季節は晩夏。もうすぐ秋になろうという季節。
 月が綺麗に映える季節で、空が透明度を増すのもこの時期と言われていた。

「…あら、珍しいじゃない。あなたが一人で来るなんて」
クレイアは机上で書き物をしていると、来客に小さく声を上げた。



銀の風見鶏 第九話 DEEN



「こんばんわ、クレイア。少し久し振りだね」
「そうね、…今日はまた、何の用事かしら?」
椅子に腰掛けたまま開いた書物をぱたん…と静かに閉じると、目の前の青年を見遣りそっと小首を傾げた。
 さらさらとした銀髪、前髪に入った禍々しい赤紫のメッシュ、優しげな双眸――
 高い身長に、抜けるように白い肌。その表情は、常にポーカーフェイスで時に微笑。
 表情から感情を読み取らせないこの男を、クレイアはよく知っていた。
 男はふっと微笑むとクレイアの方へと数歩歩む。

「最近ちょっと眼鏡の調子が悪くてね、見て欲しいんだ」
青年――ファレイ・クレイドはそっと眼鏡を外すとクレイアに差し出した。クレイアは立ち上がるとそれを受け取る。
「あら…その眼鏡の資料、限られてるのよ。直せるかどうか…ちょっと見せて頂戴」
クレイアは珍しく曖昧な口調で返すと、継ぎ目やレンズに異常が無いか調べ始めた。
 小さな拡大鏡に透かしながら、クレイアは呟く。
 拡大鏡は、特にこれといって異常を映さなかった。
「…見たところ、特に異常は無いわ…ネジもしっかり締まっているし、レンズに何の異常も無い」
「ああ、本当に?可笑しいな…どうも最近、それをかけていると調子が悪くて」
「困ったわね…あなたの眼の方に異常が出てきたのではない?ちょっと座っていただけるかしら」
ファレイは手近なソファに腰掛けるとクレイアは立ち上がり、そっと顔を近づけて手元で小型のランプを光らせた。
 そのまま静かに目元に光を当て、覗き込む。
 ファレイは見られるがままに診療を受けた。
 後、クレイアはそっと目を閉じファレイから離れる。

「…そうね、…異常は眼鏡より眼のほう、みたいだわ」
「そう…か、…」
クレイアはノートに何やら書き込みながら、溜め息を吐く。
 ファレイはその回答を知っていたかのように、座ったまま静かに返事をした。

「…ファレイ君、今年が何の年だか知っている?」
「月神の年、と言われている年かな」
クレイアは更にノートに眼鏡の形状等まで細かく記すと立ち上がり、ファレイに眼鏡を返した。
「よく知っているじゃない」
「知らないはずが無いだろう」
ファレイは眼鏡を掛けるとふっと笑む。
「月神の年、…五十年に一度訪れると言われている、月が見える時間が一年を通して長いとされる年、ね」
「実質長いんだよ、特にこの季節は――月神の年の中でも最も月が綺麗に見えるとされている季節なんだよな」
言葉とは裏腹に、何処かその笑みは自嘲気味であった。
 クレイアはそうね、と一言呟くと壁から適当な小瓶を幾つか取り出し、調合を始める。

「…」
「…こんなことは初めて…よね…」
クレイアは小さく呟き、一つの小瓶にコルクで栓をする。
「そう、だね。でも…前の月神の年の時、次回はちょっと危ない気がしてた」
クレイアはその言葉にぴた、と手を止めるとすたすたとファレイに詰め寄る。

「…何でその時言ってくれなかったの、それだけの時間があれば…!」
「何とか、出来たかもしれない?」
ファレイは悲しそうに笑うと、クレイアははっとしたように固まった。
 そのまま冷静さを取り戻すと、手にした小瓶をそのままファレイに差し出す。

「…一応、暫定的な目薬よ。毎夜使って頂戴、…多少はマシになると思うから」
「有難う」
ファレイはそれを受け取るとクレイアの頭をそっと撫ぜる。
「御代は…」
「いらないわ、…その代わり、それが切れたら…また来て頂戴」
そう呟くと、ファレイはわかった、と軽く頷いた。

「それじゃあ、お邪魔しました」
「ええ、…また」
ファレイが帰ったのを見送ると、クレイアは重い溜め息を吐いた。

 眼球の異常。
 というよりも、クレイアが確認したものは――

「…何でもっと、早く言ってくれないのよ…」







 一人の青年がいた。
 白い肌、小さな八重歯、肩よりも少し長い髪は禍々しいほどの赤紫。その表情は前髪に隠れてよく見えなかった。
 青年は早くに家族と決別し、一人森の奥でひっそりと生活を送っていた。

 ある日青年は、一人森の奥で薪を集めていた。

「――あ…」
「あら…きゃあっ!!」
ふと、青年の姿を見た人間が声を上げて逃げていった。
 長い前髪が、青年の目を覆っている。
 青年は人間の行動をまるで慣れているかのように作業を再開すると、森の更に奥から悲鳴のような声が聞こえてきた。

「きゃー!!!!!誰かっ、…誰か助けてー!!!!!」
さっきの人間の声ではない、別の誰かの声であった。
 青年は一瞬躊躇するも、手にした薪を足元に置くと走り出した。

 声の主は、案外あっさりと発見された。
 真っ黒なローブ、ひらひらとしたマントについたフードを深く被っている。
 フードの中から、きらりとブロンドの髪が零れ落ちて見えた。

 そして、ローブの足元から出た白い足は――靴の上から動物を捕らえるための罠が食い込み、真っ赤な血が流れていた。
 
 声の主――金髪の少女は青年を見上げるとマントのフードがぱさ、と落ちた。

「た、…助けてくださいぃ…」
少女は半泣きのまま、青年を見上げて呟いたのであった。






「いただきます」
「ああ…」
朝。今日の朝食当番はグルーであった。
 グルーの部屋は相変わらず埃っぽく、整理整頓が出来ていないようであった。

「…なかなかじゃないか、グルー料理上手くなったよな」
「そうか…?」
「ああ、最初の頃の料理と比べたらな」
ファレイはグルーの作った炒め物を口にしながら軽く口角を持ち上げる。
 今日はカレイドは学校の都合で先に学校に行ったため、この場にはいなかった。

「…っ、痛…」
ふと、ファレイは軽く口元を押さえる。
 グルーはファレイの方を見遣ると
「…どうした」
「…、…いや…大丈夫」
ファレイはハンカチを取り出すと、そっと口元を拭った。
 小さく血がついている。グルーは僅かに眉を顰めた。

「…ちょっと口を切っただけだよ」
「何か骨でも入ってたか…?」
「いや、料理のせいじゃないから。大丈夫」
ファレイはそう言い切る。何処かそれは、それ以上を言わせない力が籠もっているようであった。
 グルーは多少訝しげに見るも、それ以上追求はしなかった。

「グルー、今日はバイト?」
「ああ…午前中だけな。今日は学校が早く終わるらしいから…ミリーと入れ代わりで上がりだ。ファレイは…いつもと一緒か」
「ううん、今日は休みなんだ。久し振りの休みだから、適当に散歩でもしようと思ってね」
グルーはそうか、と呟くと皿を片付け始めた。同時にファレイもご馳走様、と呟き皿を片付けるのを手伝う。

「グルーはさ」
「何だ…?」
「結局、ティファとはうまくいってるわけ?」
「な…」
グルーはファレイを見返すと、何処か重い溜め息を吐いた。

「…よくわかんねぇんだよ」
「…?」
「最近、ティファが何考えてンのか…まったく、女ってモンはわかんねぇな」
本当に、と呟くとファレイは思わずくくっと笑い出した。

「…何だ」
「いや、…ごめん、何か可笑しくて。それじゃあ、お邪魔しました」
ファレイはそう言うと、早々にグルーの部屋を後にした。
 後ろで「待てファレイ…!」と聞こえたような気がしなくも無かったけれども、それは聞こえなかったことにした。


「…っ…」
部屋に戻ると、ファレイはそっと口を開き歯に指を這わせる。
 こつり、指に何かが触れる感触があった。
 刹那、背筋が凍るようにぞくりと悪寒が走る。
 ファレイは恐る恐る、鏡を持ち上げ――鏡の中の己を睨んだ。

「…!」
鏡に映っていたのは、小さな――されど鋭い、八重歯であった。

 ファレイは長く息を吐き出すと、鏡を持った手をだらんと力なく垂れた。















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