カタカタカタカタカタ…
 タイプライターを叩く乾いた音が、室内に響き渡る。
 今年の誕生日に実家から送ってきたものであった。
 これが届いたとき少年は、帰ってくるなということか、と苦笑したものであった。
 暫くは箱に入ったままであったのだが、少しずつ打ち方を練習していて今では充分書類が作れるレベルにまで上達している。

「…よし」
インクの染み込んだ用紙を手に取ると、少年は短い呪文を詠唱しながらそれを折りたたむ。こうすることで、手紙が他者に読まれることを防ぐのであった。
 机の上には黒いハンカチを敷いた一角があり、ハンカチの上には銀色の細い線で魔方陣が描かれていた。
 その中心に折りたたんだ手紙を載せると、少年は再び呪文を詠唱する。
 すると、手紙は綺麗に消え失せ相手の下へと届くのであった。

 少年の名は、コーラル・リアモンド。
 またの名を、カレイド・クラウスといった。

「これで今日までの報告は完了…っと」
コーラル…否、カレイドは、タイプライターへと軽く布を掛けるとほぅと息を吐き、自室の冷蔵庫へと歩いた。
 冷やした紅茶のビンを取り出すと、コップに注ぐ。もう中身も残り少なかった。
 デスクに戻り、椅子に腰掛けると紅茶をこく…と喉に流し込む。

「…いつまで続くんだろう…こんな生活」

 カレイドは、ぼそりと小さく呟いた。

 綺麗に整頓された部屋、何一つ無駄の無い室内。
 それは、ある種息苦しさすら覚えるものであった。
 書面に記されたものは全て棚の中へと整理されていて、更に其処には施錠の魔法が掛かっている為容易には開かない。

 極普通の学園に通う3年生。
 中等部入学と同時に、この街ブルースカイへとやってきた。

 ふと、黒い魔方陣の一角に――白く手紙が浮いた。
 カレイドはそれを手に取ると、再び小さく呪文詠唱をしながら広げる。

「…呼び出し…?」
暗号で書かれたそれを解読すると、手紙はさらさらと風化していくのであった。




 そして、また朝がやってくる。
 フィッシュ館に住んでいるのは全員が男性、という事で管理人を除いた住人4人で朝食を当番制で取っていた。
 これは昔からの風習のようなものであり、全員すっかりそれに慣れ親しんでいる。

 今日の当番はファレイであることもあり、ファレイの部屋に全員が集まっていた。

「…なぁ、グルー」
「何だ…?」
グルー…グルー・ブレイアンドは、パンを千切りながら返事を返した。目を覆うほどの長さの前髪の間から、茶色い瞳が覗く。

「お前のバイト先の雑貨屋、バイト募集してねぇ?」
「何だお前、またクビになったのか」
グルーはあっさりと口にする。ファレイも顔を上げた。

「…いや、まぁ…そうだな」
「あれ、今度のバイト先はいい感じだって話してなかったっけ?」
「そうだったんだけどよー、急に人事交換とか何とかでなぁ…とにかく、すぐ働ける場所を探してンだよ」
グルーはパンを齧ってコーヒーを啜る。

「…悪ィが、今は募集してねぇな。この前新人が入ったからな…」
「マジかよ、…ファレイのところは…図書館だし無理か」
「ああ…そうだね、何なら一応館長を当たっておこうか?」
「頼んだ。…一応今日は、バイト探しに専念するつもりなんだけどよ」
シルドは軽く手を合わせる。
 カレイドは、1人黙々とパンを齧っていた。

「…ところでシルド、クレイアにはまだOK貰えてないのか?」
「またって何だよまたって!俺ぁ諦めねぇぞ!次のバイト見つかったら即効で誘いに行って――」
「…テメェの趣味はよくわかんねぇ」

 ファレイの部屋を出ると、カレイドは学校へ、ファレイ、グルーはバイト先へと向かった。
 シルドは求職の名目ながら当ても無いまま、街をぶらつく事にしてアパートを出る。

 バイトをクビになったことは初めてではない。
 今までだって不真面目な性格から幾つかのバイト先をクビになってきた。
 しかし今回は真面目に働こうと気を入れて働いていた矢先の今回の解雇である。
 流石のシルドでも若干堪えたようで、即刻求人という気にはなれなかった。


「…ぁ?」
すると、視界に1人の若者の姿が目に入った。

 それは、昨日少女に大金を渡していた青年に間違いなかった。
 青年は薄茶色のマントを翻すと、シルドの存在に気付いた様子で走り出した。

「…っ!!オイ!」
シルドは咄嗟に、その姿を追いかける。
 青年の足は思ったよりも速く、シルドはその背中を見失いそうになりながら走った。

(…よし、このまま行けば…!)

 シルドは周囲の景色を見遣れば、相手の背中を見失わないようにだけ注意して走った。
 青年はシルドを当初の距離を保ったまま走るも――建物の隙間で行き止まりに入ってしまったのであった。

「――チッ」
「…ハァ…っ、この街の地理に疎い奴が、俺と追いかけっこで勝てると思うな…よ…っ!」
シルドは青年と数歩分の距離を置いて立ち止まる。
 元々体力には自信があり、息はすぐに整った。
 しかしそれは、相手にも同じことが言えるようである。

「テメェ、俺ン家の回し者だな」
シルドは淡々と言葉を紡ぐ。青年は黙ったまま俯いている。
 否、深く被ったフードがそう見せているのかもしれない。

 シルドは一歩、二歩と歩み寄る。

「…何が目的だ、…いびり出してでも、家に帰そうって魂胆かよ」
「………」
「…あの家のやりそうなことだぜ」
マントに隠れた腕を掴もうと手を伸ばした――その時だった。

「―――ッ」

 青年は一瞬の魔法詠唱を行うと、一陣の風が巻き起こった。
 刹那、マントが風に舞い上がる。

「!?」

 突然の事に目を瞑る。
 シルドが再び目を開けると、その手が握っているものは中身の無くなったマントであった。

 また、そのマントも――次の瞬間、風塵と化してしまったのであった。


* *


 突き刺すような夏の日差しが、教室内を照らしている。
 朝の学園内は投稿してきた生徒で賑わっていた。

「カレイドさぁん、おはようございますぅ」
クラスメイトがにこりと挨拶をした。
 カレイドはホープを見上げると穏やかに笑い
「おはようございます、ホープさん」
と挨拶をする。

「突然なんですけどぉ」
「…ん?」
「ちょっとお話があるんですぅ」
ホープはにこにこと笑うと、そっと人差し指をくるり、と回した。

「此処では出来ないお話なのでぇ、ちょっと場所を変えませんかぁ?」

 うふふっ、と、ホープの屈託の無い笑い声がカレイドの脳裏に響いた。

 ふと気付くと、カレイドは学園の屋上にいた。
 否、此処は学園の屋上のようであってそうではない場所。
 夏であるというのに快適な室内で、校舎より外は色をなくし灰色となっていた。

「――…乱暴ですね、誰かに気付かれたらどうするんですか?」
「ふふっ…皆に気付かれないように、なんて、朝飯前なのですよぅ」
ホープはにこりと笑えばそのままカレイドに数歩近付く。

「ここは異空間…私の時間も、カレイドさんの時間も、全く関与しない――異空間、ですぅ」
ふふ、と再び笑う姿に、カレイドは溜め息を吐く。

「…お話は何ですか?」
「えへへっ…お手紙は読まれましたかぁ?」
「ええ、本邸に夜七時。ちゃんと参加しますよ」
カレイドは夕べ来た手紙の内容を思い出して復唱した。
 ホープはふふと満足げに笑うと人差し指を己の口元に当てる。

「私もぉ、ご一緒させていただいてよろしいでしょうかぁ?」
「は…?ご一緒、って…どうせ向こうで落ち合うんでしょう…?」
「でもぉ、やっぱり1人で行くのは寂しいですしぃ…一緒に行っていただけたらなぁと思ってぇ」
にこにこにこ、微笑みは崩さない。カレイドは再び溜め息を吐く。

(何が「寂しい」だよ……)
カレイドは心の中で小さく毒を吐いた。

「…わかりました、では夜6時半時に此処で待ち合わせ…でどうでしょうか?」
「はぁい、ありがとうございますぅ。お話はそれだけですのでぇ」
ホープはえへへ、と嬉しそうに微笑んだ。

 あくまで、“嬉しそう”に――なのだが。











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