「――なぁ、クレイア、デート付き合わねぇ?」

 青年は無造作に束ねた肩まで伸びる茶髪を揺らしながら、開口一番そう告げる。



 ブルースカイの片隅で、1人の青年の物語が終わったあの日から、もう数ヶ月が経とうとしていた。

 相変わらず街の喧騒は絶えず、そこここで値段交渉なども行われているにぎやかな街、ブルースカイ。
 風が海から潮風を運び、高台の風車を揺らしている。
 空を見上げれば、突き抜けるような青空が広がっている――

 そんなブルースカイの片隅で、また――ひとつの物語が、動き出そうとしていた。




銀の風見鶏 第七話 Sariac




「――…丁重にお断りするわ」
肩の中ほどまでの黒髪を揺らし、手にした本をぱたん、と閉じると少女――クレイアは突然の来客に顔を上げ、澄ました口調でそう答えた。
 その言葉には何処か慣れのような、軽くあしらおうとするような含みがある。
「何でだよ、ちょっとで良いからさぁ…夕方からで良いし、付き合ってくれよ。な?」
「何度同じ言葉を言わせるつもりかしら…」
「それは俺の台詞だよ。何度同じ言葉を言わせるつもりなんだよクレイアー」
クレイアは青年の言葉を尻目に、一度肩で溜め息を吐いた。

「…とにかく、私は忙しいのよ。今日のところは帰っていただけないかしら」
「あの、何か押し売りセールスを追い払うような台詞言われた気がするんだけど俺――」
「何が違うのかしら?」
クレイアは変わらぬポーカーフェイス――無表情とも言う、で容赦なく返す。
 青年は当然と言わんばかりに髪をかき上げると

「それはさぁ、ホラ、俺が本当の本当の本当にクレイアとデートしたいと思ってるからこそこうしてお願いしに来てるわけで――」
「それこそセールスの常套手段ね、帰っていただけるかしら」
それでも青年がその場を動く様子は無い。クレイアはやれやれといった様子で軽く首を振ると、つい、と人差し指を立てた。

「お、…お?おおー!?ちょっ、クレイアああああ!!」
強風に襲われたと思った次の瞬間、青年はもと来た場所――メリッサの農場の魔法陣の前、に到達していた。

「あー…畜生、また振られちまった…これで何連敗だ…」
青年――シルド・オーガスは、身なりを軽く整えると盛大に溜め息を吐いた。
 シルドは少女――クレイアに、ここの所ほぼ毎日のペースでデートに誘っていた。
 如何いう訳か「デート」を極端に毛嫌いする彼女が、それを承諾したためしがあるわけも無く。
 押しかけた数だけ着実に連敗記録を伸ばしているのであった。

 髪と同色の瞳に、何処か愁いを帯びる。

「…着せてみたかったんだけどなぁ」
シルドは街に下り、帰路を歩むと徐に呟いた。
 それは、街の洋品店で偶然見かけたワンピースのこと。
 デザインはシンプルでありながら、真っ赤で鮮やかに広がるドレープ。ドレスともいえる華やかなそれは、真っ先に彼女を髣髴とさせた。
 見た瞬間、着せたいと目に浮かんだのだ。
 普段は黒ばかりを身に纏い、かくいうシルド自身も彼女が黒以外を身につけているのを見たことが無い。
 その所為か、シルドは彼女にそのワンピースを着せてみたいと躍起になっていた。

 また、そんなに着せたいのならプレゼントすればいいという思考は彼には無く。
 まずは彼女を洋品店に連れて行き、ワンピースを着せ、叶うならばそのままそのドレスが相応しい場所――何かダンスパーティーがあれば最高なのだけれども。いっそ二人きりでもいい。何処かへ連れ出したいという思いが彼を意固地にさせていた。

 しかしそんなワンピースも春物のためそろそろシーズンオフに差し掛かるわけで。
 誘うのならこの2〜3日が山だと思っていたのだが、それも現実的に叶いそうには無かった。

 ふと、シルドは自身のバイト先を遠目に見遣った。
 割と古い町工場で、シルドが真面目になって働こうと決意した場所である。
 万が一にもクレイアが承諾してくれる事を祈って、今日は3時間だけシフトを入れてあった。
 目に留まったのは入り口に佇む青年――長い薄茶色のマントを纏った、青年。
 そのマントに、シルドは見覚えがあった。

「…あれは…」
シルドが近付こうとすると青年は、小走りで雑踏の中へと消えてしまった。

「…気のせい…だよな」
シルドは言い聞かせるように小さく呟く。

 しかし、それが気のせいではなかったことを――シルドは後に、知らされるのであった。


* *



「――ッ、畜生!」
ぐしゃり、新品の角のたった便箋が威勢の良い音を立てた。
 それは青年――シルド・オーガスの手の中で、くしゃくしゃに丸められている。
 紙の正体は手紙。世間ではそう呼ばれるものであった。
 シルドはそれを、何の躊躇いも無くゴミ箱へと投げ捨てる。
「今更どうしろって言うんだよ、俺に」
シルドはベッドへと横になると、苛立った様子で深い溜め息を吐いたのだった。


 それは昼間に遡る。
 シルドは働いていた町工場を、理不尽な理由で解雇されたのであった。

「新人を雇うからって…俺じゃ駄目だって言うんスか!?」
「うちじゃ女の子の尻ばっか追いかけてるバイトは要らないんだよ」
「ンな…俺の仕事は倉庫整理だし、仕事に支障をきたした覚えは…!」
「うるさい、もう決まったことだ。今日までの賃金、それ持ってとっとと出て行っておくれ」
シルドは幾らもない給料の入った封筒を握り締め、事務所の扉を蹴ったのであった。

 思えば、こんな不当な解雇をされたのはもう今月で三度目になる。
 先月まで滞りなく続けていた三箇所のバイト先に、今月に入ってから一気に解雇されたのだ。
 それも、何の前触れも無く。

 否、シルドには当てがあった。

「…ったく、何だってんだよ……やべぇな、これで全部クビ…か」
スタッフ用の出入り口から出て溜め息を吐く。人通りの全く無い裏通りに、低い呟きだけが響いた。
 と、シルドの視線の先に見覚えのある姿が目に飛び込んでくる。
 それは、以前のアルバイト先で知り合った少女の姿であった。

「あれ…ミシェル?」
彼女は数多くのバイト先を転々としていたから、ひょっとしたら良いバイトのコネがあるかもしれない。
 声をかけようとしたその時――1人のマントを羽織った男が、その少女に声をかけた。

「――?あれは…」
紛れも無く、朝方見かけた薄茶色のマントを纏った青年の姿であった。
 フードに隠され、その顔は殆ど見えない。
 しかし、一瞬覗いた横顔は、確かに見覚えのある姿であった。
 シルドは建物の影に身を隠し、二人のやり取りを見守る。
 なにやら、良からぬ予感がしたのであった。

「――!」

 シルドは、己の目を疑う。
 男が、少女に札束を手渡していた。
 それも、1つではない――数までは把握できなかったものの、幾つか、であった。
 男はそれを渡すと、薄茶色のマントを翻し去っていった。

 男が去った後、シルドは少女へと駆け寄る。

「ミシェル!」
「…!え、…と、……ごめんなさい!」
ミシェルという名の少女は、そう言うと目をきつく瞑り、シルドの元から逃げ出していった。
「え、ちょっ…ミシェル!」
ミシェルは一切振り返らず、その場を去っていった。

「…どうしたって言うんだよ…」
ミシェルとは以前のバイト先で軽口を言い合うほどの仲であった。
 同じバイト先に務めていたのもあり、バイト仲間として何処のバイトがどうであるとか、情報交換も盛んに行っていた仲間であったのに。
 シルドは彼女の行動が信じられず、ただ立ち尽くしていた。

 ふと、先ほどの青年の姿が浮かんだ。
 マントを被っていたから殆ど顔は見えなかったものの、確かに見覚えのある横顔であった。
 シルドの脳裏に嫌な考えが浮かぶ。

(…まさか…)
そのまさか、は、アパートに帰宅後自身への手紙を読んだところで、確信に変わるのであった。


 手紙は、シルドの実家からのものであった。

 いい加減、家出をやめて帰ってこい、と――それを告げる文面なのであった。








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