* *



 グルーの住むアパートからティファの自宅までは、結構な距離がある。
 街の方角を結ぶほどの距離があるのだが、グルーの足で走りきれない距離ではなかった。

「…ッ…ティファ、ティファ!」
ドンドン、とグルーは扉を叩く。昼間と同じようにフィリが出てきた。
「あ、お兄ちゃん…と、マリー!心配したんだぞお前…っ」
グルーはマリーをフィリの前に下ろすと、「邪魔すんぞ」と一言呟き家の中へと踏み入っていった。
 ティファの部屋へと進むと、扉を開いた。

「…っ」
ティファは驚いたように目を見開くと、ぽつりと小さく呟く。
「…グルー…さん…」
「お前…っ、…何やってんだよ…」
「…」
ティファは口を結び、俯いた。暫しの沈黙が訪れる。
 先に口を開いたのはティファであった。

「…ごめんなさい、帰ってください。今は誰にも会いたくないんです」
「突然ンなこと言われて、納得できる奴がいるか」
「納得、…してください…会いたくないんです。来ないでください」
それは、弱弱しくもきっぱりとした拒否の言葉であった。
 グルーはその言葉に愕然と立ち尽くすも、やっとの思いで静かに言葉を紡ぐ。

「…言ったじゃねぇか」
「…」
「…俺はもう、背負うモンは何もねぇんだ。お前の分、半分背負うって」
ティファはシーツを握り締め、小さく震える。
 顔を背けると、震える声で返した。

「…ごめんなさい。私、嘘吐きました」
「…」
「半分になんてできません、…あなたに私たちの気持ちは…わかるはずが無いから」
それは弱弱しく、乾いた声であった。
 そして、その言葉はこう締めくくられた。

「…出て行って、いただけますか」

グルーはその声に、脳裏がすっと冷えていくのを感じながらも――一度大きく息を吸って、吐き出す。
 できる限りの声音で言葉を紡いだ。

「…そこまで言うなら、仕方ねぇな」
その声の低さに、ティファは思わずびくりと震える。
「マリーのことは叱るなよ、お前のことが心配で俺のところに来たんだ」
「…」
「何があったのかは知らねぇが…ちったぁ飯、食ってやれよ。じゃあな」
「っ…」
――バタン、と扉を閉める音が響いた。

「…グルー…っ、帰る…の…?」
「ああ…悪いな、マリー。…フィリ」
「何…?お兄ちゃん…」
フィリは一歩前に歩み出た。グルーはその頭を、再び撫ぜる。

「…悪いな、さっきの言葉は撤回だ」
「え…」
「じゃあな」
そう言うと、グルーは一人帰路についた。

「っ…ああ…っ…うぅっ…あああああっ…」
ティファは自室に取り残されると、何かが切れてしまったかのように涙が溢れ出した。
 拭っても拭っても止まらず、声を上げる。
 その声に、弟たちが部屋へと集まった。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「お兄ちゃんに何か悪いこと、言われた?」
「僕がお兄ちゃんのことやっつけてあげるから!泣かないで、お姉ちゃん!」
ティファはしゃくり上げ、首を横に振るのみで、その問いに答えることはできなかった。


 グルーが自分を案じて何度か来てくれていることは、わかっていた。
 リファが死んだ後、最初にグルーが訪ねてきた時はその胸に飛び込んでいきそうになった。

 しかし、ベッドから降りようとして足が竦んだ。

 いつか自分の命も尽きる。それは、今日かもしれないし明日かもしれない。
 ただ、その恐怖に身を焼かれる思いで身体が動かなくなってしまったのであった。
 今までは大丈夫であったはずなのに、誰かを好きでいることが――急に怖くなってしまったのである。

 グルーにこの重石を分けることはできない。
 彼が自分といる限り、同じ恐怖が付きまとうだろう。
 そして、もし自分が居なくなったら、彼は――?

 そしてその思いは、グルーを遠ざけることに直結したのであった。


 フィリをはじめ弟たちをひとまず部屋へと返すと、ティファは自室で一晩中泣き続けた。
 何かが切れてしまったかのように、ティファは泣き続けていた。



* *



「…グルー、今日はお前が朝食番のはずなんだけど…」
「…悪ィ、今日は抜きだ。二人とも適当に食ってくれ…」
グルーは血走った目で一言返事をすると、扉を閉め自室に篭った。

「グルーさん…何かあったんでしょうか」
カレイドは若干引いたように呟く。
「あの様子じゃ…あったんだろうね、とにかく俺たちはルネサンスにでも行こうか」
ファレイは同調して返すと、カレイドを連れてその場を去った。


『ごめんなさい。私、嘘吐きました』
『半分になんてできません』
『あなたに私たちの気持ちは…わかるはずが無いから』


「…ああ、わかんねぇよ」
わかるはずが無い。そもそも、誰かの気持ちをわかろうとする気持ちすら、グルーは感じたことが無かったのであった。


* *


 ティファは腫れた目をこすりながら何とか夜を明かす。結局眠ることは出来なかった。
 毛布を被るも眠ることはできない。
 涙はとっくに枯れていたが、気持ちはいつまでも暗いままであった。

 すると、ふわりと部屋に何かが降り立った。
 覚えのある気配に、ティファはそっと起き上がる。

「あ…」
「…こんにちは、ティファさん」
「クレイア…さん…」
そこにいたのは、クレイアの姿であった。

「少しよろしいかしら?」
「え…ええ…あ、すみません、お茶…」
「お構いなく、あなたは座っていて頂戴」
ティファは立ち上がりかけるも言われるままベッドに腰掛ける。
「少し心配になって来てみたのだけど…」
クレイアはそっと壁に寄りかかる。
「グルー君、来たのね」
「っ…」
「…彼は…あなたのことが心配で来たんでしょう?」
ティファの目から再びぽろぽろと涙が零れ落ちる。それを拭いもせずに、ティファはこくりと頷いた。

「私が…ご飯、食べないから…」
「…」
「マリーちゃんがグルーさんに言ってくれて…」
「…それで?」
「それで…私…っ…」
枯れたはずの涙が再び頬を伝う。テ一度涙を手の甲で拭うと、クレイアがどうぞ、とハンカチを差し出した。
 すみません、と一言呟いてハンカチを受け取るとシーツを握り締め、きっぱりとした口調で呟く。

「…グルーさんとは、もう会いたくないんです」
「…」
「私は…あの人とは、同じ人生を歩めないから。いつ死ぬかもわからない、いつこの人と離れ離れになるかわからない…そんな恐怖の中で、私は…」
クレイアは暫し考えるように手を口に当てる。

「…あなたらしくない考えね」
「…」
「私に、人の想いや関係は永遠では無い、って言い切ったのは…どこの誰だったかしら?」
「っ…」
ティファは顔を背けると再び溢れる涙を拭う。

「けれど、それはそれとしてあなたはまだ若いわ、…ご両親とはまた違う“死”を間近に体験して考えが変わっても、それは決しておかしくはないこと」
「…」
「でも、…ティファさん」
クレイアは真剣な眼差しでティファを見つめる。

「それではあなたは今、何で泣いているの?」
「…」
「そんなに目を腫らしてまで、泣き続けてまで――そうして、彼のことを忘れることが出来ると思う?」
「っ…」
「グルー君に…会いたくて、たまらないのではないの?」

 クレイアの声が胸に刺さる。
 グルー・ブレイアンド――最初は、己とよく似た存在であると感じて近づいた存在。
 しかし彼は自分とは一切違う、強い人間であった。
 他人である自分を守ろうと必死になって、そして自分の重荷を半分背負うと言った。

 何かあると、必ず駆けつけ傍に居てくれた。
 そんな彼が愛しく、眩しかった。
 種族違いなんて――関係ない、と思っていた。
 傍に居てくれるだけで十分であった。
 それを失いたいだなんて、一度たりとも思ったことは無かった。

 会いたくて、仕方が無かった。

「…それじゃあ、私は失礼するわ」
「クレイアさん…」
「何かしら?」
ティファは泣きはらした顔を上げると

「ありがとうございます、少し…考えてみます」
「…そう」
「やっぱり私は…それでも、…怖いから」
クレイアは頷くと、「失礼」と呟きその場をふわりと消え去った。


『それではあなたは今、何で泣いているの?』
『グルー君に…会いたくて、たまらないのではないの』


「…そんなの、決まってる」
ティファは再び毛布を被ると、小さくしゃくり上げた。
















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