* *



「…ねぇミリー…今日のグルーさん、何かおかしくない?」
「うん、何ていうか…元気無い、よね」
「だよねだよねっ、いつもは湧き上がってる殺気が全然感じられないんだよー…!」
ここは街の雑貨屋、グルーのバイト先である。隅の方で同僚であるリリーメ・ルージュとミリー・シルフォーネがひそひそと会話をしている。
 横目で見やる黙々と商品を並べるグルーの姿はいつもとは全く違っており手際が悪く、時折手から商品を取り零したりしていた。
 てきぱきと仕事をこなすグルーらしからぬその姿に、リリーメもミリーも顔を見合わせていた。

「…あ、あの、グルーさん?それ代わろっか?休憩行ってきなよ」
見かねたリリーメが極力明るい声音で声を掛ける。反射的に、グルーはギロリとリリーメを睨み付けた。
 が、すぐに視線を外すとグルーは一言「…頼んだ」と呟き、スタッフルームへと下がっていった。

 スタッフルームに入り椅子に腰掛けると、大きく息を吐く。
 どうも調子が出ない。理由はわかりきっているのだが。
 昨晩の出来事を思い出すだけで苛立ちが増す。

 憔悴しきっているティファを前に、自分は何もできず、ただ帰ってきただけであった。


「あ、カレイド君にホープちゃん、いらっしゃいー…ってちょっと、カレイド君っ、どうしたの…ってそっちスタッフルームだからぁ!」
「駄目ですよぉカレイドさぁんっ、お店の方に迷惑――」
「か、カレイド君…どうしたの…?」
「…?」
店内に響き渡る声が聞こえると、グルーはそっと扉に耳をつけ外を伺った。
 恐らく同じアパートで学生であるカレイドとその友人ホープ・ルルーウェイブの声であろう。

「…グルーさんは、いらっしゃいますか?」
淡々とした静かな声が響く。その声は紛れも無くカレイドのものであった。
 しかしいつもの弱気なものではなく、彼らしく無い淡々とした声であった。
「えーと、いるにはいるんだけど…今休憩中だし、何より今日のグルーさんには話しかけないほうが――」
「いらっしゃるんですね、失礼します」
「わーっだめだめだめっ!失礼しますで入っていい場所じゃないからっ」
扉のすぐ前でやり取りが繰り広げられているようで、リリーメとホープの声が必死に止めているのが伺える。
 グルーは扉を開いた。

「…俺に用か?」
「あ…」
「グルーさん…」
リリーメとミリーが同時に声を上げる。カレイドは睨みつけるようにグルーを見上げた。

「…お仕事中にすみません。ちょっと、顔を貸していただけますか」
淡々とした言葉に、グルーは頷くと

「…少し出てくる」
「あ、うん、って言うか今日はもう上がりでいいと思うよ、グルーさんどうせあと一時間で上がりだしっ!」
「店長には、私たちから説明しておきますので…」
リリーメとミリーはグルーを見上げると言う。グルーは時計を一瞥すると
「…悪いな、頼む」
と、一言残してカレイドと店を出て行った。

「…ホープちゃん、カレイド君…どうしたの?」
「それがぁ、さっき公園で…子供たちの話を聞いたカレイドさんの顔色が変わって…」
「…カレイド君…」
残されたのはリリーメとホープ、そして一人不安げに表情を曇らせるミリーの姿であった。



「…おい、カレイド。用は何だ」
一人ですたすたと歩き出したカレイドの後を追ってやってきたのは、丘の上の公園。
 時間は夕刻を過ぎており、既にあたりは暗くなっていた。
 そこに人気は無く、肌寒い風が吹き抜けるばかりである。

 その時、グルーの頬を何かが掠めた。
 否、頭を狙って何かが飛んできたのを避け、頬を掠めた。

「ッ…!?」
頬に刺すような痛みが走る。カレイドが振り返りざまに、攻撃魔法を発動したようであった。

「ッ…?」
「…勝負しましょう、グルーさん」
グルーの数歩前で立つカレイドの目は、本気であった。
 頬から流れる血を手の甲で拭うと、グルーは静かに問いかける。

「何故だ」
「お互い武器に制限は無し、立ち上がることができなくなった時点で終了。一般人に迷惑をかけないため範囲はこの公園内のみ。武道祭の公式ルールです」
「…何で、俺がお前と戦う必要がある?」
カレイドは構わず言葉を続けた。

「…もし、僕が買ったら、あなたはティファさんに今後一切近づかないと約束してください。僕は、ティファさんを守れる存在になりたい」
「っ…!?」
「あなたが勝ったら…僕は、ティファさんのことを諦めます」
口元に笑みすら浮かべているカレイドの姿は、いつもの弱気なカレイドのものではなかった。
 それは、正々堂々と闘いを挑む“男”の姿であった。

 グルーは自分の手を見下ろすと、その手を硬く握る。

「…ジャッジは…要らねぇか」
「ええ、ルールがありますから」
その言葉が、開始の合図であった。

 カレイドは体術に弱いが基本的な身のこなしはマスターしていた。そもそも小柄であるため、よく小回りが効く。
 グルーは風見鶏を失いもともとの血筋で魔法は一切使えないが、並外れた体力と体術がある。呪文詠唱による隙も起きないため、カレイドを前に隙は皆無に等しかった。

 経験差から見たところで、勝敗は明らかであった。

「っ…!」
グルーが勢いよく間合いを詰めると、カレイドはそれを避けながら素早く呪文を唱える。
「―――――ッアアッ!!」
光の矢を放つ魔法は、グルーめがけて飛ぶも足元の芝生に突き刺さるだけに終わった。
 その隙にグルーはカレイドの後ろへと回りこみ、手刀を振り下ろそうと手を振り上げるもカレイドは変わり身の魔法で素早く退いた。
 ザッと響く芝生の音に、カレイドは短く呪文を唱えると手に浮かび出たものは魔法銃であった。
 グルーは口元が呪文を詠唱するその一瞬の隙を狙い間合いを詰めると、その手に小石をぶつけ銃を跳ね除ける。
「ッ…!」
そのままカレイドの膝にもナイフを飛ばす要領で小石を飛ばす。カレイドは不意を突かれ前に倒れこんだ。
 グルーはその背中を足で押さえると

「…俺の勝ちだな」
と、呟いた。

 カレイドは自らの負けを悟ると、はは、と小さく笑い出した。
 グルーは足を離す。カレイドはそのまま、芝生の上に座り込んだ。

「…やっぱり、グルーさんは強い」
「…」
グルーもその横にどさりと座り込む。
「…どうした、一体」
暫しの間の後、グルーは徐に呟いた。
 カレイドはそれを見上げるように顔を上げると、思わぬ言葉を発す。

「グルーさん、ティファさん泣かしたんですよね」
グルーは思わず目を瞠った。
「泣かした…って、俺は何も…」
「違うんですか?さっきここで、ティファさんの弟さんたちに会ったんです」
カレイドの話はこうだ。
 ホープと学校の課題である絵を描くためにティファのところから花を買おうとよくティファが仕事をしている公園に顔を出してみたがティファの姿が見当たらない。
 思えば最近全くティファの姿を目にしていないと、たまたまその場で遊んでいたティファの弟にそれとなく話を聞いてみたのだ。
 カレイドとも顔見知りであった小さな弟は、昨晩目で見たとおりの出来事を話したと言う。

「その話を聞いたら、いてもたってもいられなくなってしまったんです。…僕、その、グルーさんとティファさん見てて、ティファさんのことは諦めようって思ってて…」
「…」
「でも、当のグルーさんがティファさんを泣かしただなんて、許せなくて…僕…頭に血が上ってしまって」
カレイドは俯き芝を指でぶちぶちと抜きながら淡々と話す。
 グルーはそれを聞いていると、ため息を吐いた。

「…だったら、俺のことなんか構わずティファのところに行けば良かったじゃねぇか」
「今僕がティファさんのところに行ったところで、…何の力にもなれないと思って」
きっぱりとした口調でそう言うと、カレイドは口角を持ち上げてグルーを見上げる。
 それは、いつもの――否、また少し大人びた“男”の表情であった。
「…だから、喧嘩を売って鬱憤を晴らさせてもらおうと思ったわけです」
グルーは空を見上げると、大きく息を吐く。

「お前のほうが…」
「?」
「ティファを大切にできるのかもな」
グルーはそう呟くと、次の瞬間、頬に硬い衝撃が当たった。
 グルーはそのまま反対側に手をつく。
「っ…」
それは、魔法でもなんでもない、カレイドの素手の拳であった。
 顔を上げると、目の前にカレイドの顔があり――グルーは、胸倉を掴まれているのだと察した。

「…今後、口が裂けてもそんなことは…」
僕の前では口にしないでください、と、カレイドはグルーを睨み付けながら淡々と呟く。
 グルーの口内に血の味が滲んだ。

「ティファさんが必要としているのは…」
「…」
「僕ではなく、あなたなんです。グルーさん…僕は、ティファさんのこと…ずっと見てきました」
カレイドはそこまで言うと、力をなくすようにそっと両手がグルーから離れる。
「この街に来たばかりの僕にとても優しくて、年齢は僕と一つしか違わないのにとてもしっかりしていて…そして何より、あの笑顔が…僕はたまらなく好きでした」
「…」
「でも、ティファさんは時折…とても寂しそうな顔をするんです」
すっとグルーから離れると、再びその隣へと腰を下ろす。

「…ある日を境に、ティファさんはグルーさんの話ばかりしてくるようになりました」
「…」
「ティファさんが寂しそうな顔をすることが、ほとんど無くなって…嬉しいと同時に、複雑で」
「…」
口調は、いつものカレイドの穏やかなものに変わっていた。カレイドは顔を上げると、口角を持ち上げて笑う。
「それでも…ティファさんが幸せなら、それでいいと思っていたんです」
その言葉を聞くと、グルーは頭を思い切り殴られた気分になった。

 ティファが幸せなら、それでいい。
 それはカレイドの真っ直ぐな想いであった。
 そしてそれは、グルーの想いでもあったはずであった。

 しかし、最近の自分は果たして、それを前提として行動できていただろうか。
 守りたかった一番の存在である彼女が何を考えているのか等、少しでも理解しようとしたことがあっただろうか。

 わからない、の一言で済ませてしまっていた己の未熟さを、初めて思い知らされた。

「…そんな思いでいたのに、グルーさんがティファさんを泣かしたって聞いて黙っていられるわけないじゃないですか」
グルーはカレイドを見下ろすと、その頭をくしゃりと軽く撫でた。
 そして、徐に立ち上がるとカレイドにすっと手を差し伸べる。
 カレイドはその手を握り返し、立ち上がると

「…グルーさん、約束してください。もうティファさんのこと泣かせないって」
グルーは一瞬躊躇うと、
「それは、…できねぇな」
と、珍しく曖昧な返事を返した。カレイドはその言葉に怒るでもなく歩き出すと、
「じゃあ、またティファさんが泣いたって話を聞いたら…その時こそ、僕が奪いに行きますから」
覚悟していてくださいね、と笑った。
「…お前…諦めた、って…」
「生憎、僕は諦めの悪い男なんです。それじゃあ、僕は先に帰りますので」
失礼します、とカレイドはぺこりと頭を下げグルーが何か言い返す間も無くその場を去っていった。


 グルーは、帰り道とは反対の方向を歩き出していた。




















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