セルビアが眠ったまま、三日のときが経った。
 クレイアはいつもどおり、セルビアの頭にそっと湿ったタオルを乗せる。ここ数日で発熱が起こっていた。

「…クレイア、…ごめん」
「謝らないで頂戴」
「…」
「あなたたちを責められないでしょう?あなたたちが覚悟して、…あなたたちが望んでやった事なのよ。私が責められるはずが…」
クレイアは早口で呟くも、語尾はだんだん小さくなっていく。
 ディーンはそっと、その肩を抱いた。

「…離して頂戴」
「…ごめん」
「離して」
クレイアは強く言うとその手を振り払って立ち上がり、扉の方へと早足で歩いた。
 その時であった。

「…ディーン…くぅちゃん…?」
クレイアがはっとして振り返る。ディーンも驚いたようにセルビアを見つめた。
 セルビアは弱弱しくではあったものの、意識を取り戻していた。

「セルビア…っ!」
「ごめんなさい…何かとても身体が痛いの。…くぅちゃんも、ごめんね」
「謝らないで、姉さん…!」
クレイアはセルビアの元へと駆け寄る。
 その手を取ると、小さな肩を震わせて泣き始めた。
 セルビアがその肩を、もう片方の手で撫でる。

「やだ…泣かないでちょうだい、くぅちゃん」
「…っ、もう…目を覚まさないかと…思って…」
「ディーンも…ごめんなさい、…痛かったでしょう?ごめんね…」
少しずつ、意識ははっきりしているようであった。しかしその表情は、どこかやつれていて無理をしているようである。
 クレイアを撫でていた手を、そっとディーンのほうへと伸ばす。
 その手を、ディーンはしっかりと握った。
「…痛かったのは、そっちじゃないのか…?」
「へへ、少し…ね」
「笑ってる場合じゃないだろ…!」
セルビアは困ったように笑う。クレイアはすっと立ち上がると、「水を汲んでくるわ」と呟き部屋を後にした。

「…ねぇディーン、お願いがあるのよ」
「何…だ?」
「結婚式をしたいの」
セルビアは額に汗を浮かべながらも、笑顔を浮かべて口にした。

「…それは、セルビアが良くなったら…」
「嫌よ、…今したいの。――今なら私、あなたにキスする事が出来るわ」
すると、そっとクレイアが部屋の扉を開けた。
 その両手には、大きな真っ白い布が抱えられている。

「…姉さん、…これを」
その布をクレイアが広げると、それは一枚のドレスになった。
 真っ白い、レースのふんだんにあしらわれたそれはとても素人作業とは思えない代物であった。

「まぁ…くぅちゃん!」
「ここ数日で、…急いで仕立てたの。多少裁縫が荒いけれど…姉さんは手縫いがいいって言ってたから」
「…クレイア…」
思えばここ数日、クレイアはセルビアの看病を除いて部屋に籠もりっきりであった。
 膨大な量の書物を部屋に持ち込んでいるところも見かけてはいたけれども、まさかドレスを作っているなどとはディーンには少しも想像付かなかったが。

「着替え、手伝うわ…ディーンさん、少し席を外してくれる?そうね…その間に、あなたは実家から一番小奇麗な服を持ってきていただけるかしら」
「…あ…ああ」
「ふふ…楽しみだわ」
セルビアは表情こそ疲れきっているものの、表情は笑顔であった。

 二時間ほど経っただろうか。
 ディーンは一度外に出て、数日ぶりの外の空気を吸った。
 そもそも森の中であるゆえ、人とすれ違う事は無かったが。
 思えば今なら人間に見つかったとしても、自分は80%は人間なのだ。
 実感は殆ど湧かないものの、何処か妙な感覚を覚えた。

「…ディーンさん、もう入って大丈夫よ」
クレイアが外に向かって呟く。
 ディーンはそっと部屋の中へと足を踏み入れた。

 そこには、真っ白なドレスに身を包んだセルビアの姿があった。
 元々黒いローブかマントを羽織っているイメージしかなかったため、その姿はとても新鮮で眩しく、綺麗であった。
 ヴェールから覗くその顔は小さく微笑んでいて、クレイアが手伝ったのだろうか、うっすらと化粧もしてある。
 ただ、やはり長時間起きているのは辛いのだろう。ベッドに腰掛けた体制であった。

「…綺麗だ」
「えへ…ありがとう」
セルビアは照れたようにはにかむと、クレイアはさて、と呟く。

「ディーンさん、突っ立ってないでこっちに来て頂戴。姉さん…立てる?」
ディーンはセルビアの横まで歩くと、そっと手を差し出す。
 セルビアはふふ、と笑ってその手を取った。

「…それでは、これより二人の結婚式を執り行います――」
クレイアは本を片手に文章を読み上げる。
 この地域での結婚式とは、一般的にその土地の神に対して一緒に助け合って生活していく事を誓い、誓いのキスをするというものであった。

「汝ディーンは、この女セルビアを妻とし…共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を誓い…妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
「誓います」
ディーンは確かに頷く。
「汝セルビアは、この男ディーンを夫とし、共に歩み、死が二人を分かつまで…愛を誓い、夫を想い、夫のみに添うことを…神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
「誓います」
セルビアは小さく笑うと頷いた。
「それでは…ここに、二人が夫婦である事を宣言いたします、ここで…っ」
続きを口にすると、セルビアがふらりとよろけた。ディーンがそれを支える。
「セルビア!?」
「姉さん、もう横に…!」
「いいの、…大丈夫……あとは、誓いのキスだけ、でしょ?」
セルビアはディーンにそっと凭れながら、小さく笑う。その額からは汗が滲んでいた。

「…、…では、誓いのキスを」
クレイアが呟く。ディーンはセルビアのヴェールをそっと後ろへと下げた。セルビアは大きな瞳でディーンを見上げる。

 ディーンはそっと目を閉じると、その唇に口付けた。
 一瞬、長い一瞬であった。

「ふふっ…結婚式、できたわ。…満足」
そう呟くと、セルビアの手がディーンの手からそっと離れる。
 そのまま、ふらり、と上体が揺れた。
「セルビア…っ!」
どさり、とそのままベッドに倒れこむ。
 クレイアもその場に駆け寄った。

「姉さんっ!」
「ふふ…ごめんなさい、我儘言って…どうしても……今日中に、式…挙げたかっ…」
「無理に喋らなくていい、…いいから」
「ディーン…ちょっとだけ、くぅちゃんと二人でお話…しても良い?」
そう言われると、ディーンは僅かに目を見張る。が、一度頷くとそっとその手を離した。
 そっと部屋を後にする。

「…姉さん…わかっていたのでしょう?」
「ええ…自分の身体だもの」
「どうして…!」
セルビアはにこりと笑って制する。

「…くぅちゃん、ディーンをお願い」
「え…」
「彼は…私がいなくなったら、死んでしまうかもしれないわ」
「…」
「それだけは…絶対にやめさせて欲しいの、…彼の寿命を…全うするまで、…ちゃんと生きて欲しいの。もしかしたら…魔法の失敗のせいで、後々何かの障害が出てくるかもしれないけども…」
クレイアはしゃがみ込んだままセルビアを見遣ると、一度大きく頷いた。

「…わかったわ、彼のことは私が全部引き受ける…安心して頂戴」
「ありがとう…くぅちゃん大好きよ、こんな綺麗なドレス…作ってくれたんだもの、自慢の妹だわ」
にこりと笑うと、セルビアはその頭をそっと撫でた。

「私の机に、ディーンに関して…今まで研究した資料が全部残っているから。…もし何かあったら、それを見て…」
そこまで呟くと、セルビアはゴホゴホと咳き込んだ。
「姉さんっ!」
「っ…大丈夫……ごめんね、…ディーンを…呼んできてもらえる?」
「…わかった…わ、…姉さん」
「何…?」
クレイアは涙で曇る目をそっと拭うと、小さく笑った。

「私も、姉さんが好きよ。誰より、自慢の姉だわ」
セルビアがふわりと笑ったのを見届けると、クレイアは外へと歩んだ。

「…ディーンさん、中へ。姉さんが呼んでるわ」
「あ…ああ」
ディーンは部屋の中に入る。そっと扉が閉まった。

 クレイアはずるずると扉を背に座り込むと、また泣いた。


「…ディーン…こっちに来てちょうだい」
セルビアはそっと手を差し出す。ディーンはセルビアのもとへと歩いた。

「…セルビア…」
「ディーン…ありがとう、…とても楽しかったわ、あなたとの時間」
「セルビア…っ」
その手を、ディーンはきつく握り締める。俯くと、声を押し殺して泣いた。

「…綺麗な色ね」
「え…?」
「銀色の髪…赤紫も好きだったけど、今の色もとっても素敵」
もう片方の手で、そっとその髪を撫でる。
 ディーンは肩で涙を拭うと、セルビアを見つめた。

「…あなたは、あなたの人生をちゃんと全うしてちょうだいね」
「何、言ってるんだよ…これからは、二人で…いや、クレイアも含めて三人、生きていくんだろ?」
「そう…出来たらよかったわ。…ねぇ、ディーン」
「何?」
セルビアはディーンの手をそっと握り返す。その瞳を真っ直ぐに見つめた。

「私のこと、愛してる?」
「…ああ、愛してる」
「私もよ、あなたをとても愛してる。…あなたに出逢えてよかった」
言葉を終えると、ふわりと微笑む。その笑顔が最期だった。
 ふっと、握られていた手から力が抜ける。
 ふらり、と自分の方を向いていた体が完全に仰向けになった。
 己の髪を撫でていた手が、くたり、と零れ落ちた。

「…セルビア…セルビアっ」
呼びかけても、動かない。セルビアの瞳は閉じられたままであった。

「うわああああああああああ!!!!!!!!!!」
ディーンはその夜、セルビアの亡骸を胸に抱き――声が枯れるまで泣き続けた。






 朝がやってきた。 今が朝であるということは、魔法陣への光の当たり方でわかる。
 魔法陣上にはメリッサの土地に設置されている魔法陣の陽気を反映するようになっていて、外が雨ならその円形の中も雨が降る。
 今そこは、朝の陽気であった。

 術を掛けるのは今日の晩という話になっているが、クレイアの姿が見当たらない。
 どこかに出かけているのだろうか。
 まさか逃げたという事は無いだろう。この部屋は完全にそのままであるのだから。

「…あれ?」
ふと、魔法陣が光る。
 そこには、一つの姿が形成された。

「…グルーか」
その姿は、数日間目にしていなかった友人の姿であった。
 グルーは軽く片手を挙げるとファレイに近付く。

「…調子はどうだ」
「相変わらず…かな」
「そう…か」
呟くと、あたりを見渡す。クレイアを探しているのだろう。ファレイは口を開いた。

「…クレイアなら、いないみたいだよ」
「そうか…なら構わない」
「グルー、図書館に休職言ってくれたんだってな。ありがとう」
「いや…」
言葉を濁すと、グルーは一枚の紙をファレイに差し出した。

「…何だ?これ」
「昨日、シルドからまとめて手紙が届いた。俺とお前、カレイド、あとクレイア宛にな」
「へぇ…クレイアとカレイドには…」
「昨日もう渡してある。…これは一応、お前と二人で目を通そうと思ってな、まだ開いてない」
そう言うと、グルーは客間のソファに腰掛ける。ファレイもその前に腰掛けた。
「俺が開けていいのか?」
「ああ」
ファレイはぱさ、と手紙を開くと、そこには何処か懐かしい――あまり綺麗とは言いがたい字で、文字が並んでいた。

『グルー、ファレイへ
何でお前らのはまとめてあるかって?それはその、まぁ拗ねんなよ!
俺は今実家のある街に来てる。残念ながら、帰るにはまだ暫くかかりそうだ。
お前らは変わりないだろうな?俺が帰った頃にどっちか片方でもいなくなってみろ、ぶっ飛ばすぞ。
というのは冗談にしても、どこかへ行くくらいなら一言ぐらい伝えていけよ。
俺は今のところこの住所に落ち着いてる。ただ、ひょっとしたらまたすぐ発つかもしれない。
手紙の返事とかくれちゃっても構わないぜ☆
じゃあな。また。

シルド』

「全っ然面白味の欠片も無い文章だな…」
「…まぁ良いじゃないか、あまりにもまんまで懐かしいよ」
ファレイは思わずクスクスと笑みが零れる。グルーはどこか納得いかない表情であった。
「もっと詳細に近況書けっつの…」
「そう返事に書いたらどうだ?」
「遠慮しておく。そんなことしたら長文で近況が書かれた手紙が届くか、「お前が俺を心配する気持ちはわかるが今はどうのこうの」って何かを完全に誤解したような手紙しか届かねぇだろ…」
「ああ、言えてる」
ファレイは軽く笑うと、それにしても、と呟く。

「シルドの勘は馬鹿に出来ないよな、本当。まさに今手紙が届くって、普通じゃちょっと考えられないよ」
「…ああ、それだけは同感だ」
グルーが呟くと、ファレイは手紙をまた折ってグルーへと手渡した。

「わざわざありがとう」
「…どうする、何か返事書くなら送っとくが」
「いや…今はいいよ」
ファレイがそう言うと、グルーはそうか、と呟いて立ち上がる。

「それじゃあ、…邪魔したな」
「いや…グルー」
「…?」
グルーが振り返ると、ファレイは軽く口角を持ち上げた。

「…ありがとう」
「?…何がだ?」
「気にしなくていいよ、…手紙の事、ってことで」
ファレイはそれ以上言葉を発しなかった。グルーは軽く片手を挙げ踵を返すと、そのまま魔法陣からメリッサの農場へと戻った。

 グルーは帰路の途中、数日前にファレイから聞いた言葉を思い返していた。

『…セルビアが何故死んだのか…知ってるか?』
『いや…詳しいことは…』
『彼女は…俺を人間に変える術を掛けている最中に起こった事故が原因で、亡くなったんだよ』
そう呟いたファレイの表情は、酷く悲しそうであった。
 元来、其処まで感情を露にしないファレイが――その時に見せた表情は、とても切なく悲しげであったのだ。

 ふと、グルーははっとして足を止める。
 一瞬魔法陣を振り返った。

「…まさか…な」
グルーはそう呟くと、再び踵を返して歩き出した。





 セルビアがこの世を去って、数日が経過した。
 部屋に来るための魔法陣の近くにその遺体を埋め、墓とするとクレイアは言った。

「あなたは…これから、人として生活していく事になるわ」
「…ああ」
「あなたの身体は少し不安定なところにあるから…そうね、少なくとも地上ですごす夜は、眼鏡をかけるようにして頂戴」
「わかった」
「それと…くれぐれも、後を追おうなんて考えないで」
クレイアがそう忠告すると、ディーンは自宅へと戻った。

 しかし、そこにはもう自宅は無かった。
 焼き払われ、空き地があるのみであった。

「私には、あなたを常に監視し、見守る責任があるから。何かあったらすぐに言ってきて頂戴」
「…ああ」
「街で暮らすには、改名したほうがいいわね…ディーンという名前は、もう使わないほうがいいわ」
そして、名前を変えて人間界としての生活が始まった。
 奇抜であるも人間の若者の姿であるが故、生活するのにそこまで不自由は感じなかった。

 しかし、一つ人間とは決定的に違う点があった。

 身体が、一切老化しないのである。
 クレイアも定期的にその身体を調べるも、何処も衰えていないという事であった。

 まるで、あの日で時間が止まったかのように。

 そして、数百年もの時をその身体のまま生きてきた。
 何十年経とうとも姿が全く変わらないことから十数年単位で各地を転々とし、この地に流れ着いたのは二十二年前の事であった。
 クレイアは共に暮らしはしなかったものの、行く土地行く土地を追いかけ薬剤師となり魔法陣を描き、いつでも彼が入ってこれるようにしていた。

 そして、この地で自分に付けた名前が「ファレイ・クレイド」の名であった。






「…ファレイ君、準備が整ったわ」
「ああ…ありがとう」
クレイアの部屋に招き入れられると、そこは数百年前見た光景と同じであった。
 大きな魔法陣が描かれ、その真ん中に自分が立つ。
 そして、自分に魔法がかけられる。

 クレイアの様子は毅然としていて、全てを振り切ったようにも見えた。

「そこに立って、前を向いていて」
「ああ」
「それじゃあ、始めるわ――…」
「クレイア」
「…何かしら?」
クレイアが僅かに呪文詠唱を始めると、ファレイはそれを遮る。

「…ありがとう、俺、クレイアにはとても感謝してる。…本当、世話になった」
「…?」
「クレイア、綺麗になったよね。…幸せになって欲しいんだ」
「何を…?」
「ごめん、続けてくれ」
ファレイはそこまで言うと、クレイアに背を向ける。クレイアは再び呪文の詠唱を始めた。
 クレイアは顔色一つ変えず、冷静に呪文詠唱を続けていた。

 しかし、そこでファレイが動き始めた。

「…っ!?何を…!」
思いきり、魔法陣を足で引っかいたのだ。
 当然、魔法陣には違う線が入り――それは完全に機能しなくなる、のではなく、また違った力を呼び寄せてしまう。
「!いけない…!」
クレイアは膨大な力を感じると、その魔法を制御しようと魔法陣に近付き印を組んだ。
 しかし、魔法陣の前に立ったところで

「――…ごめん」
一言声がきこえ、はっとした時――クレイアは、ドン、と強い力で思いきり部屋の隅に突き飛ばされていた。
 壁に頭を打ちつけ、霞む視界に必死で目を凝らす。

「ファレイ君!」
「…ごめん、クレイア。こうするしかなかったんだ」
魔法陣の中、渦巻く別の力の中心にファレイは立っている。

「ありがとう、本当に感謝してるよ。…さようなら」

 ファレイの身体は、そのまま魔法陣の中へと呑み込まれていった。

















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