* *


 グルー・ブレイアンドは公園に積もった枯葉をざく、ざくと踏みながら帰路を歩んでいた。
 特に何か用事があったわけでもない、ただ、外に出ないかと誘っただけであった。

(…)
どうもグルーは釈然としなかった。ティファが誘いを断ったことではなく、その態度がどこかいつもと様子が違うのである。
 しかしこれは今に始まったことではなく、ティファはあまり自分を頼ってこようとしない。それは常々感じていることであった。
 全く頼ってこない、というわけではない。助けが必要なときは、それなりの意思表示をしてくるようにはなったのだが…
 しかしティファの中が引いた一線を、グルーは寸でのところで飛び越せずに押し戻されている想いがあった。

 苛立ち気味にザク、と枯葉を蹴飛ばす。
 茶色く色づいた葉が、ひらひらと風に舞った。
 ひゅう、と冷たい風が、グルーの頬を撫ぜる。

「随分と苛立っているようね」
すると、虚空から声がした。耳慣れた声にグルーはあわてる様子もなく足を止めると、そっと頭上を見上げる。

「…クレイア」
「丁度良かったわ、あなたに会いに行くところだったのよ」
あからさまに眉を顰めてみせるが、クレイアはいつも通りのポーカーフェイスで目の前に降り立つ。

「この前シルド君から送られてきた手紙の封筒、残っているかしら?」
「…?…ああ、部屋を探せばあると思うが…」
グルーは表情のまま思い出すように呟く。
 クレイアは帽子のつばを片手で押さえながら澄ました声で言う。
「住所を写させていただきたいのだけど」
「…?」
「手紙の返事を書こうと思ったのだけど、便箋には住所が書いていなかったのよ」
「ああ…」
グルーは納得したように頷いた。

「せっかくだからあなたの家まで私とあなたを飛ばすわ、探して頂戴」
「…待て、俺は了承した覚えは…」
「目を閉じて頂戴」
遮るように発された声と同時に、クレイアの指から光が零れる。
 それが自身とクレイアを包み込むのを感じると、グルーは眩しさに目を伏せた。



* *


「…あれ」
ティファはクレイアを訪ね農場にやってきていた。地面に描かれている魔法陣を踏みしめてみるが、普段とは違い何も起こらない。
 思わずとんとん、と二、三度魔方陣の上で足踏みするもそれはただの絵と化していた。

 そこに、紅い髪の少女――メリッサ・ルージュが声を掛ける。

「あら、ティファさんじゃない。あの魔女なら、さっき出掛けていったみたいだけど」
「え…クレイアさんが、ここから…ですか?」
ティファは思わず小首を傾げる。クレイアは外出することは多いが、移動魔法を自在に操ることができるためこの魔方陣から出かけることは滅多に無いのだ。
 そして大抵の場合クレイアが不在であっても魔法陣の中から客間まで通ることは可能なのである。
 書物に手を触れることはできなくなっており、部屋の入り口に薬を求めてやってきた客へ不在の貼り紙が貼ってあるのだ。

「ええ、呼び止めようとしたけど急いでいたようだし…仕事中に走って追いかけるのも面倒だから放っておいたのよね」
「そうですか…ありがとうございます、メリッサさん」
「いいえ、お昼はもう食べたかしら?まだなら一緒にいかが?」
「ごめんなさい、今日はすぐに帰らなくちゃならないんです…それじゃあ」
失礼します、とティファは苦笑して一礼するとメリッサに背を向けてその場を去っていった。
 メリッサは軽く手を振ると首を傾げる。

「…ティファさん、何かあったのかしら…」
呟くも、メリッサは昼食の支度を思い出し自宅へと駆け出していった。



* *



 目を開けると、そこはいつもの玄関であった。

「…相変わらずの強引さだな…」
「この部屋は相変わらず散らかってるのね、お邪魔するわ」
「てめぇちったぁ話を…って勝手に上がりこんでんじゃねぇ」
不意にクレイアは足を止める。グルーは己の声に耳を傾けたのかと思わず立ち止まるも、

「…私としたことが」
「…?」
「鍵をかけて出てきてしまったわ」
「…、は?」
グルーは思わず一拍置いて聞き返すも、クレイアはまぁいいわ、と自己解決した様子で再び部屋へと足を踏み入れる。

「で、封筒はどこに?」
「………、ああ…ちょっと待ってろ…」
グルーは重くため息を吐くと、棚の中の一つの籠を取り出した。
 そこには数多のチラシやら封筒やらが投げ込まれている。街角で貰った新聞、割引券、ダイレクトメール等一定量が溜まったら捨てるようにしていた。
 クレイアは部屋の隅に腰掛けると、その様子にほぅと息を吐く。

「…そんなものと一緒にしていたのかしら?」
「俺は手紙は書かないんでな…ファレイとカレイドは住所だけ控えていったし」
すると、まだ溜め始めて日が浅かったのもあり手紙の封筒は案外あっさりと顔を出した。
 確かに裏面にはリターンアドレスが書き込まれている。

「ほらよ、持ってけ」
「ありがとう、いただいていくわ」
グルーが投げた封筒をクレイアは受け取ると、懐から一通の封筒と羽ペンを取り出した。
 淡いブルーの封筒に、クレイアは膝を机代わりにしてつらつらと文字を綴る。
 切手はもう貼られていて、住所、名前と書き終えるとクレイアはペンと封筒二枚を懐に戻した。

「差出人は書かねぇのか?」
「ええ、開封すればわかるのだから書く必要は無いでしょう?」
「それは…そうだが」
グルーは呟くと、壁に背をつけクレイアを見やる。
 不意に、ある疑問が浮かんだ。

「…クレイア」
「何かしら?」
「お前の力なら、シルドの元へ手紙を飛ばすことぐらい…別に、住所なんて必要ないんじゃねぇか?」
クレイアはその言葉に、口角を持ち上げて不敵に微笑む。

「そうね、言うとおりなのだけれど…それでは、つまらないじゃないの」
「つまるつまらねぇの問題なのか…?」
「ええ」
悪びれることも無く返事をすると、グルーはそこから先を聞くのはやめておいた。
 しかし、今日のクレイアはいつに無く雰囲気が柔らかい。そんな彼女と会話することは、グルーにとって何やら奇妙な感覚であった。

「クレイア…」
「何かしら?」
「…いや、なんでもない」
「あら…あなたが私に言いたいことを言わないなんて、珍しいじゃない」
クレイアはそっと小首を傾げて言葉を紡ぐ。グルーははぁ、と息を吐くと
「言うだけ野暮だと思っただけだ、用が済んだならさっさと帰れ」
しっしと手を玄関のほうへと振る。が、クレイアは立ち上がらず座ったまま言葉を紡ぐ。

「…生憎だけど、私がここに来た理由はそれだけじゃないのよ」
「…何?」
不意に、クレイアと自分の間に今日の今までとは違う――いつもの冷たい空気が生まれた。

「ティファさんの話よ」
「ティファの…?」
グルーは自身の顔色が変わるのを感じた。思わず身を乗り出す。
 クレイアはその場に座ったまま小さく呪文を詠唱すると淡々と語りだした。瞳の色は紅く変わっている。
「人払いと声消しの結界を張ったわ…サーレの種族のこと…あなたは知ってるわね?」
「…ああ…」
「まずはどの程度のことを知っているか…聞かせていただけるかしら?」
「いや…知っていると言っても、図書館の文献レベルの話だ。数年前に絶滅していて、膨大な魔法力を持った種族…その程度だが」
クレイアはそう、と一度呟くと口元に片手を当てて考えるような動作をした。

「グルー君、最近ティファさんに会ったかしら」
「…ああ…さっき、お前と会う直前に会ったが」
「何か変わったところは?」
「…何か、あったのか?」
グルーは逆に聞き返した。クレイアは何も答えず、ただ、
「…そう、何か変わったところがあったのね」
と言ったのみであった。

「…長居したわね、封筒を有難う。失礼するわ」
クレイアは立ち上がると、グルーに背を向けすたすたと出口へと向かう。
「待てよ、クレイア…!」
クレイアは立ち止まると、横顔で振り向く。

「何でもないわ、大したことじゃないのよ」
「何…?」
「…失礼」
クレイアはグルーを一瞥すると一言だけ口にし、扉を開け去っていった。

「…何なんだよ…一体…」


 クレイアはアパートの階段を降りながら部屋を見上げる。
 余計なことを口走ってしまったと、若干後悔の念があった。

 話はつい先日まで遡る。

『…ご馳走様でした、クレイアさんの紅茶美味しいから…また時間が空いたときにでもお邪魔しますね』
『私は構わないのだけど…最近、よく来るわね』
『あ…ごめんなさい、迷惑ですよね』
『いいえ、そういうわけでは無いの。…ティファさんは、グルー君に会いに行ったりとかはしないのかしら…って、少し思っただけよ』
『グルーさんは…お時間ある時に来てくださるし、それだけで十分なんです』

 ティファのその言葉が、どこか自分に言い聞かせているように感じたのであった。
 現状に満足しようとしていて、これ以上はと自分にブレーキをかけている――クレイアにはそう感じて取れた。
 結局その日はティファも仕事があり、その話はそこで終わってしまったのであるが。
 ティファがグルーに自分から会いに行かないことに、多少なりとも疑問を感じていたのである。

 グルーはティファの種族であるサーレの種族のことを何も知らないに等しい。
 そんな彼に、自分が何かを話してはならないということはわかっていた。

「…急ぎましょ」
クレイアはその足で、アパート――フィッシュ館を去った。











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