-7th day Olive side 1-


 まどろむような眠りから、何かに引き上げられたような気がした。
 身体は嘘のように軽くて、そして、あたしは…

 目を覆いたくなるような、過去の夢を見た。

「――…嘘…」
目を覚ましたあたしが、発した第一声がそれだった。
 時計を見ると、まだ時間は明け方前。後一時間ほどで朝日が上がる時間…だった。

 …あたしは、全ての真実を――悟った。

 あたしはすくと立ち上がり、部屋を出る。
 まだ屋敷内は暗いままだから、ランプの明かりを手にしながら、手探りであの部屋に向かう。

 そう、ラピスを召喚したあの部屋に。

「――オリーブ様」
ふと、後ろで声がする。あたしの背中に、ぞくりとした悪寒が走った。
「あの部屋に行くのでしょう?…私も、お供させていただいても宜しいでしょうか」
ラピスの表情は、暗くてよく見えない。あたしは、確かに一度頷いた。

「良いわ。…どっちにしろ、あたしはあなたを呼ぶつもりだったから」
そう了承すると、あたしとラピスは部屋に向かって階段を上がっていった。

 そう、この部屋だ。
 月明かりが、まだ暗い室内を照らす。
 この部屋は、紛れも無い――父さんの部屋、だ。
 足元に転がっている杖を、あたしは手に取る。ポケットの中に肌身離さず持っていたラピスのカードも…取り出した。

 ラピスは、今度は部屋に入ってくる。
 一歩入って、何時ものようにあたしより少し距離を置いて立ち止まった。

「思い出したのよ、あたし」
ラピスは、黙っている。あたしは、言葉を継いだ。


「――ラピス、十年前――あたしと母さん、父さんを裏切り、大事なもの全てを奪った…憎らしい悪魔」
あたしは、真っ白い刃を――ラピスに、向けたのだった。


-7th day Lapis side 1-


 少女は、冷たい瞳で――此方に、刃を向けていた。喉元を、冷たい感触が触れている。
 少女は言葉を継いだ。

「十年前――あたしは、まだ八歳の女の子だった。母さんと暮らしていて、滅多に帰らない父さんと――その専属の召喚魔族であるラピス、あなたが帰ってくるのを待つのが一番の楽しみだった」
私の過去が、言葉と同時に蘇っていく。

 忘れるはずも無い、自分のことを“家族”だと言った相棒。
 凛としているが、いつも笑顔で迎えてくれた奥方。
 無邪気に懐いてきた、――娘。

「あたしたちのこと、忘れたわけじゃ無いわよね?…十年前のあの日、父さんは旅の暮らしからあたしたちとの平和な生活を送る方を選んで、…あなたとの契約を切ることになった」
淡々と、言葉が継ぐ。まるで、今までの少女とは別人であるかのように。
「魔力云々の関係で、あなたまで家族として一緒に暮らしていくことは不可能だった。…そして、契約が切れる最後のあの夜。あたしも母さんも、ここ――あなたと父さんの拠点としていたこの屋敷に入っていたの…その後は、言わなくてもわかるでしょう?」
私の表情は、どうなっているのかわからない。ただ、開いていても役目の無いその瞳をを閉じて、真実を語ることしか出来なかった。

「…この部屋で、私の契約解除を行っている途中この魔法陣上から、低級魔族――所謂モンスターが大量に侵入してきた、ですね」

「そう、――あなたは、まだ契約を解かれきれてなかった。だから父さんを助けることができたはず…けれど、…あなたは…」
少女の言葉が、いっそう険しくなる。

 そう、私は――護ることが、出来なかった。
 最強種とも言える私が、“彼”を護ることが――出来なかったのだ。

「…あたし、…絶望したわ。部屋には血まみれになったあなただけが残っていて、父さんは――跡形も無くずたずたに引き裂かれていたんですもの」
そうだ、…私も、絶望した。己の力、己の能力、――そして

『――…嘘つき…っ、…父さんに何があっても、ラピスが助けてくれるって言ったのに…嘘つきぃ……っ!!』
惨状を見てしまった、少女の力の無い叫びが、…再び脳内で響き渡る。

「母さんはその後――心を病んで、ずっとずっと苦しんで――三年前に亡くなったわ」
少女は、目を伏せる。

「…私があなたを呼び出した理由、それは――」
刃を横に向けた。このまま横に動かせば――間違いなく、私の首は刎ねられるだろう。

「一週間、あなたを許したように見せかけて――今日のこの日、あたし自身が、あなたを裏切り殺すこと、よ」


-7th day Olive side 2-


 ラピスは、あたしがそんな言葉を発したのにもかかわらず――全く、動じない。
 あたしの心は、自分でも驚くほど冷え切っていた。

 この一週間がどうこうじゃない。
 あたしは目の前の人が、憎い。ずっと憎かった。
 悔しくて、悲しくて、あたしの心は、ただそれだけだった。
 ずっとずっと昔から。十年前のあの日から。

「計画が狂ったけどね。…記憶を無くすとは思わなかったわ」
あたしは腹ただしくなって、少しだけ、杖を握る手に力がこもる――ラピスの首から、つ…と、紅い血が流れた。
 が、魔族特有の再生能力ですぐに消えていく。

「…そこでは私は殺せませんよ」
「…っ、…何…?」
ラピスは、私の杖の刃先に…素手で、触れた。その表情は、恐怖すら覚えるほど――無表情だった。
 まるで、全てを悟っていたかのように。
 再び刃先を握るその手から血が流れるけれども――その血も、流れては消えていく。
 ラピスはもう片手でマントを脱ぎ、衣類の前ボタンを外していった。
 そして、ボタンが外れきったところで――その胸元が露になる。

 右胸の下あたりに、小さな黒い刻印があった。
 ラピスは、己の手で――刃を、そこへと…向けた。
「な…っ」
「…基本的に、我々魔族には再生能力が有るため“死”の定義は存在していません」
ラピスは、冷静な口調で淡々と語る。
「しかし、この刻印を傷つけることのみは禁忌とされていて、刻印を貫かれ――魔界へと戻ってきた者はいません。現世でもその者の存在をその後確認したと言う書簡もありません」
その口調は、とても冷たく…そして、何処かとても優しかった。

 まるで、一週間の間の沢山の話を、あたしに話して聞かせてくれてたように。

「…私は、十年前のあの日の後――私の目は盲いたままでした、そのまま魔界に戻ったのです。そして――自殺を図りました」
「…っ…」
「しかし、未遂に終わった…結局あの時、私には完全にこの刻印は貫くことが出来なかったのです」
あたしの頭の中で、二つの意識が混濁する。
 十八年間、目の前の人を殺すことだけを考えてきた今の“あたし”と。
 一週間、何も知らずに真っ白のまま生きてきた少し前の“あたし”が。

 ふと、ラピスは微笑んだ。
 きっと、今までに見せる微笑の中で…一番綺麗な、微笑だった。
 思わず、…一瞬憎しみ悲しみも忘れて、見とれてしまったほどに。


「私には、一つ決めていたことがありました」
ラピスが、静かに――力強く、言う。

 あたしは、動けなかった。ラピスの瞳には、…力があった。

「もし今後――彼の娘である貴女が私を召喚することがあったら、…その手で私を殺していただこうと」

 言い終わらなかった。いいや、きっと――その言葉は、そこで終わりだった。

「な…っ!」

 何も、出来なかった。

 ラピスはそのまま、私のほうへと――倒れてきた。

「…っ…ぅ!!」
杖越しにずしんと圧し掛かる重圧。飛び散る鮮血は、光とともに消えていった。

 ラピスの身体も、消えていった。

「な、…ちょっ、…ラピス!…」
声に出しても、返事は無かった。ラピスの身体は、さらさらと――杖の先から、消えていく。
 きらきらと…とても、綺麗だった。

「ラピスっ!!出てきなさいよ、…あなたとの契約は、まだ…っ」
遠い屋根から、朝日が僅かに差し込んだ。

 ラピスを呼ぶ“あたし”の心は――紛れも無い“あたし”そのものだった。

 かつてラピスであったその光は、朝焼けとともに――融けていった。
 きらきら、きらきら――一度瞬きをしてしまうと、もう、何も…見えなかった。

 あたしは、目の前がぼやけていくのも構わず――ラピスの名を呼び続けた。


 ラピスのカードは、真っ白だった。








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