「…助けてくださり、ありがとうございました」
金髪の少女は、座ったまま青年に恭しく頭を下げるとにこりとはにかむように笑った。
「いや…それにしても、魔法使いならあれぐらいの罠を破壊する事ぐらい簡単なはずじゃ…」
「私、魔法を使うのが苦手なのよ。以前破壊魔法かけて、木を一本切り倒しちゃった事があるのよね」
少女は無邪気にあっけらかんと笑う。青年はしゃがみ込んだままはっとしたように
「あ、足は…」
「大丈夫よ、もう治っているから」
少女は立ち上がると、ほら、と罠に掛かっていた足元を見せる。
裂けていた靴も白い肌も元通りになっていて、既に傷は跡形も無く消え去っていた。
「あ…あなたこそ、手…!」
ふと、少女が青年の手を取ろうと手を伸ばす。きっと罠を解除するときに傷つけたのだろう、手に血がついていた。
「!駄目」
青年は強く言うとその手を引っ込めた。少女は思わず立ち尽くす。
青年は立ち上がると、ごめんね、と一言呟いた。
「この血に触れると、侵されてしまうよ」
「…」
少女は手を伸ばすと無理やり手を避け青年の腕を手に取った。
「…!ちょっ…」
「―――」
少女は小さく呪文を唱えると、青年の手から傷が消えるように癒えていった。
やがて、血痕も全て無かったかのように消え去ると少女は満足したようによし、と微笑む。
そのまま、その手を握手するように両手で握った。
青年は驚いたようにその手を見る。
「今日は助けてくれて本当にありがとうっ、あなたの名前を教えていただけるかしら?」
少女は無邪気に問いかけた。青年は、静かな口調で
「…ディーン。ディーン・グランド。…君は?」
「セルビア。この森の奥に住んでいる魔女よ、よろしくね」
街を歩いていた。
もう秋も近いとはいえ、昼間はまだ少し暑さの残る陽気である。
海岸沿いを下って、そのまま街を出ると浜へとたどり着いた。
ざざん…ざざんと波の音が静かに鳴り響く。
砂浜と貝殻の交じり合った浜辺は、つま先で蹴るとざくりと鳴った。
「――そういえば…」
彼女は海が好きだと言っていたっけ。
まだ一度しか見たことが無いと言っていた海を。
ファレイはそのまま海岸をざくり、ざくりと砂を蹴りながら歩く。
海岸沿いをこうやって歩くのは、一体何時振りだっただろうか。
ふと、足元に大きな貝殻が転がっていることに気付きファレイは足を止めた。
それはよく子供が耳に当てて、波の音が聞こえるという形の貝殻であった。
膝を折り、それをしゃがみ込んで拾う。
それは無数の小さな貝殻に埋もれた、何処か不自然なほど大きい貝殻であった。
大人の男の片手で包み込めるほど大きい。
「………」
所詮は貝殻。ファレイはそれを投げ捨てようと海に向かったその時。
「あっ、お兄ちゃん!それぼくにちょうだい!」
後ろから声がした。はっと、貝殻を持った手を下ろして振り返る。
小さな男の子が立っていた。
男の子に、そっと貝殻を渡す。
「いいよ、どうぞ」
「わーい!ありがとう」
男の子は無邪気に笑うと、走り去っていった。
それを見送ると、ファレイはその場にそっと腰掛ける。
波打ち際から大分離れている為、地面は乾いていた。
ざざん、ざざん…
暫くは何も考えず、波の音だけを聞くことにした。
「きゃー!!!!!誰か、誰か助けてー!!!!!」
同じ声を聞いたのは、あまり日の経たないうちであった。
ディーンはいつものように薪をまとめ、家の暖炉の脇に積む。
今日の夕食は何にしよう、と漠然と考えている最中のことであった。
「………」
「あ、…あはは」
ディーンは、また罠に掛かった彼女を解放してやった。
「一度掛かった罠のある場所ぐらい、ちゃんと覚えた方が良いんじゃないか?」
「だって、草に隠れてよく見えないんですもの」
それが彼女の言い分であった。
また数日が経った頃。
「きゃー!!!!!誰か、誰か来てー!!!!!」
ディーンは思わず頭を抱えた。声の主は、行かなくともわかっていた。
流石に静かな森をあれだけの音量で叫んでいれば、今度は誰かしら人間が気付くだろうと放っておく事にした。
「きゃー!!!!!痛い、痛いのー!!!!!助けて助けて死んじゃうー!!!!!」
ディーンははぁ、と溜め息を吐くと重い腰を上げて外へと出て行った。
「…どういうつもり?」
「ど、どういうつもりも無いのよ、ただ決まってここで引っかかっちゃうだけでー…」
「嘘。君ほど力の強い魔法使いが、こんな簡単な罠にこんなに何度も引っかかるわけが無いだろう」
セルビアはディーンを見上げると、あら、と悪戯っぽく笑う。
「私の力がわかるのね」
「最初から知ってたよ、俺でなくとも、それだけの魔力の大きさなら少しでも魔力を持つ奴ならわかるだろ」
「能ある鷹は爪を隠すって言うじゃない、私も少しはセーブしてるのよ?」
「君の場合、あまり隠れていないと思うけど」
ディーンは溜め息を吐くと、セルビアはあはは、と無邪気に笑った。
何が可笑しいんだか、とディーンは立ち上がる。
そのまま帰ろうとくるりと回れ右をすると、その袖をセルビアが掴んだ。
「…怒った?」
不安げな瞳で、ディーンを見上げる。自身の長く垂らした前髪のせいで、その表情はあまりしっかりは見えないけれども。
否、見えてはならないわけだけれども。
ディーンはふいとそっぽを向くと「別に…」と、短く答えた。
「じゃあ、決まりっ」
「…何が?」
「あなた、今日これから私の家へいらっしゃいな!いつも助けていただいているお礼に、美味しいお茶をお入れするわ!」
セルビアは一人で盛り上がると、そのままディーンの手を引いた。
「え、ちょっ、待っ…」
「待たないわ、妹にも紹介しなくちゃ。こんなに優しくて綺麗なお兄さんがお友達になったのよ、って」
日も高くなった頃、ファレイは街に戻るべく歩き出した。
己に駆け寄ってきた少年の姿も、もう浜辺には無かった。
きっと昼食をとりにでも帰ったのだろう。
潮の香りと何処か粘つく風が頬を掠める。
ファレイはもう一度、海を振り返るとそのまま浜辺を去った。
そろそろ昼食を、とルネサンスへと向かって歩く。
「…ファレイか?」
「ん?…ああ、グルー。これから昼飯か?」
「ああ…ルネサンス行くところだ」
グルーはそう言うとファレイはそうか、と呟き、二人で歩き出す。
「俺も行くところだ、一緒に行こう」
「ああ…」
二人でルネサンスの門をくぐると、優しげなベルの音といらっしゃい、とレオラの元気な声が二人を迎えた。
「ターメリックライスのランチセット」
「ガーリックトースト、俺もランチセットね」
「はーい、それじゃあ少々お待ちください」
レオラは素早くメモを取ると、キッチンの方へと下がっていった。
その様子をぼんやりと見守る。すぐにレオラはランチセットのコーヒーとサラダを持ってきた。
「お待たせしました、っと」
「ああ、ありがとう」
ファレイは軽く礼を言うと、グルーも軽く会釈した。
「…レオラ」
「何?」
ふと、グルーが声をかける。ファレイもグルーの方を見遣った。
「結婚するんだってな」
「え…ちょっ、何で知ってんの!?やだもう、後で言おうと思ってたのにー!」
「ああ、そうなの?レオラ」
ファレイが続いて問うと、レオラはあはは、と笑い軽く頭を掻いた。
「そう。実はね、来月正式に式を挙げることになったの、…本当はもっと早く挙げる予定だったんだけど、急にケイの仕事が忙しくなっちゃって。来月は落ち着くって話だから」
「そうか…まぁ、…おめでとう」
「おめでとう、どうりで今回は滞在が長いと思ったよ」
レオラの仕事はパートナー・ジョブと呼ばれるもので、旅をしながら仕事をするということが基本となる。
レオラはブルースカイを基点としている為、一つの仕事を終えるたびブルースカイへと戻ってくるのだが大抵1〜2週間で次の雇い先を見つけてブルースカイを発っていく、これが今までのレオラの生活であったのだ。
ちなみに此処ルネサンスはレオラの実家であり、レオラはブルースカイにいる間はこの店を手伝っているのであった。
「ありがとう。それにしても…本当、グルーは誰に聞いたの?」
「…リリーメから聞いた」
「あー成る程、あの子はこの前メリッサと一緒に来てたからね。その時報告したのよ」
レオラはふふっと笑うと、それじゃあごゆっくりね、と奥に戻っていった。
「幸せそうだな、レオラ」
「ああ…」
ファレイが呟くと、グルーも同意するように頷く。
「思えば、レオラってシルドと同い年だったんだよな」
「…そうだったのか?」
「ああ、グルーとは一つしか違わないはずなんだぞ」
ファレイが言うと、グルーは長く息を吐きながら改めて仕事をするレオラを横目で見た。
「…わかんねぇもんだな…もっと年上かと思っていたが…」
「ああ、まぁケイさんと付き合ってるだけあるよな。ケイさんは…確か今年26になるとか言ってたっけ」
ファレイが思い出すように呟く。ケイというのは、レオラの婚約者でありルネサンスと別件で仕事をしている青年であった。
たまにルネサンスのウエイターをやっているため、グルーやファレイもレオラ同様顔見知りである。
少しの間の後、食事が運ばれてきた。
「はい、お待たせしました」
「ありがとう」
二人は各々食事に手を付け始める。
「…シルドがいたら、真っ先にどうやって祝うかとか言い出していたんだろうな」
「そうだね、何だかんだ羨ましすぎるとか言いながら、真っ先にお祝いを考えるのはシルドだろうな」
ファレイは軽く口角を持ち上げて笑うと、ガーリックトーストを口にする。
「この街で結婚式を挙げるとすると…何処になるんだ?」
「そうだな…いくつか場所はあるけど、学校の近くに教会があるんだよ。そこでやるんじゃないかな」
ファレイが口にすると、グルーはそうか、と呟く。ファレイは外を見遣りながら軽くコーヒーを啜った。
結婚式、か。
ファレイはそう呟くと、グルーはファレイを見遣った。
「…ファレイ」
「何だ?」
「俺が聞くのも変な話かもしれないが…その、…ファレイにはそういう話はないのか?」
ファレイはそれを聞くと、驚いたように目を丸くしてグルーを見返した。グルーはふいとそっぽを向く。
「珍しいね、グルーがそういうことを聞くのは…何でまた?」
「…別に、聞いてみただけだ。無理にとは聞かない」
グルーはコーヒーに口を付けると、フゥと息を吐いた。
「…真似事ならやったことあるよ」
「…真似事?」
「そう、結婚式の真似事」
ファレイはそう呟くと、コーヒーカップを置く。
そっと窓から外を眺めた。
「まぁ、ままごとみたいなものだよ」
ファレイがそう言うと、グルーはそれ以上何も聞かなかった。
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