その日は季節にしては珍しく柔らかい日差しで、気温もあまり上がらなかった。
時は月末に差し掛かる29日である。
「よかったねー、あまり暑くならなくって」
「そうね、あまり暑いと花がすぐに駄目になってしまうもの」
「ふふっ…良かったわね、過ごしやすくて」
そこには、リリーメ、メリッサ――そして、セアラの姿があった。
三人三様に黒いドレスの正装をし、それぞれ花を手にしている。墓前に到着すると、三人は並んでそっと腰を落とした。
そっと花を、墓前に並べる。
セアラは、墓石を愛しげに眺めた。
思えばセアラがかつての恋人の墓参りに来たのは――当然であるが、初めてなのであった。
「…ずっと、来たかったのよ。叶わないって…思っていたけど」
セアラは、その場に居る全員に向かうように言葉を紡ぐ。
「あなたたちが二人きりになったことを知って、ずっとどうしているのか気になっていた。メリッサに逢いたいと思う気持ちは忘れた事が無かったけれど、メリッサをルージュ家に置いていったとき…一度だけ逢ったことがあった、リリーメさん…あなたのことも、ね」
セアラはそっと髪をかき上げると言葉を次ぐ。
「リリーメさんのお母さん…ロージーさんもね、とても良い方だった…」
「…お母さんと、仲…良かったんですか?」
リリーメが思わず問いかける。セアラは穏やかに笑むと頷いた。
「元々はね、三人とても仲が良かったのよ。…私が姿を隠してメリッサを産み、数日後…リリーメさんが産まれたと、あなたたちのお父さんに聞かされたの」
「…」
「…でも、あなたたちに逢いにきてよかったわ。こうしてお墓参りも出来たし、それに――」
セアラは微笑むと立ち上がった。
「やっと娘に、母親らしい事がしてあげられるのだもの」
* *
朝の六時。
リリーメは早起きは得意であった。
もっとも今までより、一時間起床時間が早くなっただけなのであるが。
卵、ベーコン、スパイスに塩と胡椒。
軽く炒めるついでに、トースターに食パンをセットする。
いため終えたところで、トースターが軽快な音を立ててトーストの焼き上がりを知らせた。
紅茶は少し多めに作って、学校へ持っていくために水筒を用意する。
テーブルにセットしたところで、リリーメは自分の席に腰掛けた。
「いっただっきまーす」
外は明るい、しかし気候として靄が掛かっている。
この景色もこの時間に起きるようになった頃は目が慣れなかったものだが、見慣れるとなかなか綺麗なものだ。
最近まで自分はこの景色を知らなかったのである。思えば自分がまだ小さかった頃、明け方偶然起きてしまったときに窓の外にお化けを見た気がした。
このことだったのかとリリーメは今になって知ることになったのである。
あっという間に朝食を食べ終えると、朝食の残りを弁当箱に詰め込む。
水筒と一緒に鞄に押し込むと、そっと静かに家を出て――扉を閉めたのであった。
セアラ――セアラ・ソフィがこの家を訪れてから既に一ヶ月が経っている。
リリーメはメリッサが出した答えを聴かずに、セアラの前に再び姿を現すと…刹那、こう告げたのだ。
「ごめんなさい、私はやっぱりこの家が大切だから、セアラさんについていくことは出来ない。この家に残る」
当のメリッサはもう答えを出していて、リリーメの言葉を聞くとセアラは苦笑してこう言ったのだ。
「あなたたちには負けたわ、…まさか、全く同じ言葉で断られるなんてね」
リリーメは高台の階段を下ると、グルーの姿を見つけた。
「…あ、グルーさん。おはよー、朝早くからうちに用事?」
「いや、農場の先の森に野獣退治のバイトなんだが…メリッサは…」
「姉貴ならまだ寝てるよ、毎日遅くまで学校だから疲れてるみたい」
「そうか…わかった」
グルーは呟くと、リリーメの横を通り階段を上る。
セアラは、メリッサにもリリーメと全く同じ言葉で同行を断られていたのだ。
『お母さん、私あなたのことも大事なの。でも、今何より大事なのは…この家と…そして、長年一緒に生きてきた家族だから。まだこの地を離れる事は出来ないわ…一緒に行けなくて、ごめんなさい』
勿論、これ一言で収まった内容ではなかったけれども。
必死の思いでメリッサがした説得に、セアラはそれ以上厳しいことは言えず。
『そう、…それじゃあ、せめていくつか、条件を出させて頂戴?』
と、メリッサに条件付で今の家に住み続けることを承諾したのだった。
「定時制、かぁ…」
「夜間部…だよね、…時間数は昼間部と殆ど変わらないし、カリキュラムはコースごとに絞ってある…っていう…」
「そう、時間が昼間部とは全っ然違うし校舎も全然違うから、殆ど知らなかったんだけどねぇ」
「それに…夜間部は大人の人が多いしね……あまり縁の無いもの、って思っちゃうよね…」
昼休みの教室。リリーメとミリーは二人でお弁当を摘んでいた。
「そうそう、だから入学が義務教育終了後からおっけーってのも知らなかったんだよねー私…姉貴は知ってたんだと思うけど」
「それで…家の仕事は二人で分け合って、リリーメは自分が出来る事は自分でやって…メリッサが夜間部に通うことが、二人が今まで通り暮らす条件……」
「そういうこと。あとたまには顔見せに来いってさ。セアラさんの街、馬車で行けるらしいし」
ミリーは自分で作ってきたサンドイッチを口に運ぶ。
「…でも、いい人でよかったね」
「ん、…一時はどうなるかと思ったけど。で、私家の仕事手伝うからバイト入るの凄い少なくなっちゃったんだ、ごめんねミリー!」
リリーメは両手を合わせて頭を下げる。ミリーは慌てて手を横に振った。
「いいよぉそんなの…私ももう慣れてるし…その、グルーさんもいるから…」
「えー何々、ミリーはカレイド君一筋じゃなかったわけぇ!?」
「ちょっ…リリーメ、声が大きいよっ…、それに、そういう訳じゃ…!」
「あはは、わかってるって」
昼休みの教室に、笑い声が木霊した。
「…あら、こんばんわ」
「メリッサか、久し振りだね。これから学校?」
「ええ…あなたは、バイトの帰りかしら?」
メリッサはファレイを見上げると、そっと鞄を揺らした。
「少しクレイアのところに行こうと思うんだ、…夜間部はどう?」
ファレイは軽く小首を傾げて問いかけると、メリッサは緩く口角を持ち上げた。
「楽しいわ。私が学びたかった事が中心のカリキュラムだし…少し憧れはあったのよ。通いは無理って諦めていたけれど」
「良かったじゃないか、学費は出してもらえてるんだろう?」
「ええ、…最初は断ったのだけれども、どうしてもって聞かなくて」
メリッサは嬉しそうに小さく笑うと、それじゃあ、と去っていった。
「…さて」
ファレイはその姿を見送ると、高台の階段を上り始める。
そっと、眼鏡の弦を持ち上げた。
月明かりが、そっとその背を照らし出していた。
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