「――…クレイア」
「…何かしら?」
「…俺のこと、見放してくれないかな」
ファレイがベッドの上で呟くと、クレイアは思わず其方を見返す。
 ファレイは眼鏡を掛けると、よろりと起き上がった。

「今のままでは、どうにもならない――けど、俺は…メデューサに戻って永遠に近い時を生きるのは、どうしても耐えられないんだ」
「……」
「今、俺はこのままの状態で放り出されたら――メデューサの侵食が始まるだろうけど、この身体のままではどちらにせよ長くは持たないだろうし」
ファレイは自嘲気味に苦笑すると、すたすたとクレイアはその傍へと歩んだ。
 刹那、ぱしん、と乾いた音が響いた。
 思わず、その頬を思い切り打っていたのである。
 白くやつれていた頬に、血が通うように赤が浮かんだ。

「…姉の想いを、全て無駄にするつもり…?」
「…」
「姉は…姉さんは、あなたには生きて欲しいって、…そう言って…」
クレイアは俯くと小さく肩を震わせた。ファレイはごめん、と小さく言葉を紡ぐ。
 背を向けると、クレイアは震える声で言葉を次いだ。

「…ごめんなさい」
「…」
「けれど…あなたは何もわかっていないわ」
クレイアは背を向けたまま話を続ける。

「あなたが生き続けるのであれば、あなたがどんな選択をしても仕方ないと…姉さんは言ったわ」
「…」
「そのままの身体では、どちらにせよ長く持たないことを悟っていたし…ただ、生き続けてくれればいいと…自分で命をなげうつ事だけは許さない、と」
クレイアはそのまま足早に自室へと向かう。
 部屋は暗く、今が昼か夜かもわからない。
 ファレイは毛布を被ると、頭を抱えた。

「…、…セルビア…」





 ディーンは再びセルビアとクレイアのもとを訪れるようになっていた。
 クレイアもセルビアに念を押されたのか、特にディーンに何かを言ってくることは無くなった。
 セルビアは魔法の研究に励み、ディーンはそれを見守っていた。

 幸せな期間が続いた。


「…ねぇ、ディーン。もうすぐ魔法が完成しそうなのよ」
そんなことをセルビアが言い出したのは、数ヶ月のときが経った後であった。
 ここはセルビアの自室。書物が山のように積まれ、ディーンはその中の一つを手にとって開いていた。
「それで…一つ、約束して欲しい事があるの」
「約束…?」
「そう」
セルビアはディーンへとそっと抱きつく。

「私と結婚してちょうだい」
ディーンは驚いたようにセルビアを見下ろす。

「人間の真似事でいいのよ、…私、結婚式を挙げたいの」
「…でも…」
「あなたが人間になってしまったら、…長いときを一緒に生きる事は不可能になるわ…けど、ほんの少しのときでも、人間と同じように…愛しい人と一緒に生きる事が出来るのよ」
セルビアはそっとディーンを見上げる。その頬に、そっと指を這わせた。

「…ねぇ、答えてちょうだい、ディーン。…あなたは私のことが好き?」
ディーンはセルビアをそっと抱き寄せると、その頭を撫でる。

「好きだよ、…とても」
「ふふっ、やっと言ってくれたわね」
「…そう?」
「そうよ、あなたはいっつも自分じゃ言ってくれないんだもの」
セルビアはその腕の中で幸せそうに笑う。

「約束よ、あなたに術をかけた後――すぐがいいわ、ドレスもすぐに仕立てるの。くぅちゃんにも手伝ってもらいましょ、場所もね、いい場所があるのよ」
セルビアはその腕の中で幸せそうに語る。
 ディーンは苦笑に近い笑みを浮かべていた。勿論、その顔は抱きしめているセルビアには見えないのだけれども。

 禁忌とされているその魔法の成功率がとても低い事を、ディーンは悟っていた。
 また、それが大きなリスクを伴うことだということも。

「…セルビア」
「何かしら?」
「愛してるよ」
「…もうっ」
セルビアは照れたように胸元に自分の顔を摺り寄せた。
 その小さな身体を、ディーンは思い切り抱きしめる。
 その姿は、普通の少女そのものであった。


 その数日後。
 ディーンの身に予想だにしていなかった出来事が起こった。
 ある日突然、ディーンの家の扉が叩かれた。
「――はい」
「此処に、紅い髪の青年が住んでいますか?」
「…どちら様ですか?」
「………」
返事が聞こえなくなった。
 ディーンは扉をそっと開ける。すると、その扉は思い切り何かの力によってこじ開けられた。
 弾みで眼鏡が落ちる。

「…っ!」
「化け物めっ!」
目の前にいるのは数人の青年の姿である。
 青年の腕に光るのは見覚えのある腕章であった――「モンスター・バスター」の仕事に登録すると着用が義務付けられる腕章である。
 思わず顔を上げた。

 斬りつけてきたうちの一人と、しかと目が合った。


「…!」
「う…っ!?」

 それが、青年の最期の声となった。

 咄嗟に目を閉じたディーンがそっと目を開くと、そこにいたのは、石となった青年の姿。
 思わず座り込み、ディーンは背筋がぞくりと寒くなるのを感じた。

 そこから先のことを、ディーンは覚えていなかった。
 ただ、気が付くと己の前にあったのは――最初にやってきた五人の青年の石化した姿だけであった。


 咄嗟に足元に落ちていた眼鏡を拾い、弾かれたように走り出す。
 己の中に青年達の若い生気が流れ込む。喉元を過ぎる生暖かい感触に吐き気がした。
 ディーンは、セルビアやクレイアの住む魔法陣の上へと乗った。


「…あら、ディーンさん。そんなに急いでどうし――」
「セルビアは…?」
「え…?」
クレイアは緩く首をかしげると、ディーンはその場にへなへなと座り込む。
 と同時に、片手で口を押さえた。

 喰ってしまった。
 最期の青年の表情がフラッシュバックする。
 数秒前は、普通に己の家の扉を叩いていたと言うのに。

「あら、ディーン。ちょうどいいわ、たった今魔法が――」
「セルビア!」
「えっ?」
ディーンは顔を上げると、泣きそうな――否、半分泣いていたのかもしれない、そんな表情で、言った。

「俺を――俺を、今すぐ殺してくれ…っ!!」
「…え…」
「こんな身体もう嫌だ、一刻も早く手放したい…こんな自分も、もう要らない…棄ててしまいたい…!」
床へと崩れ落ち、搾り出すような声で叫ぶ。セルビアは、ディーンの顔を上げさせると、思いきりその頬をはたいた。

「…っ…!」
「ばかっ、私があなたを殺せるはず無いでしょうっ!!あなたが死ぬのなんて嫌っ、あなたは短い生でも…私と一緒に生きるって決めたんでしょう!?」
セルビアまでもが、座り込んで大粒の涙を零した。
「………」
「…ばか、ディーンのばか…私、ディーンと一緒に生きるために頑張って、魔法だって研究して…」
ひっくひっくと、しゃくり上げる声が響く。
 ディーンはセルビアの頬にそっと手を伸ばすと、その涙を拭った。

「…セルビア」
「ディーン…」
「ん…?」
セルビアはそっと顔を上げた。

「…魔法を実行しましょう、今」
「え…」
「ちょっ…姉さん!?」
クレイアが間に割って入る。
「ちょうど今、魔法実行の見通しが全てついたところなの。細かいところとか、追求しだすとキリが無いし――今しか無いと思うの、私は」
「でも、そんな危ないこと…」
「くぅちゃん、…ごめんね」
セルビアは大人びた妹の頬をそっと撫でる。
 クレイアは諦めたように息を吐き、目を伏せると――

「…くれぐれも、無事で」
と、呟いた。

「心配しないでっ、私の力を知ってるでしょ?」
「…セルビア…」
「ディーン、来てちょうだい。…大丈夫、必ず成功するから」
セルビアはディーンの手を引くと、自室へと足を踏み入れた。
 クレイアは同席はしないようで、ディーンの後ろで扉が閉まる。

 部屋の真ん中には、綿密に描かれた巨大な魔法陣があった。

「中心に立ってちょうだい」
セルビアの声は、有無を言わせぬ響きであった。
 ディーンはその中心へと立つ。

「…セルビア」
「ディーン」
セルビアはそう口にすると、ディーンの手を両手で握る。

「…うん、大丈夫だわ」
「…」
セルビアがディーンを見上げると、両手を伸ばしてその眼鏡を外した。

「もし人間になれたら、その顔でちゃんと笑ってちょうだいね?」
ふふっと笑うと、セルビアは一人魔法陣の外へと歩く。
 セルビアは目を伏せると、そっと魔法の詠唱を始めた。

 刹那、魔法陣が淡い光を帯び――ディーンを包み込んだ。

 暖かい光であった。
 その光は、まずは己の手、爪を丸く変えた。

 夢を見ているようであった。
 セルビアの子守唄のような呪文詠唱と共に、自分の身体が光に飲まれ――変化していく。
 口の中に何か違和感を感じると思い手を伸ばすと、八重歯が綺麗になくなっていた。

 すると、刹那――光は一瞬にして消え失せ、体中に衝撃が走った。
 脳天から、雷の直撃を受けたような――そんな衝撃であった。

「――ッ!!」
「――ぁあっ!!」
自分の声にならない悲鳴と、刺すような頭痛――そして、確かに女性の悲鳴――自らのよく知る声が、室内に響いた。
 意識が、朦朧としていた。

「ディーンさん、姉さん!?…姉さん、しっかりっ、…姉さんっ!!」
遠ざかる意識の中で聞こえたのは、そう必死で姉を呼ぶクレイアの声と――

「だ、い…じょうぶ…ごめん……ごめん…ね……」
か細く響く、愛しい人の声であった。


















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