――ズシャアッ!

「――ッ!」
夜も更け、誰も居なくなった公園の広場。
 そこで、二人の青年が“試合”をしていた。
 武器は一切持たず、お互い素手での真剣勝負。

 方や、押しているのは――矢張りグルーの方であった。
 が、シルドは体力のギリギリの状態であるにも関わらずグルーに食らいついている。
 一発一発を本気で当てようと向けてくるシルドに、グルーも何処か手を焼いているようであった。

 その光景を、クレイアが一人見守る。

「…ってぇ…っ、まだまだァ!」
シルドは土の上に転がるも、受身を取り体制を立て直す。
 が、其処にすかさずグルーの拳が向かってきた。

「…ッ!このォっ!」
シルドはそれを素早く避けると、その手を持ち相手をなぎ倒しに掛かる。
 グルーは一瞬宙に浮くも、素早く跳躍して数歩後ろへと後退した。

 シルドは息を切らし、じりじりと間合いを詰める。
 グルーも大分消耗しているようで、肩で息をしていた。


「…なかなか粘るな」
「そっちこそ」
すると、シュッとシルドの真横を一陣の風が通り抜けた。
 シルドは一瞬の後に臨戦態勢をとったが、僅かに遅く。
 グルーの足は、シルドの足を後ろから払っていた。

「――…ッ!?何…っ」
起き上がろうとすると、グルーの手刀がシルドの喉元にす、と触れる。

「…其処までね」
「…勝負あったな」
クレイア、グルーが静かに呟く。
 と、シルドはそのままばたん、と芝生の上に大の字で転がった。

「…ハァー…っ…まだお前には勝てねぇのか…」
「当然だ。…1年前に比べれば大分マシになったとは思うが」
「お、認めてくれんの?」
「テメェの身体能力はとっくの昔に認めてンだよ…この阿呆が」
グルーが傍らに腰を下ろす。夜空には星が輝いていた。

「それじゃあ、私はひとまず失礼するわね。良いものを見せてもらったわ…有難う」
「…あ、…ああ、…ありがとな、クレイア」
シルドはそのまま視線を上にやると呟く。クレイアは口角を持ち上げ笑むと、そのまます、と消えていった。

 暫く、二人の間に呼吸の音だけが響く。
 グルーの方が多少落ち着いているまでも、二人ともほぼ全力で闘っていた。

「…なぁ、グルー」
シルドは多少落ち着いてきた呼吸を整えながら呟く。
「何だ?」
「有難う、少し気合入った」
グルーは別に、と一言素っ気無く返すとシルドは言葉を次ぐ。

「お前はさぁ、…自分の道、自分で決めて歩いてきたんだよな?」
そのまま視線を空からグルーへとやると、問いかけた。

「……決めて歩かざるを得なかった、の方が…正しいけどな」
「そうか、…それでも、自分の人生は自分で決めて、歩いて来れたんだよな」
独り言のように呟くと、グルーは溜め息を吐いた。


「グルー」
「今度は何だ…?」
「お前、家族ってどうしてる?」
シルドは視線は空にやると問いかける。
 グルーは一瞬足元に視線を落とした後、呟いた。

「死んだよ」
「…え」
シルドは思わず声を上げるとそっと起き上がる。
 グルーの横顔は、いつもどおりのポーカーフェイスであるけれども――
「俺が12の時に、…親父もお袋も死んだ」
声音は少しだけ、寂しそうに聞こえた。
「…悪ィ」
シルドは思わず謝罪の言葉を零す。
「別に、もう何年も昔の事だ。…此処から遠く離れた土地だが、ちゃんと墓もある」
「そう、か」
シルドは何かを思うように呟く。

「…滅茶苦茶不躾なこと、聞いても良いか」
「何…?」
「グルー、…親の死に目には会ったか?」
グルーは一瞬訝しげにシルドを見る。
 が、シルドの眼差しは真剣そのものだった。

「…悪ィ、話したくなければ其れは其れで…」
「会ったよ、…親父の方だけは、な」
「え…」
溜め息に混じるような声で、グルーは答えた。


「詳しい事情は簡単に話せるモンじゃねぇから伏せるが、両親は揃って俺が偶然留守にしている間に家に押し入られて襲われた」
「…」
「お袋は食らった一撃が致命傷で即死、親父は――俺が帰って、廃墟と化したような家を目の当たりにするまで――確かに生きてた」
「…そう、か」
「流石にキツかったけどな、アレは」
シルドは言葉に詰まる。ある程度想像はしていた内容ではあったけれども、流石に掛ける言葉が思い浮かばなかった。

「…テメェが何でこんなことをわざわざ聞くのか、俺は知ったこっちゃねぇが…」
「…」
「少なくとも、…俺は親父の死に目に会えてよかったと思ってる」
「…え」
シルドは驚いたようにグルーを見返す。グルーの表情は変わらぬものであったが、一瞬だけ眉を顰めた。

「…もう、逢えなくなるんだからな…二度と。どんなに望んだところで――もう、親父はいねぇんだ」
「…」
シルドは暫しその言葉を胸に空を眺めていた。

 シルド・オーガス
 過去を捨て自分を一人の人間として生きる為に選んだ名前。

 シルフォード・サリアック
 それは遠く昔に捨てた己を縛りつけた名前。

 だけれどそれは、たった一人の親父が自分につけた名前。
 母と父のそれぞれのアルファベッドを一文字ずつ入れたと言う、己の名前。
 父は余命僅かといわれようが、きっと一線で働いているのだろう。


「決めたわ、俺」
「…ぁ?」
「明日、この街を出る」




 其れは、シルドが自分で出した――“答え”であった。




「…そう、か」
「ああ、…グルー」
「ン?」
「ありがとな、…世話ンなった」
シルドは座ったまま、グルーに片手を差し出す。
 グルーも、一瞬の間を置き表情こそ変わらないけれど――その手を、軽くぱし、と握った。

「悪ィけど帰ってくるからな、俺。そン時はまたよろしく頼むわ」
「…勝手にしろ」

 手を離すと不意に、シルドは何か感情が湧き上がるのを感じる。

 何か、後ろ髪引かれる何かが。
 シルドの心に湧き上がっていた。

 そう、まだやり残した事がある。
 今日はもう一つ、目的があったではないか。

 シルドは先ほど自分が寝ていたところへと歩くと、一つのものを手にした。
 グルーはそれを目にすると、思わずシルドを見返す。
 ふと、言葉がするりと出てきた。

「…クレイアってさァ」
唐突に出た言葉に、グルーは思わずシルドの方を見遣ったまま固まる。
「…」
「何か、世話焼くの好きだよな」
「…まぁ、な」
グルーは溜め息を吐いて同調した。
 クレイアは確かに世話焼きだ。
 だが…

「…でも、其れがお節介にならないんだよな」
グルーが思った言葉を、シルドがそのまま口に出した。
「ああ」
再び同調する。シルドは意外そうな表情でグルーを見た。
「…意外だな」
「何がだ?」
グルーは訝しげに返す。
「何となく。グルーってクレイア出てくるといつも嫌そうな顔するだろ」
「…其れは、…アイツが出てくるときはいつも妙な悪寒がする――それだけだ」
溜め息混じりに呟いた。嘘は言っていない。

「…俺はそうは思わねぇけどな」
「だろうな…」
「どういう意味だよ」
あっさりと返すグルーに、思わず笑いながら突っ込みを入れる。
 そのまま軽く笑うと、シルドは懐かしむように空を見上げた。

「少し、思い出話…させてくれねぇか?」
「…勝手にしろ」
「言ったっけ、俺さ、この街に来たばっかの頃――クレイアん所で暫く世話ンなってたんだよ」
仕方なく付き合うといった調子でグルーは溜め息を吐くと、シルドの続いた言葉にグルーは思わずシルドを見返した。
「………、は?お前、…正気か?」
「お前さぁ、今更その反応は無いんじゃねぇの?今まで良くも悪くもリアクション無かったくせに」
グルーは思いっきり顔を顰めた。シルドは思わず笑って言う。
「俺、この街の入り口で行き倒れてたんだよ。そん時、クレイアに助けてもらっててさ」
「…あそこ、人が住めンのか」
グルーは過去に何度か足を運んだことのある部屋を思い出した。
 メリッサの農場に描かれていある魔法陣から飛べるところまでであるが、薄暗く壁中に本やら絵やらホルマリン漬けやらが並べてある。
 グルーにとっては居るだけで悪寒が走る部屋であった。
「クレイアの部屋ってあそこじゃないんだぜ、本当はあの部屋のもっと奥。俺は客人用の部屋って所にいて、実際クレイアの部屋には一度しか入れてもらえなかったんだけど」
「…それでも、俺はあそこにはとても住めるとは思えねぇんだが…」
「寝室とかは割と普通なんだぞ、マジで」
当時を思い返しながら、クックと笑って呟く。

「…けど、…一つ納得した」
「何がだ?」
グルーがしみじみと呟く言葉にシルドは返す。
「お前がクレイアを不気味がらない訳…それどころか、お前はあの魔女に積極的に近付いていくだろう」
シルドはああ、と頷く。軽く頬を掻くと
「…そもそもクレイアってさ、俺の姉ちゃんにそっくりなんだよ」
「姉…?」
「そ、姉ちゃん。美人なんだぜー」
思い出すように呟くと軽く茶化すように笑い、再び視線を空へとやる。

「だから、っつー訳でもねぇんだけど。俺、クレイアのこと怖いって思ったことねぇんだよな。そりゃあ凄ぇ奴だってのはわかるし、それが怖いって思うことはあるけどな」
「…」
「初めて見たとき、本気で見間違えたんだよな。…すぐ、違ぇってわかったけど」
「…?」
グルーが訝しげに見遣るのが解れば、あえてそれ以上は口にしなかった。


 そう、思えばこの街にやってきて一番初めに顔を合わせたのが彼女の姿だった。


「…それにしても、この街の手前のあの森――俺はもう二度と抜けたくねぇな…死角は多いわ足元悪いわ入り組んでるわで大変だったからな」
「それ言うなよ、俺明日嫌でもそこ通るんだぜー…今回は倒れねぇようにしとかねぇと」
と、シルドが溜め息交じりに返すとグルーは立ち上がった。
「…俺は帰るぞ」
「悪ィ、グルー。先帰っててくれねぇか?迎えに来てもらったのに本当悪ィ」
「ぁ?…ああ、わかった」
シルドは両手を合わせる。グルーはその手元にあるものが何か、わかっていた。

「…好きにしろ」
「おう、悪ィな」
グルーは、シルドを公園に残して去っていった。




「…さーてと、…クレイア、居るんだろ?」
一見誰も居ない公園の中。
 シルドは座ったまま背後を振り返ると、そっと一言呟いた。


「…敵わないわね、あなたも私の気配がわかるようになったのかしら?」
「いんや、そこに居る気がしただけ。クレイアなら立ち聞きする事ぐらい訳ねぇだろ」
「ふふっ…随分な言い草ね。間違ってはいないけれど」
クレイアはいつものように妖しげな微笑を浮かべる。

 シルドは立ち上がるとその姿に一歩、二歩と近付いた。
 すると、クレイアは宙に浮かぶのをやめ、す、と地面に降り立つ。

「…クレイアって案外背低かったんだな」
「これでも人間女性の平均身長よりは高い筈だけれど?」
「人間じゃねぇ癖に」
シルドは可笑しそうに笑う。クレイアはあくまで冷静に、口角を持ち上げた。
「あら、あなたがそんなところで女性を差別するなんて思わなかったわ」
「差別する気はねぇよ、別に。特別だとは思ってるけど」
「昨日の今日でよく言うわね」
クレイアはそう呟くと帽子を軽く被りなおす。

「…で、私に何がご所望?旅に必要な薬なら――」
「違う」
「じゃあ…何かしら」
シルドはクレイアに一歩、二歩と近付くとその帽子を上からふわり、と取り上げた。
 必然的に、クレイアはシルドを見上げる体勢になる。

「受け取って欲しいモンがあるんだ」
シルドは一言言い放つ。
 すると、手の中にあったものを――そのまま、クレイアへと差し出した。
「…何かしら」
クレイアは、それをそっと両手で受け取る。
 丁寧に手提げの紙袋にしまわれたそれは、両手で抱えられるほどの大きさがある。
 梱包してある為中は見えず、否クレイアには見えてしまうかもしれないが――
 クレイアの瞳は、魔法を一切使っていない――薄青色、であった。

「プレゼント」
「それは…」
「クレイアは凄ぇ綺麗な女の子だよ、…当然、そういうのも滅茶苦茶似合うと俺は確信してる」
「…どういう…」
シルドは軽く笑うとお楽しみ、とそのまま返した。
 クレイアはひとまず紙袋を下ろし、有難う、と一言だけ呟いた。

「クレイア、ちょっと話さねぇか?」
「…何を、かしら」
「そうだな、…たとえば、俺らが初めて逢ったときのこととか?」
「随分唐突ね」
シルドはおう、と頷く。

「…クレイアは俺が初めて此処に来たときのこと、覚えてるか?」
シルドは何をするわけでもなく、クレイアの帽子を指で軽く回すと言った。

 街の入り口。入り口を抜けたところで力尽きてしまったシルドは、急に水を顔に受けた。
 冷たさに目を覚ますと、目の前には黒髪の少女。
 少し不敵に微笑む、真っ赤な瞳を持つ少女。

『…っ…何、…水?』
『あら、案外あっさり目を覚ましたわね』
『水…水!俺にもっと水を…ってぶはぁっ』
『…、掛けすぎてしまったみたいね』
『俺の上だけ土砂降りが降った気がするのは気のせいなのか…?』
『ふふっ…どうやら心配は無いみたいね』

 忘れもしない、あの時の顔。
 一瞬己の姉と見間違えたけど、違った。
 己の姉は、こんな無邪気に笑わない…と。

「長い旅路の末の栄養失調、脱水症状の俺に土砂降りは強烈だったよ」
「…あなたはまだ18歳、だったかしら?」
クレイアはあくまで冷静に言葉を紡ぐ。長い黒髪をそっと人差し指で弄る仕草は、少女のそれと変わらないように見えた。
「ああ、…覚えてたんだな」
「私が、そんなに簡単に物事を忘れるとでも?」
「いや、…結局その後、暫く泊めてもらっちまったんだよな」
「そうね、あなたはあの後高熱を出したから」
そして、当時を懐かしむように目を伏せて語った。

「私はあなたの「姉」に似ていると…あなたは言っていたわね」
「ああ、驚くほどにね。…でも、やっぱり似てねぇよ。俺の姉ちゃんこんなに可愛くねぇし」
「…よく言うわね、そうやっていつも…女の子を誘惑しているのかしら」
「常套手段っちゃあ常套手段だな、…でも、俺の正直なところ、だ」
シルドは開き直って言葉を紡ぐ。クレイアはそっと顔を伏せ、そう、と一言だけ呟いた。

 そのままクレイアへと一歩近付く。
 シルドはクレイアの頭へと軽く手を触れ、撫でた。
 クレイアは抵抗しない。

 そっと手を離すと、再び一歩下がる。

「…クレイア」
「何かしら?」
「…世話ンなったな、…有難う」
クレイアはふ、と口角を持ち上げると顔を上げた。

「如何致しまして、…帽子を返して頂戴?」
と、ふわりと一陣の風が起き――その帽子は、ふわりとクレイアの頭に納まった。


「…それじゃあ」
「ええ、…また」
逢いましょう、と、クレイアは帽子の中から見える口元を笑んだ。
 シルドはそれを確認すると、軽く片手を挙げて背を向ける。

「――シルド君」
不意に、去りかけたシルドの後姿をクレイアが呼び止めた。

「…何だ?」
シルドは後ろを振り向くと、クレイアは呟いた。

「出来る事なら」
「…?」
「私のことを、忘れて頂戴」
クレイアはきっぱりと言い放つ。
 シルドは驚いたように目を見開くと、その場で暫し固まった。

「何、馬鹿なこと言ってんだよ。俺がクレイアを忘れられるわけ――」
「忘れて頂戴。…忘れて、欲しいの」
クレイアの声も態度も、いつものように毅然としたものであったが――何処か弱弱しかった。

「…クレイア」
「………」
「俺は、…俺は、クレイアが好きだ。だから忘れる事なんて出来ない」
シルドはクレイアへと一歩近付く。
「嘘よ」
クレイアは首を振り、呟いた。まるで自身にそう、言い聞かせるかのように。
「嘘じゃない」
「いいえ」
「嘘じゃねぇよ!」
シルドは思わず声を荒げた。はっとして口元を押さえる。
「私には…嘘であってほしいのよ……わからないの…っ!?」
クレイアの声音がいつもと違っていた。
 いつもよりも弱弱しい。
 シルドがもう一歩歩むと、クレイアは逃げるように走り出し――そのまま、闇の中へと姿を消してしまった。

「クレイアっ!」
どうやら魔法を使ったようで。
 クレイアの姿は、綺麗にその場から消え失せてしまっていた。










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