怖い夢を見た。

 自分の慕う姉が、ある日突然別の誰かになってしまう夢を。
 自分のことを見て、あなたは誰?と問いかけるのだ。

 そして、自分は全く知らないあの人を――お母さん、と呼んで。

 リリーメはがば、と目を覚ました。背に嫌な汗を沢山掻いている。
 あまり整頓されていない埃っぽい部屋、此処は何処だろうと精一杯前日の記憶を探った。

(そうだ、グルーさんの家に泊まったんだっけ…)
ふらりと立ち上がり、ひとまず顔を洗うとテーブルの上に一つの書き置きを見つけた。
 『ファレイの部屋に寄るように』と簡潔で短い文章。
 リリーメはそのメモを置くと、少し物思いに耽った。

 夕べはグルーに自分と姉との思い出をやたら語った記憶がある。
 自分が姉をどれだけ慕い、好きであるかという事を。
 グルーは終始面倒臭そうにしていたものの、話を真剣に聞いてくれた。
 そして、話しつかれて――眠ってしまったのだ。

 そして、怖い夢を思い出す。

 リリーメは夕べのうちに自分の考えを見直して一つの結論を出していた。
 それでもやはり、怖いものは怖いわけで。

 今日はある場所へ行こう、と決意した。

 リリーメは軽く身支度を整えると隣のファレイの部屋を訪ねた。
 とんとん、とノックするとファレイが顔を出す。
「おはよう、リリーメ」
「おはよーございます、ファレイさん。グルーさん来てます?」
「来てるよ、今中で飯食ってる…リリーメも朝飯食べていきなよ」
「あ…じゃあいただきまーす」
リリーメはへらりと笑うと、ちゃっかりお邪魔する事にしてファレイの部屋に上がりこんだ。

「おはよー、グルーさん、カレイド君ー」
「ああ…」
「お…おはようございます」
今日の朝食当番はファレイなのだろう、そこには同アパートのカレイドの姿もあった。
 リリーメはちょうど空いたグルーの隣に腰掛ける。
 ファレイが皿にピラフを盛ると、リリーメの前に差し出した。
「どうぞ」
「はーい、ありがとう!いっただっきまーす」
朝食に手をつけていると、不意にリリーメが何かに気付いたように手を止める。
 目の前にある、空席。
 リリーメはグルー、ファレイ、カレイドの方を向いた。

「ねぇ、シルドさんは?どこか出かけてるの?」
「え…」
「…そういえば、リリーメにはまだ言ってなかったな」
三人は顔を見合わせると、ファレイが呟く。

「シルド、実家に帰ることになったんだよ」
「えっ…」
「急に決まった事だったからな…その場に居合わせた奴と、俺達以外…誰にも何も言わず決めちまって、すぐに出て行った」
「ちょっ…本当に?」
リリーメは目を丸くすると思わず聞き返した。三人は各々頷く。

「どうりで最近姿見ないと思ったぁ…」
「まぁ…奴は帰ってくるだろうけどな」
「実家で色々あったみたいだし」
グルー、ファレイと茶を啜りながら呟く。
 すると、グルーはご馳走様、と立ち上がった。
 リリーメははっとしたようにファレイの自室の時計を見る。

「って…やっば、早く食べちゃわないと!」
「え…朝礼にはまだ時間ありますよ、そんなに急ぐ事も無いんじゃ…」
「寄りたいところがあるのっ!」
カレイドが言うも、リリーメは早々に朝食のピラフを平らげると、ファレイの部屋のドアまで走った。
「…と、ファレイさん!朝食ご馳走様!有難うっ!」
「ああ…お粗末様、いってらっしゃい」
――バタン

 リリーメはファレイの部屋を出ると、グルーの部屋を二回ノックした。
 扉の音と共に、グルーが出てくる。

「…鞄だろ」
と、呟くとグルーは扉の間から、リリーメの学生鞄を差し出す。
「うんっ!グルーさん、一晩泊めてくれて有難うね!私、今日はちゃんと家帰るから!」
「…ああ」
「それじゃ、いってきます!じゃあねっ」
と、言い終えるや否やリリーメは走り出した。

「………騒がしい奴だ」
しかし、昨日に比べて少し元気にはなったようだ。
 グルーは一息吐くと、僅かに口元を緩めた。

 が、リリーメの足が学校とは正反対に向かっている事に気付くと――グルーは眉を顰めた。

 朝礼の時間には、まだ幾分かの余裕がある。しかし、リリーメの足は学校とは全く正反対の方向に向いていた。
 その後ろを、そっとグルーが追う。幸い、バイトの時間にはまだ余裕があった。

「よしっ」
町外れの、高台からも少し離れた場所。
 そこは一応メリッサの所有するルージュ家の敷地内ではあれど、あまり一般には知られて居ない場所であった。
 グルーは木陰にそっと身を隠す。尾行は得意であった。

 小さく二つ並んだ石段。リリーメはそれの前にそっとしゃがみ込む。
 何かの文字が彫られているが、グルーの場所から文章は見えなかった。

 しかし、それが何であるかグルーは一発でわかった。

(…墓、か)

「お父さん、お母さん。…少し、お話聞いてくれないかな」
リリーメはまるでそこに両親が居るかのように語りかける。

「私、…私ね、私なりに…頑張ってきたつもりだったんだ、姉貴に面倒掛けないようにーとか…まぁ、結局お世話になりっぱなしなんだけど…」
「…」
「私は私の夢を捨てたくないし、どうすればいいのかってわかってる。でも、…でも、…何度考えても…答えは一緒なの、変わんないの」
リリーメの声が震える。

「セアラさんと話してるときの姉貴見てると…何か、私置いてかれちゃったみたいで…もう、私のお姉ちゃんじゃないのかな、とか…思っちゃっ…今日も、…朝、そういう夢見ちゃって…」
きっと泣いているのだろう、そこから先は殆ど声になっていなかった。
 しかし、すぐに鼻を啜る音と共に言葉を続ける。

「…なんて、お父さんとお母さんに弱音吐いても仕方ないよね。…私、今日ちゃんとメリッサと話し合うから。29日、また報告に来るからね」
明るい声――否、明るく振舞っている声、であった。
 リリーメはそのまま、墓石を見つめる。

 自分はいるだけ野暮だと悟ると、グルーは去ろうと踵を返す――が。
 不意に、背後から足音が聞こえた。

(…?)

 グルーは素早く移動し身を隠した。
 ひらりと見えた、紅いスカート。

 その姿は、メリッサその人であった。


「…リリーメ…?」
「あ…姉貴…?」
リリーメは立ち上がる。メリッサが今の話を聞いていることは無いだろうが、リリーメは僅かに身構えたようであった。
 メリッサは軽く溜め息を吐くと開口一番問いかけた。
「学校は?」
「あ…時間…」
「もうすぐ朝礼が始まる時間よ、早く行きなさい」
リリーメは、俯いてその場を動かない。


「…何をしているの?早く――」
「そんなに、学校が大事?」
リリーメの口からそんな言葉が突いて出た。リリーメははっとして口を塞ぐ。

「…大事よ、決まってるじゃない」
メリッサはリリーメの手を掴むとそのまま土地の出口の方へと半ばリリーメを引き摺るように歩き出した。

「ちょっ…姉貴、痛い、痛いって!」
「お父さんとお母さんが昔から言ってたこと、忘れたの?「時間を守らないことは人として最低な事だ」って。遅刻だけは絶対にしないこと、って」
「え…」
リリーメは思わず言葉が止まる。
 メリッサは足を止めリリーメの手を引くと、その瞳を真っ直ぐ見つめた。
 背丈は元々同じで、丁度視線が重なる。

「…私は、…私は、あなたの姉なの。それは変わるつもりは無いし、これからもずっと、そのつもり」
きっぱりとした言葉であった。

「…あね、き…?」
「だから私はあなたの面倒を見るし、口煩いことも言うわ。…あなたが…いえ、あなたと私がどんな答えを出そうと、…私たちが姉妹であることに変わりは無いの」
メリッサは再び早足で歩き出す。それは、何処か自分に言い聞かせようとしているようにも取れた。

「…違う?私たちって、…そんなに簡単に壊れてしまうような関係だったの?」
リリーメは、違う、と呟くと思い切りメリッサに抱きついた。

「っ…うっ、…うわああああああん」
「もう、…そんなに泣いてちゃ、学校へ行けないでしょう?」
メリッサはその肩をそっと撫でる。その声音も、安心したような響きであった。

 グルーはそっと、踵を返した。この場で自分が見つかるのは非常に気まずい。
 リリーメの姿に何処か安心感を抱きながら、グルーはその場を後にした。


「ひっく…うぇっ、…姉貴ぃ」
「何かしら?」
「姉貴は、…姉貴は、好きなようにしていいんだからね?私は…セアラさんと住む事はできないけど、姉貴は…好きにしていいんだからね?私、頑張るから…ちゃんとあの家守るし、ちゃんと…」
リリーメはメリッサから離れると鼻を啜りながら呟く。メリッサはそうね、と小さく呟いた。
 メリッサはハンカチを取り出すと、そっとその頬を伝う涙を拭う。

「…答えは、出ているのよ。とっくに」
「え…」
「私は昨日、母にちゃんと返事をしたの――あとは、あなたのきちんとした答えを返すのみ、よ」
メリッサはそっとハンカチをポケットにしまう。
 するとリリーメは何を思ったか回れ右し、両親の墓場の前まで走って戻った。

「ごめんなさいお父さんお母さんっ、私昨日学校サボっちゃった…で、今日もう一日サボります、本っ当にごめんなさい!もうしないから!許して!」










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