「此処よっ、此処が私の家なの!」
手を引かれて連れて行かれた先、それはある小さな広場であった。
建物は一切無い、そこにあるのは、唯一つ――一歩分ほどの大きさの魔法陣だけであった。
「…これは…」
「さぁ、いらっしゃい」
セルビアはディーンの手を引くと、その魔法陣の上に乗った。刹那、二人は光に包まれる。
「――!」
ディーンは強い光に反射的に片手で目を隠すと、次の瞬間自分が別の場所に飛ばされているのがわかった。
「…目を開けても大丈夫よ」
「…?…此処は…」
セルビアの言葉にディーンが手を離すと、そこは部屋のような場所であった。
日は一切当たらない、ランプであちらこちらが照らされていて、沢山の本棚に沢山の書物が詰め込まれている。
部屋のあちらこちらには何か薬漬けにされた標本があったり、自分の背の半分はあろうかという大きさの壷があったりと――いかにも魔法使いの部屋といった様子であった。
「…姉さん、帰ったの?」
不意に、別の声がした。ディーンがそちらを向くと、そこには別の少女が立っていた。
年齢はわからない、しかしセルビアよりも少し幼い――否大して変わらないようにも見えるけれども。
肩より長い黒髪を垂らし、セルビアよりは幾らかの落ち着きを持った少女の姿であった。
セルビアは少女のもとへと駆け寄る。
「くぅちゃん!ただいま、お客様を連れてきたのよ」
「お客さん…?」
くぅちゃん、と呼ばれた黒髪の少女はそっとディーンの姿を見る。ディーンは思わず目を逸らした。
「ディーン、紹介するわ。此方は私の妹でクレイアというの。くぅちゃん、此方は私のお友達でディーンさん。いつも助けてもらっているの」
「…そう、よろしく…ディーンさん、姉がいつもお世話になってます」
「あ…ああ、よろしく」
「さ、ディーンさんどうぞこちらへ。そこのソファに座っていてちょうだい、今お茶を淹れてくるから。くぅちゃんもお茶にしましょ」
セルビアはディーンを促しソファに座らせると、クレイアはその脇にある一人がけの椅子に腰掛けた。
ディーンはほぅと息を吐く。ソファのすわり心地は非常に良かった。
「…姉が本当にお世話になっているみたいで、いつもありがとう」
「いや…別に、お世話ってほどのことは…」
「あなたのことは前から知っていたわ、少し此処を歩いたところにある小屋に住んでるメデューサ一族の末裔さん」
それを聞くと、ディーンははっとしてクレイアを見る。
「…知っていたのか」
「あなたの話は聞いていたし…姉さんだって、その前から知っていたはずよ」
そう言うと、セルビアはお待たせ、と笑顔でポットとカップを持ってきた。
三人分の紅茶を注ぐと、部屋をハーブティーの香りが充満する。
「もぉ、くぅちゃんってば。そんなこと言ったら恥ずかしいじゃないの」
「…何がかしら?」
「…」
セルビアは笑顔でそれぞれ紅茶の入ったカップを目の前のテーブルで配ると
「気を悪くされたらごめんなさい、でも私、あなたとずっと友達になりたかったの」
そう言ってディーンの隣に腰掛ける。思わずディーンは目を逸らした。
そっと紅茶を啜る。紅茶はとても美味しかった。
「…美味しいよ」
「本当!?ありがとう!淹れたかいがあったわ」
セルビアは心底嬉しそうに微笑むと、ディーンと一瞬だけ目が合う。普段は長い前髪で隠れている双眸だが、一瞬だけその髪が揺れた。
ディーンは咄嗟に目をそらす。セルビアはふふっと笑った。
「大丈夫よ」
「…え?」
セルビアはお見通しと言わんばかりにディーンを見上げる。ディーンは恐る恐るセルビアの方を向いた。
「私たち一族は、少し目が合ったぐらいでは石化しないから」
ディーンは驚いたように目を見開く。セルビアは微笑むと、ふわり、その前髪を避けるように手を伸ばした。
赤紫の髪と同色の瞳が露になる。
メデューサの瞳。それは、目を合わせた者を一瞬で石化させてしまう効果があるのであった。
「綺麗な瞳ね…まるで宝石みたいだわ。勿論、長時間見詰め合ってしまうと――私たちも、石になってしまうのだけども」
昼食を取った後、ファレイは結局図書館で一日を終えた。
自分の職場であるが、流石に勤務中に本を読むことは出来ない。
久し振りに半日、読書に勤しんでいたのであった。
「…そろそろ閉館ですよ」
同僚がファレイに声をかける。ファレイはああ、と呟くと本をぱたん、と閉じた。
もうそんな時間になっていたのか、とファレイは本を元の場所に戻すと図書館を出る。
丁度日が落ちた時間であった。
ファレイは眼鏡を取り出すと、そっとかける。
少しばかりの頭痛が襲う。
気にしないように歩くも、それは前日よりも確実に酷くなっていた。
そっと建物の影に隠れ、クレイアから処方してもらった目薬を点すと――痛みは少し、緩和された。
「…まずい…」
ファレイはそう呟くと、フィッシュ館へと足早に戻る。
階段を上がると、自分の部屋へとなだれ込むように直行した。
そのままベッドに倒れこみ、カーテンを思い切り引く。
そっと手鏡で、己の姿を映し出した。
それはいつもと変わらぬ、己の姿であった。
「…大丈夫、…まだ大丈夫だ…」
しかし、長くは持たないことを――ファレイは、自身で悟っていた。
ディーンはそれから、よくセルビアとクレイアの住む“家”を訪れていた。
そもそも一人身である生活、それでいて人間は己を怖がり時によって己を殺そうと乗り込んでくる――
無理は無い。
メデューサとして生まれた自分を、今更呪ったところで何のメリットも無いのだ。
赤紫の髪、赤紫の双眸。
その瞳と目が合ってしまえば、一瞬で石にされてしまう。
メデューサはそうやって生物を殺め、その者の生気を食らうのだ。そうして幾らでも、寿命を延ばすことが出来る。
人間以外も例外ではなく、ディーン自身もそうやって幾つもの生物を殺めてきた。
そもそも、人を殺す事が好きではない。そんなディーンは、元々末裔一族の中でもはみ出し者と呼ばれていた。
ある時メデューサの一族は種族同士の争いにより滅ぼされる。ディーンはその時既にメデューサの一族を離れ一人で暮らしていた。
食料は動物や菜食で調達し、出来る限り人間に近い生活を送っていたところで――自分がもう一人ぼっちになってしまったことを知るのであった。
「…ディーンは本が好きね」
セルビアはそう言って笑うと、ディーンに紅茶を差し出した。
セルビアの家に来る目的の一つが、本であった。
ディーンの家にも本はあるが、人間との繋がりを断絶してしまっている中で書物を手に入れることは非常に困難となっている。
その為この家の本は非常にいい刺激であった。
「ああ、元々読むのが好きだからね」
「今日は何を読んでいたの?…“種族全集”?」
「そう…俺さ、こう言うのも可笑しいかもしれないけど…人間になりたいんだ」
人間になること。
それは、ディーンの昔からの夢であった。
セルビアは驚いたようにディーンを見返す。
「あら、どうして?メデューサでいれば生き物の生気を糧に長い時を生きる事が出来るというのに」
セルビアは隣に腰掛けると、上目遣いでディーンを見上げる。
「それでも、長い時をたった一人で、他の生き物を犠牲にして生気を吸い取って、一人ぼっちで閉鎖的に生きるくらいなら――短い寿命であっても、人に囲まれて自分の愛する誰かと暮らしたいと、そう思わないか?」
セルビアはそれを聞くと「そうね」と呟いた。そのままディーンに擦り寄って本を見遣る。
「もしも、…もしもよ」
「…?」
「もし、長い寿命の中で――同じ長命種族と生きるのだとしたら、あなたはメデューサのままでも良いと思う?」
ディーンは驚いたようにセルビアを見返す。セルビアは真剣な眼差しで見つめ返した。
「…答えて」
と呟いた。
ディーンはううん、と考えるように口元に手を当てると
「…それでも、俺は人間になりたいかな」
「…そう」
「だって、人間にならないと…俺は自分の愛する誰かを、見つめることもできやしないんだよ」
ディーンは悲しげに笑った。
セルビアはその表情を一瞬だけ見届けるも、すぐに俯き再びディーンに擦り寄っていった。
→NEXT
→銀の風見鶏TOPへ