グルーは図書館で本を読んでいた。
 自身の銀の風見鶏の謎が解けて以来、殆ど近付かなくなった図書館であるが――
 友人の休みを伝えることと、もう一つ――グルーには目的があった。

「…あら、グルー君?」
「メリッサか…今日は学校は?」
「休みよ、それでものんびりするのは性に合わなくて」
メリッサは苦笑すると、何の本を?とグルーに問いかける。
 グルーは本の表紙をちらりとメリッサに見せた。

「種族全集…そういうものに興味があるの?」
「いや…ちょっと気になることがあってな」
「そう…」
メリッサがそう呟くと、グルーは再びページをめくる。

「…メリッサ」
「何かしら?」
「お前は…ずっとこの街に住んでいるんだよな」
「?ええ…」
メリッサは不思議そうにそう返すと、グルーはいや、と呟き

「…何でもない」
「?…まぁいいわ、私は行くわね」
「ああ…」
グルーは「メデューサ」のページと「サーレ」のページに栞を挟む。
 何枚か手持ちで使っているこの栞は、元々ファレイがくれたものであった。
 風見鶏の調べ物をしていた頃、ページを折る手癖のあったグルーに対してそれはよくないと言い、図書館の栞を幾つか渡してくれたのであった。
 ファレイは明らかに不信なほど図書館に入り浸り、調べ物をする自分の姿に一切疑問を持たなかったのだろうか。
 否、持ったとしても聞こうとしなかったのだろう。彼は何も言ってこなかったのであった。
 聞かれたところで、答えられる問題ではないと悟っていたのであろう。
 グルーの知るファレイ・クレイドという男は、人の踏み込んではならない領域を全て悟りきっている男であった。
 だからこそ、ある程度の安堵感を持って付き合うことが出来るのであった。

 一年と半年を持って知った友人のことは、それが全てであった。
 しかし彼は、そこからは察する事の出来ないほどの大きなものを背負っていたのだ。
 それは自分と同等の――否、それ以上の何かであり、自分がどうこうすることが出来ない状況に、グルーは憤りを感じていた。

 グルーは頭を抱えると――結局その本を借りて、図書館を去った。






 ディーンが目を覚ますと、そこはクレイアの家の客間であった。
 いつも腰掛けているソファに寝かされ、室内は驚くほど静かである。
 若干目の前が霞がかる中、ディーンはそっと頭を上げた。

「!――っ…」
刹那、脳天を痛みが走る。
 ディーンは頭を押さえ、ソファへと再び転がった。
 身体の節々にも、軽く痛みが走る。

 そっと再び目を開ける。
 まず目に飛び込んできた世界に、何処か違和感を感じた。

 ふらりと立ち上がり、ディーンは全身鏡の前へと歩く。
 ディーンはそこで目にした姿に、思わず唖然とした。

「…あら、目を覚ましたの」
か細い声が背後で聞こえる。振り返ると、そこにはクレイアが立っていた。

「調子は如何?声は出せるかしら」
「あ、ああ…少し頭痛がするぐらいで…」
「そう…」
クレイアは目を伏せると、ディーンははっとしたようにクレイアに歩み寄った。

「セルビアは…」
「今は…」
「え…?」
「眠っているわ」
クレイアはきっぱりと言うと、そっと踵を返した。

「今日は泊まったほうがいいわ、まだ…外に出ない方がいい…」
それだけ言うと、クレイアは去っていった。いつもの凛とした声とは全く違うその声は酷く震えていて、呼び止めることも出来なかった。
 ディーンは再び己の姿を鏡に映す。

 そこには、いつもの自分とは違った姿が立っていた。

 透き通るような銀髪、
 透き通るような銀色の瞳、
 どうみても人間の青年の姿――であったが、
 唯一つ、前髪の一束が――かつての姿を投影するように、禍々しい赤紫を残していた。

 まだ頭痛は抜けない。
 一体何が起こってしまったのだろうか。
 まさか、と嫌な予感が脳裏を過ぎる。
 ディーンはふらふらとした足取りで、セルビアの部屋へと出向いた。

「…セルビア?」
そっと扉を押すと、ディーンは目を疑った。
 ディーンのいた魔法陣には中心から大きな亀裂が入り、そこから四方に裂けていた。
 亀裂は壁にまで到達し、本棚も中の本を殆ど吐き出してばらばらになっている。
 ベッドはクレイアがシーツを換えたのだろうか、綺麗なままであった。

 そして、そのベッドの上に――セルビアが眠っていた。

「セルビア…っ?」
セルビアは酷く顔色が悪く、額には脂汗が浮かんでいる。
 ディーンはそっとその額を拭うも、意識は殆ど無い様であった。

「眠っているのよ」
クレイアの声が背後で響く。ディーンははっとして振り返った。

「…何が…起こったんだ?」
ディーンはふらりと立ち上がり口を開くと、言葉を紡ぐ。その声が震えているのが、自分でも解った。
 クレイアは黙ってセルビアの元へと歩く。
 そっとしゃがみ込むと、その髪を撫でた。

「姉の魔法は…完璧だったわ」
「…」
「最後の段階で――あの嵐がこの部屋を襲いさえしなければ、ね」
そこまで口にすると、クレイアは俯いた。

「…この部屋は、時空の狭間に作ってあると――そう以前話したわね」
「…」
「それ故この部屋は常にある程度の不安定の中に存在するわ…けれど、不安定さは外の世界で自然災害におびえて生活する程度のもの」
クレイアは淡々と語る。後姿の為、表情は読み取れない。
「けれどそれ故――数年に一度、大きな嵐がくるの。何百年も来ない事もあれば、何年かおきにやってくることもある。それは地上で言う、自然災害――そうね、地上で言う地震や竜巻のような現象なの」
更にクレイアは俯く。

「姉さんが…あなたに魔法をかけている真っ只中で――嵐が来たわ」
「…」
「この部屋を起点に、数年に一度の大嵐が来たのよ。…私にはどうすることもできなかったわ」
ディーンは全てを悟った。
 魔法はその嵐に巻き込まれ、失敗したのだと。
 自身の何処か中途半端な変化は、そこからくるものなのだと。

「…クレイア…」
「事故が起こった後、私はこの部屋に入った…地獄を見ているようだったわ。…倒れている姉さんと、あなた。無数に散らばった本――」
ディーンは言葉が出なかった。いつもは落ち着き払い、姉以上にしっかりとしているクレイアが――今ではとても弱弱しく、取り乱していた。

「…見て頂戴」
クレイアは徐に口にすると、そっとセルビアの着ているワンピースの襟を下ろした。
 白い首筋が露になると、ディーンは目を見張る。

 そこには、禍々しい赤紫の傷跡が付いていたのだ。
 否、傷跡というよりはそれは――何かの刻印のようにも見えた。

「…っ」
「恐らく自身のかけていた膨大な魔法の力を、嵐によって被ってしまったのだと思うわ…」
クレイアは再びその刻印を隠すように服を直す。

「これは、重度の魔法障害の印。…このまま姉さんが目を覚ますかどうかすら――私にはわからないの」
その声は、怒っているのではなく、ただ――とても悲しそうに聞こえた。
 ディーンは苦しげに眠るセルビアを前に、ただ立ち竦んでいた。


 三日経っても、セルビアは目を覚まさなかった。




 夢を見ていた。
 それは自分が自分ではない誰かだった頃の夢で、
 自分はいつも独りだった。

 ある日、一人の魔女が自分に興味を持って近付いてくる事によって、その生活は一変する。
 たちまち暖かい空気に包まれ、自分はとても幸せだった。
 殺さずに暮らしていける生活がこんなにも幸せなのだと知った。

 自分が自分になったときから、もう何年のときが経っただろうか。
 何年年を取ろうとも変わらない自分の姿に失望し、周囲から怪しまれる前に土地を転々とした。
 名前だって何度か変えた。
 根無し草のように生活をして、この街に来てもう二十二年の時が経っていた。

 そして、今、自身はメデューサに再び侵食されようとしていて――

「――ァアッ!」
悪夢で目が覚めると、ファレイは全身にびっしょりと汗をかいていた。
 はぁ、はぁと肩で息をすると、ファレイはその汗を手の甲で拭う。

 メデューサは自殺する事が出来ない。
 そもそものメデューサに戻ってしまったら、再び振り出しに戻り、メデューサとして一生を過ごさねばならなくなってしまう。
 半永久的な寿命を手に入れてしまう時点で、誰かから殺してもらうのを待つしかない人生。

 またそうやって、死んだように生きるのか。
 それとも危険を伴ってでも、自分の本当になりたい姿を望むのか。

 脳裏に、かつての恋人の姿が浮かぶ。
 次に今ならその気持ちがわかると言った、少女の姿が浮かんだ。

 ファレイの中で、一つの答えが出ていた。

「…クレイア」
ファレイは立ち上がると、鈍痛の残る頭でクレイアの自室へと向かった。そっと扉をノックする。

「はい、…決まったの?」
クレイアが扉を開けると、ファレイは一度頷く。


「クレイア、俺を人間にしてくれ」


 それは、用意された台詞のようでもあった。
 クレイアは確かに一度、こくりと頷く。


「…わかったわ、少し時間をいただけるかしら。研究は殆ど済んでいるから、明日の晩には決行できると思うけれど」
















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