「…で、何故あなたは此処にいるのかしら?シルド君」
「よっ、クレイア。久し振り」
「昨日も会った気がするのだけれど…何の用かしら?」
此処はクレイアの魔法陣を一歩入った場所。大量の本と、何やら呪術品のようなものが山のように置いてある。
シルドはソファに腰掛けていた。
「クレイアー、たまにはデートの相手してくれよ」
「丁重に断らせてもらうわ」
クレイアはきっぱりと言い放つと、本棚へと数歩か歩く。
シルドは苦笑すると、ソファの背に身体を預ける。
「じゃあ、…今日少し、此処に置いてくれよ」
「…」
クレイアは一度シルドを見遣る。
シルドは目を伏せ、その表情は読み取れなかった。
「…勝手にどうぞ」
クレイアは一言言い放つと、本棚の間へと歩いていった。
古書とハーブの香る室内。
整然と整理されているようで、実はあちらこちらにものの散乱した部屋。
小奇麗になっているようで、何処か生活観のあるこの場所が、シルドは好きだった。
メリッサの農場に描かれた魔法陣から移動してやってくるため、実際此処が何処に位置しているのかはシルドには解らないが、何処かとても居心地が良い。
その為シルドは、デートに誘う以外にも何かと理由をつけては此処を訪れていた。
今日も、青年を逃してしまってから――シルドの足はふらふらと此処へ向いていたのだった。
「…なぁ、クレイア」
「何かしら?」
「何か心を癒す薬とかねぇ?」
「無いわね」
クレイアはきっぱりと言い放った。
「…ンな、はっきり言わなくても…」
「抗鬱剤と睡眠導入剤、麻薬の軽い程度のものなら作れるけど…」
シルドはそれは違う、と首を振った。落ち込んではいるけれども、鬱であるとか睡眠不足であるとか、それは少し違う。
まぁ、ここ数日のショックのこともあり…多少睡眠不足であるのは否めないのだが。
「心因性のものに直接効果のある薬なんて無いし、打開策があるとしたらその根源を直接断つこと…それだけ、ね」
クレイアの言うことはもっともだ。シルドも、それはよくわかっている。
シルドは思わず溜め息を吐くと、それきり暫く何も喋らなかった。
黙々と書架の整理をするクレイアの横顔を見つめる。
不思議な色をした瞳に、すっと通った鼻。
整った顔立ちに、凛とした表情がよく映えている。
シルドはそのまま暫くクレイアの姿に見入っていた。
「………、シルド君?」
暫くの間、クレイアはシルドの方へと顔を出した。
シルドはソファの背に身体を預け、寝息を立てている。
一見普通に眠っているようであるが、時折眉間に皺を寄せている。
どこか、魘されているようでもあった。
「…」
クレイアは手にしていた本を書庫に戻すと、其方へと向かう。
シルドが目を覚ます様子は無い。
そっと、己の髪を耳にかき上げシルドに掛からないよう注意し、その顔を覗き込む。
掌をそっと広げてシルドの顔に近づけると、その眉間に、クレイアはそっと中指を乗せた。
その手は何処までも優しく、表情は真剣そのものだった。
シルドが起きないのを確認すると、クレイアは一人がけの椅子へと腰掛け呟いた。
「…眠っているときぐらい、しっかりと休むべきなのよ」
シルドの表情は、もう魘された様子は無く安らかな寝顔があるだけであった。
茶髪の肩までの長髪。首の後ろで無造作に結われている。
色の黒くがっしりとした身体。年齢にしては高い身長。
男性にしては高い声、屈託無く笑いかけてくる整った顔。
クレイアはその様子をそっと観察すると、すっと立ち上がった。
どのくらい眠っていたのだろうか。
シルドの意識は何かに引き戻されたように、すっと戻った。
「あ…れ」
ふあ、と軽く欠伸を零すと、ハーブティーの香りが鼻腔を突く。
「…あぁ、目を覚ましたのね」
少し奥のキッチンスペース…沢山の小瓶と壷の置かれたスペースで、クレイアはティーポットに茶葉を入れていた。
「あなたも如何?」
「…ああ、うん、頂く」
シルドはその姿を見遣ると思い切り伸びをする。何だか久し振りにちゃんと眠れた気がした。
「どうぞ」
クレイアはソファの前にあるテーブルにことん、とティーカップを置く。シルドはサンキュ、と呟けばそれを手に取った。
そっと口を付けると、爽やかなハーブの香りに甘い蜂蜜の風味が喉へと流れてくる。
「…蜂蜜?」
「ええ、口に合わなかったかしら」
「ううん、全然。ただ…珍しくね?蜂蜜って」
「そうかしら…私は時々試すのだけれど」
クレイアも一人がけの椅子に腰掛けると、そっと紅茶を啜る。
「オレンジピールには不眠やストレスを解きほぐす効果があると言われているわ、…あくまで気休め程度のものだけれど」
クレイアが呟くと、シルドはカップから口を離しクレイアを見つめる。
「…何かしら?」
「その為に、…淹れてくれたのか?これ」
クレイアは再びティーカップに口を付けると、
「誤解しないで頂戴、…たまたまハーブの文献が出てきたから、少し調べて調合してみただけよ」
と、あくまで冷静に言い放った。
「もう時間も大分遅いわ、…それを飲んだら、帰ったほうがいいんじゃなくて?」
クレイアはいつもの口調でそう言うと、シルドは懐中時計の時間を確認しああ、と呟く。
「サンキュ、ご馳走様」
紅茶を飲みきり、カップを置くと立ち上がる。刹那、部屋が一瞬揺れたように感じた。
否、確かに部屋全体が揺れた。カップがカタン…と小さく音を立てる。
「…?地震か?」
「いいえ、…此処は地上ではないもの。地震なんて起こる筈――」
――ガタガタガタッ
クレイアが呟いた刹那、部屋が大きく揺れた。
「…うわああっ!?」
シルドは体制を崩すも持ち前のフットワークの軽さで何とか持ち直す。
「これは…何年かぶりの嵐ね…」
クレイアは椅子にしっかりと掴まりながら冷静に呟くと、揺れが一旦引いたところで立ち上がる。
「何なんだよ今のは…一体」
「…地上で言う地震のようなもの、ね。此処は時空の狭間に出来ているのだけれども――何年かに一度、気圧が乱れて今のような嵐が起きるの」
シルドは成る程、と呟くとそのまま魔法陣のほうへと歩く。
「もう大丈夫…なんだよな?」
「…そうね、余波のようなものがまた来るかもしれないけれど…ひとまずは大丈夫だと思うわ。この空間も、伊達に何年も使っているわけでは無いし…それなりの対策も講じてあるから」
シルドは魔法陣の手前に立つと、クレイアに向き直った。
「今日はサンキュな」
「…如何致しまして」
「ンじゃ、俺は帰――」
「シルド君」
不意に、クレイアの声がシルドを引き止めた。
シルドは振り返ると、クレイアはいいえ、と小さく首を振る。
「…なんでもないわ」
「?…何だよ、クレイアがはっきり言わないのなんて珍しい」
「なんでもないのよ、…ほら、早く行って頂戴」
クレイアはシルドの背を押すようにとん、と叩くとシルドは魔法陣へと一歩踏み入った。
直後、辺りが煙に包まれる。
煙が晴れると、シルドの姿は無かった。
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