* *


 リリーメはグルーの部屋を汚いだの古いだの散々貶した後、しっかりと掃除をして食事まで作った。
 それは意外にも手際が良く、曰くメリッサが仕事で忙しい日等は自分が家事をしているとのことであった。
 料理は決して上手ではなかったが、其処まで酷いものでもなかった。

 グルーはファレイの部屋に一晩泊めてもらう事に決まった。
 流石に同部屋で眠る気にはならないし、それはメリッサを初め周囲に誤解されかねない。

 リリーメが寝付いた頃、グルーはメリッサのもとへと報告をする間が無かった事に気が付いた。
 起こさぬようそっと部屋を出ると、目の前にメリッサが立っていた。セアラの姿は無い。

「メリッサ…」
「…あの子は?」
「中で眠ってる、…報告に行けなくて悪かったな」
グルーはひょいと指で示す。メリッサはその様子を見てほっと胸を撫で下ろした。

「ごめんなさい、迷惑をかけて」
「構わない、…俺はファレイの部屋に泊まるが…」
「…少し、話をさせてもらっても良い?」
メリッサは呟く。グルーは一度頷くと、
「場所を変えたほうが良いか?」
「いえ、…そうね…」
するとメリッサは隣のファレイの部屋への扉を一瞥した。
 扉の前まで数歩歩くと、とんとん、とノックをする。

「…はい、…あれ」
ファレイは扉を開くと、驚いたように目を丸くする。掛けた眼鏡の銀色のフレームが、キラリと光った。
「私も少し、お邪魔しても構わないかしら?」
ファレイはグルーを一瞥する。グルーは黙って頷いた。
「…ああ、構わないよ」
「悪いわね…」
「…邪魔するぞ」
二人は、部屋へと足を踏み入れた。

 ファレイの部屋には本が溢れている。
 図書館勤務という事も頷けるほど、そこには多種多様な本があった。
 グルーはこの部屋に週2回は確実に朝食で足を踏み入れるものの、メリッサが足を踏み入れたのは初めてであった。
 もっとも、ファレイに本を借りた事等は何度かあったのだけれども。
 グルー、メリッサの二人はテーブルを挟み、向かい合うように腰掛ける。

「はい、お茶」
「サンキュ…」
「あ…有難う」
二人はそっと茶を啜ると、ファレイがその間にすっと腰掛ける。

「まず…グルー君、今日は有難う。ごめんなさい」
「それはもう構わない…」
グルーはカップから口を離すと呟いた。
「…リリーメから話は?」
「あらかた聞いた」
「そう…ファレイ君は……知ってたわ、ね」
グルーは思わずファレイのほうを見遣る。ファレイは一度、静かに頷いた。

「…俺はリリーメの両親が亡くなった当時からずっと、ここに住んでるからね」
不意に、グルーの中に何かが引っ掛かる。
 しかし、それは此処で追求しても意味は無いだろうと口は開かずにいた。

「ファレイ君は…私たち二人が学校に通っていた頃からの知り合いなのよ」
「そうか…」
グルーは一度だけ頷く。メリッサは淡々と話し始めた。

「…セアラ・ソフィと名乗る――私の母親が家に来たのは、つい一昨日のことなの」
「……」
「私に、あの家を手放して一緒に住まないかと持ちかけてきた――リリーメの面倒も、母親同然として見ると言ってくれたわ」
メリッサは伏せ目がちに呟く。

「そもそも私は、母――セアラのもとで5歳まで育ったわ。…家が貧しいのは幼心にわかっていたし、母が苦労してるのも知っていた」
「…」
「だから、お母さんを守らなきゃ…って、そうして育ったの。…そんなある日、母は私をルージュ家、今の家へ連れてきたわ」
一度言葉を切ると、軽く茶を啜る。
「父はずっと…私を引き取って暮らしたかったみたい。育ての母も、それを了承していて――そんな時、セアラの金銭的援助を引き換えに、私はルージュ家の娘になることになったの。急に妹が出来て、慣れない環境だったけれど――育ての母は、私を本物の娘のように育ててくれた」
その表情に、僅か懐かしむような笑みが浮かぶ。
「私もリリーメも、母が大好きだった。勿論父のことも……あんなに早く両親を亡くしてしまうことになるなんて、思いもしなかったけど」
ことり、カップを置くとメリッサは再び目を伏せる。

「…母の遺言なの。「リリーメをよろしく…」って。あの子の面倒を見てあげて、って」
「………」
「それから私は、前だけを見て――それまでの暮らしを守っていく事だけを考えて、ずっと走り続けてきたわ」
他人事のように聞きながら、グルーは随分な話しだと思った。
 両親の死というのは、こうも少女の人生を左右してしまうのか。
 思えば、自分だって父の死に目に会わなければ――風見鶏を受け継ぐ事もなかったかもしれない。
 ふと、そんなことが思い出された。

「私は、セアラが家に来て一緒に暮らさないかって言われたとき…即答できなかったの」
「…」
「リリーメは…嫌です、って即答して…すぐに部屋に籠もってしまった。当然よね…私だって、ルージュ家に引き取られた当時は反発することもあったわ」
グルーとファレイは静かに聴いていたが、不意にグルーが口を開いた。

「メリッサは…」
「…?」
「メリッサは、如何したいんだ…?」
「私…は…」
答えようと、言葉を言いかけて口ごもる。

「…わからないの。…確かに、私は学校に通いたいと思っていたし――母のところに行けば、それが叶うわ。でも…」
「…」
「私は…育ての両親が残してくれた土地と家を守りたい、…仕事だって、両親があれだけ大きくしたものなのよ。大切にしていきたいし、何よりリリーメの面倒は――」
ファレイがすっと片手を挙げて制した。

「…今は、リリーメ抜きで考えて」
ファレイは真剣な眼差しでそう呟くと、メリッサは頷く。

「そう…ね、…けど、何より私は…住み慣れたこの地を離れるのは何よりも嫌だし、あの家を手放したくないのよ」
「…自分の夢を犠牲にしても?」
「夢…そうね、…仕方ないものね。…両親が亡くなった時点で、それは一番に諦めたわ」
自嘲気味に呟くと、メリッサは溜め息を吐く。

「私には、責任があるのよ。あの家を継いだ者として――リリーメをせめて二十歳まで面倒見なくちゃいけないし、仕事も家のことも今までどおりやっていかなくちゃいけな――」
「…ってことは、無いんじゃないか?」
「え…」
ファレイが呟く。グルーも同調するように頷いた。

「確かに家の遺産はメリッサが全て受け継いだし、リリーメの面倒も任せると遺言を残したかもしれない――けど、それは姉としてで、メリッサがそこまで背負う必要は無いんじゃないかな」
「…でも…」
「今までだって、メリッサは良くやってきたと思う。…少しは、自分のことを考えても良いと…俺は思うけど」
「全くだな……リリーメだって、何も出来ない訳じゃねぇだろ」
グルーはカップを置いて呟く。

「お前は両親を亡くした時点で色々なものを捨て…リリーメを守ると決めたみたいだが――何もそれは、お前に限った事じゃねぇだろ」
「…」
「リリーメだって、ある程度の覚悟はしたと思うし――何も、メリッサに全てを負わせる気は無かったと思う」
グルー、ファレイと口にすると、メリッサは黙りこくった。

「ま…今回、お前がどういう決断をするのかはお前次第だが…リリーメだって相応の覚悟はしてるだろうし、全てはお前次第、ってとこだな」
「私次第…」
「まぁ…今夜は二人、離れて少し考えなよ。…メリッサのお母さん、まだ家に居るんだろう?」
メリッサは一度頷くと、茶を全て飲み終えてカップを置いた。

「ご馳走様、長居してしまってごめんなさい」
「いや、構わないよ。…グルー、俺送ってくから…ちょっと留守番頼む」
「ああ…」
ファレイが立ち上がると、グルーは頷く。二人は部屋を出て行った。
 が、不意に気付いたように呟く。
「…、俺が留守番でファレイが送っていくのは可笑しくねぇか…?」
しかし、深くは考えない事にした。



* *


「ごめんなさい、色々と迷惑を掛けて」
「ううん…少し、気になってはいたから。気にしなくていいよ」
ファレイは緩く笑みを浮かべると、メリッサより半歩前を歩く。
 メリッサはつい、と緩く口角を持ち上げると、ファレイの視線は前へと向いた。
 月明かりに光る銀髪、その中に禍々しいほどの赤紫が入ったメッシュ。
 身長が高い為、メリッサはファレイと話すとき、かなり見上げなければならない。

 昔も今も、この距離は変わらない気がする。彼は昔から、背が高かった。
 否、昔よりは少しは、近づけた気がしないでも無いけれども。

「…ファレイ君は、家族は?」
「いない。…メリッサとリリーメと知り合ったとき、俺は既にあそこに住んでいたからね」
「そう…最初は私が図書館で声を掛けたのが切っ掛け、だったかしら」
メリッサは呟く。ファレイは軽く微笑んだ。
「よく覚えているね」
「覚えているわ、…あなたに借りた本、何ていうタイトルだか忘れてしまったけど――どうしても図書館で見つからなくて、それで声を――」
メリッサは呟いて言葉を切った。

「…うん、俺は当時からあそこで働いていたから」
「そう…そうよね、確か」
メリッサは若干の取っ掛かりを感じながらも、一つ頷いた。

「メリッサに一つ、聞いてもいいかな」
「何かしら?」
「…メリッサの夢は、何?」
すると、メリッサはふ、と歩くのをやめた。ファレイも同時に足を止める。

「無理に言えとは言わないよ、ただ…ちょっと気になっただけだから」
「…そうね、…情けない話だけど、実ははっきりとは決まってないのよ」
やたらとあっさりとした答えであった。メリッサは腕を組むと呟くように答える。

「あえて言うなら…」
「…あえて言うなら?」
「お嫁さん、かしら」
「へぇ…」
一歩、メリッサが歩き出す。ファレイを追い越すと、ファレイもその後ろをつくように一歩、二歩と歩き出した。

「…元々、育ての両親に憧れがあるの。将来は両親のような結婚をして、幸せな家庭を築きたいのよ」
「…」
「両親は、あまり長く生きる事は出来なかったけど…お父さんとお母さん、私とリリーメは…家族だったし、幸せだったわ。とても」

 メリッサは言葉を切った。浮かぶ涙に視界が霞む。
「…時が経つのって、早いものだわ」
星空を見上げると、幾度か瞬きをした。思えば自分が、育ての両親を亡くしてもう三年が経ってしまうのだ。
 ファレイが口を開くや否や、メリッサはくるりと振り返る。
 咄嗟に足が止まった。

「後一つ、夢があるの。こちらのほうが、夢として語るのに相応しいかもしれないわ」
「…」
「魔法医療を扱う仕事。…医者になるつもりは無いけど、いつかそれに近い職に就きたいと思っているの」
と、言葉にしたところでメリッサは苦笑に近い笑みを浮かべた。
 口角を持ち上げ、眉尻が僅かに落ちる。

「ただ、どちらにせよ…今のままじゃ、それを目指す事は出来ないから。せめてもと図書館で勉強はしているけど、やっぱり現役学生には追いつけないものね」
メリッサは再び歩き出すと、ファレイも再び歩き出した。

「…メリッサは」
「何?」
「本当に、家族を大事にしているよね」
するとメリッサは顔だけ振り返ってファレイを見上げる。

「当然よ」
「…」
「私を育ててくれた恩義もあるけれど…それよりも違う、うまく言い表せないけど…家族、って…そういうものだと私は思うのよ」
そこまで言葉を発すると、メリッサははっとしたように足を止めファレイに小さく頭を下げる。
「ごめんなさい、家族はいない、って話を聞いた直後に…気分良くないわよね」
「ん?いや、…最初は俺が聞いた話だから。気にしなくていいよ」
「…そう、…でも、…ファレイ君」
「何…?」
メリッサは顔を上げるも、俯きがちに呟いた。

「あの人…私の母、セアラも――私にとっては大切な“家族”なの」
「…」
「物心付いた後に引き取られているから、顔も声もちゃんと覚えている…事情も知っているだけに、彼女を邪険に扱う事は出来ないのよ」
ファレイは何も言わなかった。
 メリッサの肩が小さく震える。何故こんなに小さな少女に、沢山の問題が圧し掛かっているのだろうか。
 今日の今までだって、メリッサは誰の悪口一つも言わない。
 全てを自身で背負い、全てを受け入れた上での結論を――メリッサは出さなければならないのだ。
 そしてそれには、何かしらのリスクを負う事になり――誰かが傷つく事を、避けられない問題なのであった。

 ファレイは、その頭をそっと撫でた。
 ふわさ、と、緋色の髪がその指に絡む。

 その手が、何故だかとても寂しく思えた。

「…ファレイ君」
「…」
その表情は、とても優しげで――とても、儚げであった。
 何故かメリッサの胸が、ちくりと少しだけ痛んだ。
 ファレイはそっと手を離す。

「有難う、…あなたはいつも優しいのね」
「どう致しまして、いや…何だかんだ俺は、話を聞くことしか出来ないからね」
「とんでもないわ、…有難う」
メリッサはもう一度言うと、すっと足を止めてファレイに向き直った。
 もう、そこは高台の入り口の階段の手前であった。これを上れば、メリッサの家はすぐである。
「…ごめんなさいね、送らせてしまって。ここまでで構わないわ」
「いいえ、…リリーメのことは、明日にはちゃんと帰らせるから。グルーがわかってると思うけど」
「ええ…愚痴を聞かせてしまってごめんなさい、有難う。グルー君にも伝えておいて」
メリッサはファレイを見上げると、軽く苦笑いを零した。ファレイはその頭をもう一度――今度は軽くぽん、と撫でる。

「…伝えとくよ、それじゃあ、また」
「ええ、…また」
メリッサはそう呟くと、小走りで去っていった。









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