* *


 昼が過ぎても、リファの具合は良くならなかった。
 むしろ悪化の一途を辿るのみで、ティファは必死に看病を続けた。

「…お姉ちゃん、…はぁ、僕、…」
「リファ、大丈夫、喋らなくていいから。大人しく寝ていて」
「ねぇ、お姉ちゃん、僕、もう…」
「何言ってるの、お姉ちゃんより先には絶対死なない、って言ってたのはどこの誰?」
ティファは精一杯の笑みでリファの頭を撫でる。リファは、そっと目を閉じた。

「…お姉ちゃん」
上の弟、フィリがそっと扉を開ける。フィリは今年十になる一番上の弟であった。
「フィリ、入ってきちゃ駄目よ。熱だったら移っちゃうからね」
「そうじゃなくて、リファは…」
「駄目、って言ったら駄目。お外でマリーちゃんたちと遊んでらっしゃい」
ティファは自分に言い聞かせるようにそう言うと、内側から扉を閉めた。

「…そんな筈、無い。リファは絶対、元気になるんだから…」
小さく首を振り、そう静かに呟く。

 不意に、大きな不安に駆られた。
 しかし、この部屋には病床の弟と自分が居るのみである。ここで自分が取り乱してしまってどうする。
 ティファは自身にそう言い聞かせると、再びリファの看病に戻った。



* *

 ――コンコン
 向かいの部屋の扉を、グルーはノックした。

「…ファレイ、いるか?」
「ああ…ちょっと待ってて、今開けるから」
銀髪の青年――ファレイは部屋の扉を開けると、グルーを招き入れる。
 ファレイの部屋は家具も少なくテーブルが一つと椅子がいくつかあるだけの簡素な部屋だ。
 本棚には古書が詰め込まれている。
「どうしたんだ?今日は早くから出かけていったじゃないか」
「急遽用事が無くなっちまったもんでな…昼飯、行かねぇか?」
「何なら今作ってるから二人分にするよ」
「…悪い、頼む」
グルーはいつもファレイの部屋で朝飯を食べるときの椅子に腰掛けると、台所で調理をするファレイの後姿を見やる。
「クレイアが来ていたのか?」
「知ってたのか…」
「気配でわかるからね、なんとなく」
ファレイは炒め物を大き目の皿に盛り、パンとコーヒーを手際よく並べた。

「…いただきます」
呟くと、グルーは料理に手をつける。
 ファレイは経験の差か、フィッシュ館に住む男性の仲で群を抜いて料理が上手い。
 簡単な炒め物等や汁物をよく作るのだが、目分量で入れているであろう調味料が見事にマッチしているのだ。
 そしてコーヒーを淹れることも、また上手なのである。
「…美味いな」
「ありがとう」
ファレイは微笑むと、自身も食事を進める。
 テーブルの上の食事はあっという間に無くなり、グルーは一人コーヒーを啜った。
 ファレイも食器を片付けると、向かいに腰掛けコーヒーを啜る。

「…グルー、何かあったか?」
「…?」
「機嫌、悪いだろ」
ファレイが指摘すると、グルーは大きくため息を吐き己の髪をぐしゃり、とかき混ぜた。

「…ファレイ」
「ん…?」
「女っつーのは…わかんねぇな」
「ああ、俺にもわからないよ」
ファレイは短く返事をすると、カップをことり、と置く。
「クレイアに、何か言われたのか?」
「いや…」
誰も何も自分に言ってこない、だから機嫌が悪いのである。それくらいのことはグルーにもわかっていた。

「…何も、言ってこねぇんだよ。ティファも、クレイアも」
「…」
ファレイはそれを聞くと、暫し考えるように口元に手を当てる。

「…俺が思うに」
「…」
「今は待ってやること、が大切なんじゃないのか?」
グルーは訝しげに眉を顰める。

「ティファにだって事情があるし、考えもあると思う。下手に急かしてその答えを求めるのは…俺は違うと思う」
「…」
「それに…ティファの年齢、わかってるか?お前より三つも年下なんだぞ」
グルーは返す言葉も無く、大きく息を吐いた。

 ファレイの言うとおりである。思えばティファは、まだ十六の少女であった。
 胃の中がむかむかとするのを感じると、苛立ったように己の髪の毛を掻き毟る。

「…俺がガキ過ぎンのか…」
「まぁ…それでもイライラするっていうのは、グルーが本気でティファを想ってる証拠だから」
「っ…」
「違うのか?」
ファレイに指摘されると、グルーはぐっと言葉に詰まった。
 ティファを想う――それは、今になるまで殆ど意識していないことであった。
 ティファは大切な存在であり、守るべき存在であるという認識はあった。
 最初はさほど大きくはなかった想いが、いつの間にか、彼女の奥深くへと入り込みたいというところまで膨らんでいた。

「…いや、間違いない」
自分は、ティファを想っている。
「…なら、もっと自信持ってろよ」
ファレイはそう言うと、小さく口角を持ち上げた。

 しかし、グルーの中には未だ――釈然としない想いが残っていた。


* *



 クレイアが部屋へと戻ったのは、夕刻を過ぎてからであった。

「…すっかり遅くなってしまったわね」
帰路につきながらクレイアは呟く。両手に抱えられている紙袋には、買い物して入手したものがいくつか詰め込まれていた。
 クレイアは薬剤師としてある程度街に馴染むため、時折自分の魔力で手に入るものも街に足を運び購入することにしていた。
 その折、商店にて自分で製作した薬をいくつか売り込むのである。

 クレイアは自分の生活に困っているわけではない。そして、人間と交流を持ちたいと思っているわけではなかった。
 どちらかといえば街は苦手なほうであり、必要最低限以上通うことは避けてきていた。それは今も同じである。

 しかし、“人間”と交流し、観察することの楽しさを――教えてくれた人間が、いた。


 クレイアは自室への入り口となる魔方陣の前までたどり着くと、開錠の呪文を小さく唱えた。
 その時である。

「ちょっと」
耳慣れた声が背後から響いた。クレイアは振り返ると、そこにはメリッサが立っていた。

「…何かしら?」
いつものように憎まれ口の一つを予想しながら、クレイアはそ知らぬ顔で小首を傾げる。
 が、メリッサの口から出てきた言葉は全く違うものであった。

「今日、ティファさんがここに来ていたわ」
「ティファさんが?」
「ええ、いつもと様子が違っていたみたいですぐ帰ってしまったけど」
クレイアはそれを聞くと、足元の魔方陣を見やる。

「…メリッサさん」
「何かしら?」
「あなた、わざわざ私にそれを伝えてくれるためにここに来たのかしら?」
「な…私はただ、ティファさんが心配だから…」
クレイアは一瞬ふふ、と笑みを零すと

「有難う」
と、一言言って駆け出し――一瞬にして、その姿はメリッサの目の前から消え去っていた。


* *



「………」
クレイアは魔力をフルに放出し、ティファの家の前までたどり着いた。
 そこで立ち止まるも、クレイアは妙な違和感を感じた。そっと手を伸ばすと、その家を囲うように薄い結界が張られている。
 無論それを破ることはクレイアには容易いことなのだが、その結界を張った主は容易に想像がついた。

「…ティファさん?」
クレイアはその場で小さく声を掛ける。

「…クレイアさん…」
「何かあったのかしら?あなたが力を使うなんて…」
クレイアは静かに言葉を発する。暫しの沈黙が流れた。

「…入ってきて、ください。クレイアさんなら…入れるはずです」
ティファの弱弱しい声が耳に届いた。
 クレイアはそっと結界に触れる手に力を込める。すると、クレイアの身体はするすると結界の中へと引き込まれていった。
 その結界は確かに、自分と同等の魔力を持った者でも容易に立ち入ることができないものであるとクレイアは感じた。

 足を踏み入れた先は、いつもと変わらないティファの家があった。
 しかし、何か違和感を感じる。

 クレイアは、一瞬まさかと悪い予感がよぎった。

「…ティファさん?」
そのまま家へと一歩近づくも、ティファの声は家の裏側から返ってきた。

「こっちです」
弱弱しく、覇気の無い声。クレイアは一歩一歩歩みを進める。
 家の裏手へと回りこむと、クレイアははっと息を呑み自分の悪い予感が的中していたことを悟った。

 そこには、緑色に燃え上がる炎と――その真ん中にある、小さな箱。
 否、それは小さな棺であった。炎の真ん中で、灰になるのではなくきらきらと風化していく。
 その周りを囲むように、ティファと小さな子供が五人座っていた。一人はマリー、あとの四人はティファの弟である。
 弟たちはただ唇を噛み、マリーは小さくしゃくりあげていた。

 その真ん中でティファは、クレイアの方を向くことも無くただ、その炎を見つめていた。


「弟を…弟を、浄化して天に還しているんです」
「…」
「クレイアさんは、…ご存知ですよね。私たち…サーレの寿命のこと」
「ティファさん…」
知っていた。クレイアはサーレの種族のこと、勿論その寿命のことも熟知していた。

「私たちは、特定の寿命を持たない」
「…」
「サーレはもともと一つであった自然から生まれ出た種族。一人が“力”を使えば、同族の別の誰かの寿命が少しずつ削られていく…」
ティファは膝を抱え、淡々と語る。

「その寿命は、尽きるときにならなければ誰にもわからない…私たちは、いつ死ぬかわからないんです」
ティファの声は、とても小さく――弱弱しかった。












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