刺すような日差しを避けるように、メリッサ・ルージュは自宅の中に居た。
 紅い髪がそっと、窓からの光を浴びてキラキラと光る。彼女は凛とした表情でノートに何かを書き記していた。

 机には、幾枚かの手紙の束。

 小高い丘の上にある、農場のど真ん中に位置する自宅。
 自宅といっても小さく粗末な小屋のような家。
 メリッサは此処に、妹――リリーメ・ルージュとともに暮らしている。



銀の風見鶏 第八話 Rouge



「姉貴ぃっ、ただいまーっ!!」
ばたんっ、勢い良く開いた扉にメリッサは思わずびくりと肩を震わせた。
「…リリーメ、扉は静かに開けなさいって何度言ったら…」
家に入ってきたのはリリーメ。メリッサの妹である。
 メリッサとは違い肩までの黒髪を不ぞろいに切ってあり、顔のつくりはメリッサにやや似ていた。
 否似ているのは鼻筋と輪郭と口元ぐらいで、他は大して似ていないのだが――

「あははー…ごめんなさい。ねぇ姉貴っ、今月の29日なんだけどさぁー」
「ああ…お父さんとお母さんのお墓参りね」
「うん、私学校早く終われる事になったから一旦帰ってくるね」

 部屋の奥に小さく飾ってある、今は亡き父と母の写真。
 彼女達の両親は、三年前――若くしてこの世を去っていた。
 死因は不幸な事故によるもので、それからこの家はメリッサが自宅を切り盛りし、リリーメは学校に通っている。

「私も明後日は午前中で仕事を切り上げるから…そうね、自宅で落ち合い次第出掛けましょうか」
「ん、了解ー」
リリーメは鞄を置き、茶を入れようと立ち上がると――

――トントン

 木造のドアをノックする乾いた音が、部屋に響き渡った。


「ごめん、リリーメ…出てもらえる?」
「はーい」
リリーメは扉の前から外に声をかけた。

「どちらさまですかー?」
メリッサは窓からドアの外を見て来客の姿を確認する。
 背は高め、腰まである長いロングヘアの壮年の女性――
 不意に、その姿に目を奪われる。
 どくん、心臓が高鳴るのを感じた。

「すみません、こちらにメリッサさんというお嬢さんはいらっしゃいますか?」
「え、あの…すみません、どちらさま、ですか?」
相手の身元がわからない時はドアを開けるな、というのがルージュ家の教えである。
 リリーメは扉に耳をつけ、訝しげな声音で外に問いかけた。

「私、セアラ・ソフィと申します。此方にいらっしゃるメリッサさんに御用があってお伺いいたしました」
扉越しに聞こえる声は、とても礼儀正しく落ち着いた女性のものであった。
 リリーメはメリッサに『どうする?』と軽く目配せをする。
 メリッサはごくり、息を飲んだ。

 セアラ・ソフィ。
 忘れるはずの無い名前である。
 恐らくリリーメは知らない――此処では己だけが知る、名前。

「…私が出る、わ」
メリッサはそっと扉に歩み寄った。

 そっと、ノブを回す。
 扉を押し開けると、其処に居たのは――

「……え……」
開口一番、口を開いたのはリリーメであった。

 緋色の髪、同色に暗を混ぜた瞳、すっと整った顔立ち。

「…メリッサね?」
そして、よく通る声。
 女性――セアラ・ソフィはその場でがばっとメリッサを抱きしめると、大声で叫んだ。

「逢いたかった!私の…私の愛しいメリッサ!」



 それは数日前のこと。
 ポストに一通の手紙が投函されていたのだ。

 『メリッサ・ルージュ様』という己宛の手紙。
 差出人名は『セアラ・ソフィ』であった。

 そこに綴られていたのは、己も既に知った内容。
 しかし、それは既に過去として己の中では清算してしまっていた内容であった。
 更に、その手紙は心のどこかで最も恐れていた内容でもあった――



「…お母、さん…」
抱きしめられ、その腕の中で…メリッサは、複雑な面持ちでそう呟いたのであった。




* *




「…ミリー…」
「は、…はい、何ですか…?」
「…リリーメだが…ずっとあんな調子なのか…?」
ここは雑貨店。リリーメ、ミリー、グルーのバイトしている店であった。グルーはひそひそとカウンターに立っているリリーメを背にミリーに声をかける。

「…そうなんです…その、実は朝からずっとあんな感じで…」
「…何が起こったんだ、一体…」
グルーはリリーメをちらりと見遣ると呟いた。

 リリーメは始終俯き、愛想とは程遠い無表情で黙々と仕事に励んでいた。
 それだけで通常通り仕事をこなすことができていれば、普段は五月蝿いリリーメであるから仕事の場では丁度いいのかもしれない。
 しかし、そうでもない状況なのであった。

「…ちょっとお嬢ちゃん、お釣間違ってるよ」
「え…あ、…すみません」
「まったく…しっかりしてくれよ、もう」
リリーメはしゅんとした表情で頭を下げる。こんなことも、一度や二度ではないのだ。

「…俺、代わってくる」
「す…すみません、お願いします」
見かねたグルーは「Cashier」と表示されたカウンターへと足を運んだ。リリーメを横へと追いやる。
「…ちょっ、…グルーさぁん」
「代わる。お前は品出しやってろ」
「だって…今日は私が…」
「今のお前に金の管理任せられるか、っつの」
リリーメは更にしゅんとした表情を浮かべると、とぼとぼと棚へと歩いていった。グルーはやれやれと溜め息を吐く。

 そしてリリーメはその後、躓いて棚に直撃し店内に商品をぶちまけるという失態をやらかしてしまうのであった。



「…はぁ」
バイトを上がった帰り道。リリーメは盛大な溜め息を吐いていた。
「…リリーメ…」
「ごめん、ミリー…手伝わせちゃって」
「い、いいよぉ、そんなこと……」
ミリーは軽く手を振る。
 重苦しい沈黙が流れた。

「…でも…その、…何かあったの…?リリーメ…」
「あ…うん、まぁ……ミリー!」
「ほぇっ!?」
リリーメはミリーの両手を取るとそのままお願いと言わんばかりにぎゅっと両手で握り締めた。

「今夜私を部屋に泊めて欲しいのっ!お願いっ!」



* *



「…それで、何日まで滞在するつもりなのかしら?」
「あら…あなたが首を縦に振るまでいつまでも、よ」
セアラはにこにこと微笑むと出された茶を軽く啜る。
 セアラ・ソフィ――メリッサの母親と名乗るこの女性は、昨日ルージュ家を訪れた際メリッサ、リリーメの二人に自分の実家のある街へ来ないかと申し出たのだ。
 セアラは地元で事務員として働いていて、暮らしもそれなりに安定しているという。
 家事その他身辺の世話はセアラの母――メリッサの祖母や家政婦が全てやると言うのだ。

「だから、それは夕べ断っ――」
「何故断るの?あなたにとって、悪い話ではないはずよ」
「それは…」
メリッサは言葉に詰まる。

 自分にとって悪い話ではない。
 それは、メリッサ自身もよくわかっていた。

 セアラは加えてメリッサを「学校に通わせてやる」と言ったのだ。


「…ま、いいわ。ゆっくり考えてちょうだい、私は今月一杯、たっぷり休暇を貰ってきたから」
セアラは上機嫌で目の前の菓子を摘む。メリッサははぁ、と溜め息を吐いた。












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