞在するつもりは無いが、金を稼ぐのであれば少しぐらいの滞在は避けられないだろうと思った。
「ここですっ」
「…まあまあじゃないか」
「まあまあ…ですか?」
少女が疑問を投げかける。彼女の表情は複雑で、声も少し上擦っていた。
そこは、一般人の目から見てお世辞にもまあまあとは言えないところだった。
「まあ、今まで色んな所にいたし、これ位なら良い方さ。さて、管理人は…」
「あ、管理人さんは1号室ですよ。それじゃ、私はそろそろ…」
「ああ…色々迷惑かけたな」
「いいえ、そんなこと無いですよ。えーと…」
そこで彼は、自分の名前を彼女に言っていないことに気づいた。もともと自分からは名乗らないためか…
「あぁ…グルー。グルー・ブレイアンド…だ」
「そうですか。あ、私はティファニー・スロウリーと言います♪ティファって呼ばれてますけど。それではグルーさん、失礼します♪」
ティファニーは屈託の無い笑顔を残して去っていった。
「…ここか」
「ああ。ほら、鍵」
「…ども」
一応礼を言って管理人から鍵を受け取る。
グルーはこのアパートの5号室に入ることになった。
「じゃ、支払いは後払いでいいんだね?」
「ああ。とりあえず今月の分はな…」
「そうか。じゃあな」
管理人は戻っていった。
部屋はそんなに悪くは無い…いや、これはあくまでグルーの美意識であり凡人がこの部屋を見たら何と言うのか…想像もつかない。
少なくとも先ほどのティファニーの発言から予想はつくだろうが。
とりあえずグルーはその場に腰を下ろした。
が、その時…外から聞こえてきた声。
「おい、やめとけよシルド…お前何考えてんだ」
「俺を止めるなファレイ!俺は確かに見たんだ!」
「だからって、今日来たばかりの奴を痛めつけることないだろう」
途中まで無視していたが、見た…という言葉に反応した。
今日来たばかりの奴…というと、自分の事だろう。
まさか、コイツが見えているわけは無いと思いつつも、グルーはガチャリとドアを開けた。
「見たって…何をだ」
「うわっ…いたのか」
さっき来たばかりなのだから、いて当然なのだろうとグルーは思ったが。
「…何を見たんだ?」
グルーは静かに問いただす。
「その…お前の、刀傷だ。ほら、それ」
確かにグルーの身体には無数の刀傷やらなにやらが溢れている。彼が指した腕の傷跡も、昔負ったものだ。
どうやら、風見鶏が見えているわけでは無いようで。
まぁ目の前の青年が、とても風見鶏の見えるような人間には見えないが…
「それがどうした」
「よくぞ聞いてくれた。…お前、戦いなれてるだろ?俺と勝負しろ」
「何言ってんだお前は…」
今まで口を開かなかったさっきファレイと呼ばれていたであろう青年が言った。
「だから止めるなって言ってんだろファレイっ」
「完全に常識から外れてるだろ、お前の行動」
グルーはその光景を見ていたが、ふと口を開いた。
「…別に、俺は構わないが…」
グルーが口を開く。ファレイは多少眉を上げてグルーを見た。
「悪いことは言わない。お前、こいつと戦うのはよしたほうがいい」
「余計なことを言うなファレイ!よし、早速ここの裏の空き地だ!すぐに来い!」
「いや…すぐには無理だ。荷物を整理したいんでな…とりあえずあと一時間後ってことでどうだ…」
シルドと呼ばれている青年は一瞬眉をひそめたが
「ああ、いいさ!」
と言ってのけた。
「おいシルド…」
「うるさいぞファレイ!相手がいいって言ってんだ!」
シルドはファレイを振り払った。
「…そこまで言うなら俺は止めない。けど、やりすぎるなよ」
「ああ、わかってるさ。それじゃ、そこのお前!あと一時間後だからな!!」
「…わかった」
…あいつ、相当な自信家だな。
そんなことをグルーは考え…とりあえず部屋に戻った。
「悪い、ちょっと遅れた」
「遅かったな…逃げたのかと思ったぜ」
「いくら俺でもそこまではしないさ…ほら、早く始めちまおう」
グルーはこの面倒な決闘を早く終わらせてしまいたかった。
こういった面で彼もまた、自信家なのだろうが…それは確信の無い自信では無い。
端のほうには、ファレイと…見たことの無い少年が立っている。
「よし…お前から来いよ」
「いや…お前から来い。来なければ俺は帰る」
シルドは少々ムッときたようで
「じゃあ、お望みどおり…行ってやるぜぇぇぇぇっ!!」
拳でグルーのもとへ向かってきた。
「……」
グルーは一歩左にずれ少しかがみ、瞬時にシルドの腹に拳を叩き込んだ。
あまり力のいらないカウンター技である。
「ぐぇっ…!!」
自分で向かっていった反動もあり…衝撃は相当のものだったと思われた。
その証拠に、シルドはその場で卒倒した。
ファレイも一瞬驚きの眼差しを送る。
「シルド!」
「シルドさん!」
見ていた2人が駆け寄る。
「腹に拳を叩き込んだだけだ…別に、この程度で死にはしないさ…しばらくすれば起き――」
「…うう…」
が、すぐに気がついたようで。それだけでも相当の男だと思われた。
「…遠めに見てても相当なものだったのにな…シルド、もう起きたのか?」
「うーん…はっ、俺は…負けた…のか」
「ああ」
グルーが言い捨てる。
「…すげぇ…」
「?」
ファレイは不思議そうな顔で見返す。
が、シルドにはまったく気付いていなかったらしい。
すぐに飛び起きて、グルーに駆け寄る。
「すげぇよお前!!俺を数秒で…なんて…信じられねぇぜ!っと…名前聞いてなかったな」
「あぁ…そういえば、そうだったな…。グルー…グルー・ブレイアンドだ」
「そうかグルー!俺はな、シルド・オーガスだ。あっちで呆然と立っているのがファレイ・クレイドと…」
ファレイは微笑んで言う。
「よろしくな、グルー」
シルドはその隣の少年の方も紹介した。
「カレイド・クラウスだ」
「その…よろしくおねがいします」
少年がおずおずと挨拶をする。
「よし、来いよ。街案内してやる」
シルドが笑って言う。…が、グルーは
「…面倒臭ぇ…」
彼にとって街を廻るのは後でも良かった。
「ンな事言うなっ!良いから来いって」
無理矢理引っ張られる。が、何故か跳ね除ける気にはならなかった。
彼はその時、湧き上がる気持ちが何かはわからなかったが。
何故か、悪い気だけはしなかった。
グルーはシルドに引っ張られるように街中を回っていた。
「そうだ、昼飯食いに行こうぜ」
「…そうだな…安いところが良いんだが…どこかあるか?」
「ああ。この先にパン屋と喫茶店やってる所があるんだ。そこ行こうか」
ファレイが促す。
グルーはとりあえずついて行くことにした。
…それにしても、妙に暑い。
「…陽射しが強いな」
「ああ…ここはこの国の中でも暑いほうに入るんですよ」
カレイドが言う。さすが少年とはいえ、この中で一番物をよく知っていそうな奴だった。
「こんにちはっ!…あ、グルーさんも。もう仲良くなったんですね」
ティファニーが駆け寄ってきた。
「よお、ティファ。何だ、お前グルーを知ってたのか…そりゃ意外」
「そんな、ただ案内しただけですよ。シルドさん達もこれから昼食ですか?」
「ああ。ティファもか?珍しいな、お前はいつも弁当なのに」
「今日は…ちょっと寝坊しちゃって」
ティファニーはペロっと舌を出す。ファレイが微笑んで
「じゃあさ、一緒に行こう」
と言う。ティファニーも屈託のない笑顔で「はい!」とうなずいた。
「どうしたんですか?」
カレイドがグルーの顔を覗き込む。ずいぶんと心配そうな面持ちで。
「…別に、何でもない…」
「そう、ですか…」
カレイドはホッとしたようだった。
…別に、何でもないわけではなかったのだが。
「ほら、どうしたグルー。行くぞ」
「…ああ」
そっけない返事を返して、グルー達は再び歩き出した。
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