『初めまして、だな。名前は?』
『えと、…カレイド・クラウス、です』
『そうか、俺はシルド・オーガス。わかんねぇことがあったら何でも聞けよ』
それが、自分がこの街に来たばかりの頃――2、3年ほど前だっただろうか。
“自分の監視対象”が、あまりに陽気に手を差し伸べてきて――やたら、戸惑った覚えがある。
それから数年、シルドは自分のことを弟のように可愛がっていた。
「――…僕の、本当の名前を言ったら」
シルドはどうするだろうか、と。
カレイドは教室の窓から外を見ながら、おぼろげに考えていた。
シルフォード・サリアックの監視。
それが、己に与えられた役目である。
普段の行動を全て観察し、綿密に本邸へとレポートを作成して送る。
自分が直接手を下す必要は無いが、彼の行動に漏れが無いよう一日一度、全てを報告する事。勿論本人に正体をバラしてはならない。
それが、彼に与えられた役割であった。
元々シルドとは遠縁にあたり、彼と話したのも初めてではなかった。
勿論それは遠い昔の事で、自分の両親に聞かされるまで一切記憶には無かったのだが。
それを条件に、リアモンド家の生活援助、また自分の学費もサリアック家の返済不要の奨学金で通う事が許されていた。
その日の夜。
カレイドは一人、“正装”で夜の屋上に来ていた。
黒い魔力制御スーツに黒いシャツ。胸には白いナプキンが刺さっている。
スーツには本人の魔力を制御する力があるほか、気配を消す作用も備えていた。
「――遅くなりましたぁ」
其処に、能天気な声が響く。振り向くと、其処にはホープの姿があった。彼女もまた、黒いワンピースという女性の正装を身にまとっている。
「…いいえ、時間ぴったりですよ」
「本当ですかぁ?ならよかったです」
カレイドは胸から白いナプキンをす、と引き抜く。
「…それじゃあ、参りましょうか」
「はぁい、長居は無用ですので」
と、一面が白く光る。勿論、白い光が見えるのは己二人のみになるが。
光が消えると、そこは今まで居た場所とは全く違う景色であった。
山奥に佇む、豪勢で少し気味悪さも覚える洋館。
今日の目的地――サリアック家本邸であった。
これから訪ねる部屋の明かりだけが、ぽつりと一つ点されている。
カレイドはそれを見上げると、ほ、と小さく息を吐いた。手に持った白いナプキンを丁寧に折りたたむと、再び胸ポケットに仕舞う。
「…参りましょうか」
「はぁい」
カレイドが歩き出すと、ホープは能天気に返事をしそれについていった。
広い庭を抜け、大きな扉を小さく呪文を唱えて開く。
ホープも扉を入る際に小さく呪文を唱えた。
これはセキュリティの一つで、唱えない者は門の外に出される仕組みになっているからである。
目的の部屋は階段を上がって最上階、シルフォード家主人の部屋であった。
カレイドは一度息を吐くと、部屋の扉をノックする。
「――誰だ」
「…カレイド・クラウス、と――」
「ホープ・ルルーウェイブ、ですぅ」
「よろしい、入れ」
中から低い声が響く。同時に、扉が誰の力も無く開いた。
「…失礼致します」
部屋に立ち入る。 組織では、偽名を名乗る事が義務付けられていた。
古い書物ツンとした香りが鼻腔を刺す。
そこに立っているのは、顔の知れた幹部数名と――部屋中央に置かれた椅子に、1人の男が座っていた。
黒いスーツに、壮年の容貌。白くなった頭は、しっかりと整えられている。
サリアック家、当主の姿であった。
カレイドとホープは並んで数歩歩いて部屋に立ち入ると、扉は誰の手も触れずに閉まった。
2人はその椅子の前に跪くと、恭しく頭を下げる。
「ご無沙汰致しております」
「お変わり無いようで何よりですわ」
「ああ、2人ともご苦労だな――もう良い」
そう言われると、2人は立ち上がり。再び一礼すると、数歩下がって再び当主の方を向いた。
周囲に並んで立っているのは、世界中を飛び回る派遣員達の姿である。
彼らはサリアック家の幹部であると同時に――名の知れた殺し屋でもあった。
表社会では石油産業を中心として名乗りを上げているサリアック家であるが、裏社会では殺し屋やスパイを育成する組織でもある。
表社会での膨大な情報網を通じ、世界中の各所でその派遣員が動員されていた。
自分もサリアック家の遠縁である以上、その一員であるのだが。
「――他の者は下がって良い」
「は…」
どうやら他の者は時間をずらして呼ばれていたようで、既に話しは終わったようであった。
部屋に備え付けられた時計を見ると、七時。自分達が時間を間違ったわけではないと、カレイドはほっと息を吐いた。
「…カレイド」
「はい」
「最近、奴の行動に変化は無いか?」
「…変わったところは、特に何もありません」
「そうか」
「あの、失礼ですが一つ」
カレイドは、一度躊躇した後口にした。
「…シル…シルフォード様は、最近よくバイトを解雇されているみたいですが…また、家の周りに派遣員の姿を見かけるようにもなったのですが」
「そうか…君にはバレておったか、彼らに少し注意しておかなければいけないな」
「やはり、派遣員が?」
「君には関係ないことだよ」
当主は、にこりと笑って告げる。
それは、これ以上は知る必要は無いと告げるものであった。
「…お言葉ですが、シルフォード様は努力して自立してらっしゃいます、働き口を失ってしまえば浮浪者になる危険性も――」
「頭のいい奴だ、そんなことは考えないだろう」
あっさりと一蹴する。
「それは…失礼致しました」
「…まぁ、少しは話しておいても良かったかもしれないな。一応、うちの奴を1人ブルースカイに送り込んである。目的は、君が思っている通りだ」
「…」
「いい加減、息子の家出をみすみす見逃してはおけなくなってきたのだよ、私も」
「…!…それは…」
カレイドは、その言葉が意味する事を良く知っていた。
サリアック家当主は、重い持病を抱えている。
思えば一度、その病があまり良くないと手紙の通達で来た覚えがあった。
「…ああ、私の命はもうあまり長くは無い。これは、君と同格の者は皆知っていることだ」
当主は、全く動じずに告げる。
「…そう、だったのですか…」
「…ああ、しかしそれは…奴に直接言うべきことではない」
「!どうして…!」
カレイドは身を乗り出す。ホープは、それをやんわりと手で制した。
「…カレイドさん、落ち着きましょう…?」
「………、ええ、…失礼致しました」
カレイドは、身を正す。
すると、ハァ、と息を吐いた。
「…まぁ、君は今までどおり――全てを私に報告してくれればいい」
「…畏まりました」
「それじゃあ、君は下がれ。ホープと少し話がある」
カレイドは、扉まで歩くと最後に一度恭しく礼をする。
「――失礼致します」
最後にそう言うと、カレイドは部屋を出た。
「…やはり、彼にこの話をすべきではなかったな」
「ふふっ…そうかも、しれないですねぇ」
「…頼んだよ、君も――」
「うふふっ…お安い御用、ですわ」
ホープは穏やかな笑みを浮かべると、静かな声でそう言った。
「…カレイドさんの動向は、この私――ホープに、全てお任せください」
カレイドは一人、自室へと直接帰っていた。
ハァ、と息を吐くとルームウェアに着替える。
「…まさか」
当主の体調が、そんなに悪いとは。
当主は、カレイドとは遠い親戚にあたるのだが、
昔からよく実家へと訪問していた当主に、カレイドは決して悪い印象は抱いていなかった。
当然サリアック家の悪行は全てわかった上であるが、カレイドは組織より当主を信頼し今の任務をこなしているのである。
「…」
カレイドは着替えを終えると、そのまま床についたのであった。
(………)
毛布の中でも、やはり考える事は一緒であった。
(…本当に、…これで、いいんだろうか)
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